【日本国紀】「宇佐美典也vs百田尚樹」に見る論点の整理と、「右寄り」という底の浅さ

右と右の対決

少し前から、ツイッター上で宇佐美典也氏と百田尚樹氏との間で『日本国紀』についてツイートのやり取りが続いています(した)。

百田氏は言わずもがな『日本国紀』の著者です。もう一人の宇佐美典也氏は、もともと田母神俊雄氏の選挙参謀をした経験があり、その経歴からも、自身のプロフィールからも明らかなように「右傾向」の方です(その後、田母神氏とは仲違いしたそうですが…)。

こんなわけで『日本国紀』をめぐる「右vs右」の討論ということで、本ブログもこれを注目していました。本記事では、そのツイートのやり取りを追いながら、私見を述べていきたいと思います。

発端となる宇佐美氏のツイート

前半の「日本国紀も韓国の歴史観もそうだけど、「ストーリーとして正史を作ろう」っていう活動は歴史修正主義とほぼイコール何だとおもう。」は意味明瞭で、『日本国紀』についてはその通りだと思います(韓国が歴史修正主義に基づいているかどうかは、検討していないので評価できません)。

しかし後半の「事実解釈が正史の価値観に偏らざるを得なくなるから。ホントは事実があってそれを多角的に評価するのが、少なくとも知的には“正しい”歴史のあり方なんだろうと思う。」の言は意味不明瞭です。また「解釈」を離れた「事実」が存在するかのような書き方は、史学的にやや手法が古いですし、『日本国紀』現象の核心を突いていないように思えます。

冷静に考えれば、主観を除いて歴史を叙述することなど不可能です。「歴史というのは、そもそも物語に過ぎない」というポストモダニストたちの言葉は、敢えて言われなくても、我々が潜在的に気が付いていたことの一つでしょう。

この歴史と物語の間にある微妙な境界線を巧く突いて「ヒストリーの語源はストーリーです」などと嘯いて刊行されたのが『日本国紀』です。よって本書が問うていることは「ストーリー(物語)がヒストリー(歴史)であってもよい」というこれを認めるか否かでしょう。

しかもストーリーであるにもかかわらず、著者の百田氏は「すべて事実」と豪語し、しかもその内容がいわば歴史修正主義的傾向を含んでいたことが争論の焦点なのではないかと考えます。

尤も内容を問う前に、コピペ問題が本書の価値を著しく破壊していますが。

百田氏の引用RTの意味不明さ

この宇佐美典也氏のツイート対し百田尚樹氏が反論。

『日本国紀』が韓国の歴史観と一緒だと?」というのは、百田氏の読解力が永遠の0の証拠です。

宇佐美氏が言いたいのは「自身の都合の良い解釈だけを羅列した『日本国紀』の方法論が、韓国のそれと同じだ」ということであり、歴史観までもが一致していると主張したいわけではないからです。

しかも本筋から離れた批判まで。

「元官僚」というのはここでは全く関係ないでしょう。百田氏は反知性主義者たちのシンボルなので、高学歴や弁護士や官僚などに対して非常に攻撃的になります。そして信者たちは何かコンプレックスがあるのか、史学の専門家よりも、百田氏の吹聴を信じるというよく理解できない行動をとります。

宇佐美氏のつぶやきは続く。

この百田氏の発言を受けてかどうかわかりませんが、宇佐美氏のツイートが続きます。

この発言は的を得ていると思います。

もともとフィリピンは独立がアメリカ側から約束されていましたので、日本が「解放」しなくても「解放」されていたわけです。さらに「バターン死の行進」と呼ばれる虐殺をしており、終戦時の対日感情が非常に悪かったことが知られます。

こういう事実をあえて隠して(知らずか?)記述してしまうことは、「歴史修正主義」の誹りを受けても致し方ないでしょう。

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バランスが悪い、百田ワールド、新右翼史観などなど

また次のような発言も。

バランスが悪いというのは確かにあるでしょう。しかしこれは百田氏のライトノベルなので、それ等の問題が致命傷になるという訳でもないと思います。

『日本国紀』を新右翼史観とするのは、宇佐美氏の勉強不足(あるいは読書不足)でしょう。万世一系を否定するどころか、皇位簒奪説や北朝正統説までも支持していますから、本書は全く右翼的でも保守的でもありません。まともな右翼・保守なら投げ捨てる勢いのものです。

敢えて表現するならネトウヨ史観でしょうか。

両説併記について

また次の発言には賛同できません。

確かに歴史には諸説がありますから、それを併記して偏った見解に陥らないようにすることは重要です。

しかし、歴史修正主義者が求める「両説併記」というのは、それとは全く違う性格を持ちます。たとえばドイツならば、ホロコースト否定論者が一定数いるから、教科書に肯定説・否定説の両方を載せろと言っているようなものです。

ここで重要なことは、教科書に載っているような基本的記述というのは、「国内の史学界において定説的なものであり、加えて国際的にも 一定の理解が得られている」という前提があります。国内外ともにコンセンサスが取れていない、いわばトンデモ説を併記することは、「多面性を知る」ことにはならないでしょう。

たとえば、コミンテルンやイルミナティ、宇宙人の陰謀説を主張する人が確かに一定数いますが、だからといってそれら陰謀説が教科書に載るわけでない点は言を俟ちません。それと同じです。

歴史問題には応答しない百田氏

宇佐美氏の必死のツイートにも百田氏は全く応答せず。

自分で得心いくものを書けばいい」という逆切れ理論は百田氏のみならず、信者にもまま見られますが、建設的な反論ではありません。自身の書いた内容に責任をもつべきでしょう。

また次のようにも逆ギレ。

百田氏が個別的な問題に答えることは無いでしょう。なにせ応答したら自身の浅学がバレますからね。こうやってマウンティングしながら逃げるのが得策だと判断したのでしょう。

このように「右vs右」の戦いということで注目しましたが、全く期待外れでした。

百田氏の開き直りには驚くばかりですが、『日本国紀』を新右翼史観と位置付けてしまった宇佐美氏にも驚くばかりです。 宇佐美氏の「右寄り」という自称もこの程度かと評価せざるを得ません。

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11 件のコメント

  • 宇佐美氏の両論併記の主張は間違っていないと思いますよ。大東亜戦争という事実があって、それを日本側から肯定的に解釈するか、アジア側から否定的に解釈するか、物事を多角的に見よう、と彼は言いたいのであって、客観的な事実であるホロコーストを否定するような、つまり「あったことを否定したりする」ことは「論外」と前のツイートで仰ってます。

    • 残念なことに、大東亜戦争を肯定することは、歴史修正主義でありホロコースト容認と似たようなものでしょう。

      • お返事ありがとうございます。私は学術的なことは別として、歴史に対する評価は、その時代に生きる人々の意識によって変わっていくものだと思います。日本の原爆投下に対するアメリカ人の評価も、少しずつ変わってきてますよね。史学には明るくないので、あくまでの素人の意見ですが。これって歴史修正主義で、危険なことなのでしょうか?

        • たしかに「原爆は無かった」といえば「歴史修正主義」でしょう。原爆に対する評価の変化は「解釈上」の問題かと。

          • 私には大東亜戦争に対する評価の変化も、解釈上のもののように思えます。大東亜戦争はなかったと言うのは歴史修正主義でしょうが、その意義を見直す動きはあってもよいのでは?

  • 敗戦を受け入れてない人がいるのでしょうか?

    つまり歴史は戦争の勝者が綴るモノであると仰っていますね。

    事実はどうでもいいと、歴史修正主義者は考えている事の証左ですね。

  • この記事とコメントを読ませて頂いて、自分がいかに何も知らないかということを再認識させて頂きました。日本国紀の紹介文を読んで、日本の歴史を俯瞰する為に、感銘を受けた「永遠のゼロ」の原作者なら信頼できると思ってしまった位だからです。歴史に関する本の著者に必要とされる見識や出典を明記しなければならないなど基本的な事柄さえ何も知りませんでた。改めて、この記事とコメントを寄せて下さった方々から多くのことを学ばせて頂いたことに対して感謝の言葉を申し上げます。どうもありがとうございました。

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