【トンデモ】コミンテルンに操られた朝日新聞が大東亜戦争とモリカケを(略【中西輝政×長谷川熙】

森羅万象何にでも陰謀を見出す

コミンテルンの専門家・中西輝政氏は、この世で起こる万事の背景にコミンテルンの陰謀があるのではないかと心配しています。同様に、朝日新聞の専門家・長谷川熙氏は、この世で起こる万事の背景に朝日新聞の陰謀があるのではないかと心配しています。

この二人が対談すれば、コミンテルンと朝日新聞のどちらが黒幕かをめぐって議論・討論になるのではなく、この両者の説は調和的に融合します。つまり、この世における現象の背後にコミンテルンと朝日新聞の両者がいるという新たな陰謀論が生まれるのです。

今回は、中西輝政×長谷川熙「国際共産主義に操られる朝日新聞【モリカケも!?】」『Will』(2018.10)を取り上げながら、そんな不可思議な現象を追ってみたいと思います。

コミンテルンの陰謀

お二人の対論は、まず「コミンテルン」問題は歴史研究の禁忌とされていると主張されるところからスタートします。

長谷川 コミンテルンを扱うことが、日本ではまだ禁忌視されていますね。

うーーん。「コミンテルン」ネタって、渡部昇一氏、田母神俊雄氏などをはじめとする、この頃の保守論客がガンガン言及していて、ちっとも「禁忌」ではないような気がするのですが…。

中西 日本の学会、メディアをはじめとする知的空間において、いまだにコミンテルンは「腫れ物」扱い。理性的、実証的に歴史を論じるはずの研究者でさえ、「コミンテルン」を前にすると研究や議論が及び腰になってしまいます。

うーーーーん。むしろ「腫れ物」扱いされている理由は、何でもかんでも「コミンテルン」の陰謀にしようとする保守論客が、そもそも「知的空間」におらず、「理性的、実証的に歴史を論じ」ていない証拠のような気がします。

さらに微妙に秦郁彦『陰謀史観』(新潮社, 2012)を意識した発言まで見られてなかなか興味深い。

中西 日本の一部の歴史家のように、「コミンテルン」と聞くと最初から「陰謀論」と決めてかかるようでは、歴史の真実は見えません。
長谷川 日本の研究者は無知なのか、それとも故意に真実を葬り去ろうとしているのか。
中西 一つは不勉強もあるでしょうが、もう一つは、今も次々に出てくる新資料によって自らが唱えてきた従来の”通説”が覆されてしまうのを、ひどく恐れているからでしょう。

どうやら中西氏は、秦郁彦氏から「コミンテルン陰謀論者」として一笑に付されてしまったことを相当根に持っているようです。しかし中西氏から秦氏への反論があったとは聞きません。ぜひ無知で不勉強の秦郁彦氏に「真実」を示して欲しいものです。(しかし秦氏を捕まえて「不勉強」「無知」とはよく言えたものです)

仕組まれた戦争

これに続いて、日米両政府の内外にコミンテルンのスパイがいたという、よく聞く陰謀論が展開されます。もちろん両国にコミンテルンのスパイもしくはその関係者がいたのですから、大東亜戦争は当然の帰結として、コミンテルンの陰謀と決めつけられます。

長谷川 大東亜戦争は、最初から敗北が解っているような戦いでした。これを「戦争」とよんでいいものか。
中西 近年、ヴェノナ文書やヴァシリエフ文章をはじめとする機密文書が次々と公開され、アメリカ政府内に大戦中から大量のソ連スパイが入り込んでいたことが判明しています。……日本には尾崎秀実とゾルゲを送り込み、日米開戦を策略した。つまり日米開戦はコミンテルンによって三方から仕掛けられた、まさに「仕組まれた」戦争だったということが出来ます。

これが本当だとしたら、両国首脳部はよっぽど無能か、もしくはコミンテルンが超絶有能ということになります。「スパイがいた」と「日米開戦した」という二つの事実の間に、無理やり因果関係を見出し、その他の要因を等閑に付すというのは保守の典型的手法です。まして敵の能力を過大評価して、自らを卑下するのは敗北主義であり、自虐史観そのものでしょう。自虐史観脱却を主張する保守こそが自虐史観に囚われている典型です。

モリカケの裏にはコミンテルンと朝日新聞

ここまでは朝日新聞の話などほとんど出てこないで、記事のタイトル「国際共産主義に操られる朝日新聞【モリカケも!?】」の内容は最後のページに駆け足で述べられているだけです。コミンテルンにまつわる空想力が加速して、二人は次のように主張し出します。

長谷川 …コミンテルンの亡霊が今も尚なお、日本では介しているような気がしてならないからです。
中西 戦後の日本では、憲法改正をはじめとする、国家として再生するための重要な試みがよく解らない不合理な理由で頓挫する、というようなことが度々起こっています。
長谷川 意識してか、それとも無意識かはわかりませんが、「モリ・カケ」という倒閣運動すら、コミンテルンの工作先述の精神が影響しているようにみえなくもありません。……そう考えると、朝日も「アンウィッティング」(註:政治家、文化人、ジャーナリストを動かすことに特化した戦略)のまま、コミンテルンの罠にまんまと嵌っているのかもしれません。

ここでようやく「コミンテルンに操られた朝日新聞が、倒閣運動である森友・加計問題を持ち出して、憲法改正をはじめとする国家再生の試みを頓挫させている」というSF小説の骨子が披見されました…。

妄想と妄想がかけ合わさって更なる妄想が生まれる瞬間を我々は見ました。そして「重要な試みがよく解らない不合理な理由で頓挫する」という中西氏の言葉から、「この世で起こる不都合な事件の裏側に何か理由を求め、架空の敵とストーリーをつくって安易に因果関係を説明してしまう」陰謀論者が姿を確認することができると思います。

【トンデモ】朝日新聞陰謀論まとめ

2018年10月25日

5 件のコメント

  • 虎ノ門ニュースで江崎道朗氏は「ヴェノナ文書の和訳本はない」と言って英語の本を見せていましたが、
    「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動 ジョン・アール・ヘインズ著 ハーヴェイ・クレア著 中西輝政監訳」というのがネットで売られています。
    “税込価格 3,456円(本体価格3,200円)
    内容 1930年~40年代、アメリカに潜入したソ連スパイの電報の暗号を解読した米国家安全保障局(NSA)の記録文書が、邦訳で公開される!
    解説
    「ヴェノナ」とは、1943年にアメリカが始めたソ連の暗号傍受・解読作戦の名称である。
    本書は「ヴェノナ」解読文書の元となった通信文から、ソ連のスパイ活動の全貌を暴く画期的な一冊。
    いち早くその重要性を指摘した中西輝政氏らが本邦初翻訳を試みたものである。
    東西冷戦後、原著者らの努力で「ヴェノナ作戦」の成果が公表され、世界中の歴史家に衝撃を与えた。
    第二次世界大戦時の同盟国ソ連が百人単位の規模でアメリカにスパイを送り込み、外交、軍事、産業上の機密情報をことごとく盗み出していたことが分かったからである。
    当時のルーズベルト政権は、完全にソ連の工作の影響を受けていた。そしてアメリカの軍事機密がソ連に筒抜けだった事実は、日本にとって何を意味するか。
    ソ連はアメリカの原爆プロジェクト「マンハッタン計画」を事前に把握しつつ、1945年8月6日の広島への原爆投下を見届け、
    同月8日に対日宣戦布告を行ったということである。“
    というものです。

    どうして江崎氏は和訳本があるのにないなどというのだろうか?和訳本が読まれたら都合が悪いのだろうか?
    江崎道朗氏は日本国紀の監修者になっていますが、コピペと言われるからなのだろうか?
    調べたらすぐ分かることなので、ウソを言うのは本当に良くないです。

    • 和訳本がないと言ったのは、ソ連と東京に関する研究論文であって、ソ連と英米の秘密文書に関する和訳本が無いとは言ってませんよ。曲解して拡散するのはやめたほうが良いですよ。貴方みたいのをDUPESと言うのです。

  • >ぜひ無知で不勉強の秦郁彦氏に「真実」を示して欲しいものです。(しかし秦氏を捕まえて「不勉強」「無知」とはよく言えたものです)

    「不勉強」「無知」ではなくて悪質な詐欺師なんですね:

    文書改竄・捏造の常習者 秦郁彦 と金の為に八百記事を垂れ流す朝日新聞は信じてはいけない

    今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

    経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
    http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

    ▲△▽▼

    朝日新聞は吉田清治さんの強制慰安婦問題でインチキ調査を行った

    ・官邸から圧力がかかった。

    ・消費税軽減税率を新聞に適用して欲しかったので、官邸におべっかを使った。

    ・それで、朝日新聞は吉田清治さんの話が全羅南道でのできごとだったと良く知っていながら、わざわざ済州島だけで聞き取り調査した。

    ▲△▽▼

    慰安婦が本当の事を話さなかった理由

    売春婦とその家族を蔑視し差別する儒教社会に生きる朝鮮女性は自分が慰安婦だったと言えない環境にあった。

    朝鮮は儒教社会だから慰安婦の姉妹や娘は一生 売春婦以外の仕事はできなくなる

    だから元慰安婦だったとわかると一家は路頭に迷う事になる

    吉田清治はそういう朝鮮の事情を考慮して意図的に強制連行した日時と場所を変えて書いたんですね。

    吉田清治は実際に強制連行した日時と場所を公表しろと何度も言われたけど、元慰安婦の身元がわかって本人や家族が迫害されると困るので、絶対に応じなかったのです。

    アホ右翼は知らないみたいですが、吉田清治は済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道での出来事だったと言っているんですね。

    _________

    吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦

    産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

    古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

     韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
    一個人の独断の域を出るものではない。

     従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
    旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

     吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
    動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、

    「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。

     日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
    (赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
    九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。

     それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。

    そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。

     産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
     しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

     「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。

     済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
    裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
    思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
    『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。

     ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
     案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

    「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。

    秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。

     「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。

     秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
     厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。

     吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
    http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

    ▲△▽▼

    済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

    慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
    た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
       吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
    の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
       その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
    で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。

    動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
    強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
    ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
    婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

       番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
    した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
    れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは

      「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
    間じゃないよ」

    と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
    が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
    とも否定ともとれる返答をしました。

    もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
    う語っていました。

      「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
    いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
    尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
    のです」

    この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
    あったかも知れないという印象でした。

       韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
    す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
    戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
    して生きざるを得ませんでした。

       そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
    クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
    番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
    連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

    アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
    男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」

    アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
    男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
       んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
       さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
       ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
       が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

    アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
    ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
    (注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

    さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
    の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
    んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

    一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
    学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
    潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)

       吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
    に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
    者」とでも呼ぶのでしょうか?
    http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

    ▲△▽▼

    秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

    この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。

    この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。

    なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
    (『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17

    資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
    さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。

    引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
    http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

    ▲△▽▼

    秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師

    『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う

    「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
     「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)

     「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)

     『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。

    宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
     
    その1 
     秦稿112ページに次のような部分がある。

     松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。

     まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
    223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒  投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒

    その3
     秦稿118ページに次のようにある。

     宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。

     それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。

     宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。

    つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
    http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html

    ▲△▽▼

    嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ

    hangul 2007/08/04 00:59

    ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。

    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

    2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。

    ○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。

    ○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。

     そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。

    つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。

    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

    産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。

     安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、

    「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」

    と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。

     安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。

     「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、

    『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』

    と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で

    『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』

    と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」
     http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20

    ▲△▽▼

     貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。

     加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。

     「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。

     従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。

     最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が

    「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」

    と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。

     東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が

    「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」

    と証言していたことも報じている。

     安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。

     731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。

     古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。

     重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。
    http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21

    ▲△▽▼

    秦郁彦が触れていない『吉田証言』

    国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で

    I remind you that I informed that Yoshida was a “professional” liar,

    吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?

    とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。

    秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。

    だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。

    従軍慰安婦の悲劇

     『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。

    一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。

    この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

     この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、

    私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。

    そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

    そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。

    そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。

     下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。

    そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。

    (略)

     その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』

    いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。

    だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・

    ・・・彼が

    「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」

    と言うので、

    「では全羅南道の話はすべて真実か」

    と聞くと、

    「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」

    と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。

     しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。

    ____

     吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、

    『すべて真実か』

    と聞くのも変だし、吉田さんが

    『他の場所での話しが混ぜてある』

    と答えるのも辻褄が合わない。

    だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?

     まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?

    それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?

    やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?

    吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。
    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

    ▲△▽▼

    1991.5.22朝日新聞(大阪版)

     「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。

    1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。

     「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。

    政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。

    慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」

    と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。

     吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。

    86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)

     私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。

    従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

    この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、

    私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。

    そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

    そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。

    そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。

    下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。

     10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

     今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。
    http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

    ▲△▽▼

    Stiffmuscle 2007/08/02 22:37

    慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、

    「そんなことを言うな!」

    と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。

    逸話が証拠になるか?

    と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。

    海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。

    hokke-ookami 2007/08/04 08:03

    「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……

    手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。

    階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。

    ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。
    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

    ▲△▽▼

    Stiffmuscle 2007/08/02 15:25

    吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。

    クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。

    にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・
    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

    ▲△▽▼
    元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由

    「慰安婦」は商行為か?  上杉聰 

     〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を

    「昭和史の謎を追う--第37回・従軍慰安婦たちの春秋」

    と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六~九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。

    現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。

    だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
    (日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。

     性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。

    もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。

    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

    yamaki622 2007/08/03 23:01

    「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……

    韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。

    うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。

    秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。

    __________

    真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)

    Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。

    Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune – April 28, 2007)
     名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち

    「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」

    と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。

    「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」

    被害者が沈黙して語れない理由

    軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。

    各戦闘勢力からの圧力、

    政府からの圧力、

    家族からの圧力、もしくは

    地域社会からの圧力、

    これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。

    暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。

    性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感-拒否、疎外、離婚を招くこと、

    結婚生活には不向きだと言われること、

    経済的・社会的悪影響など-

    のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。

    虐待の現実

    1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。

    これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患-中には生命に関わるほどのものもあった-を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)

    Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

    「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。

    日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。

    ふざけるな!と言いたいです。

    http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

    その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)

    2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]

    >吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

    じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)

    2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]

    >慰安婦が白眼視された社会状況無視、

    わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。

    あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。

    >吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

    わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。

    2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]

    http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

    吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。

       ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。

       その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

    番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。

    田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、

    洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」

    と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。

       もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。

      「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」

    この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。

    韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。

    そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

    アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」

    男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」

    アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」

    男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・

    結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

    アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」

    ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」

    (注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

    このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。

    さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

       吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?

    http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

    ▲△▽▼

    3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない

    吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。

    吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。

    自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。

  • コメントを残す