小川榮太郎先生に詫言の誠を捧げる

承前

本ブログから小川榮太郎先生(以下敬称略)に宛てた手紙に返信があった。次のようなものである。

どうも、お手紙の内容に納得いただけなかったようであるが、決して「いじる」つもりはなく真剣に論じたつもりである。仮にそのように映ってしまったのであれば、氏に心よりお詫び申しあげたい。

しかし小川の言説の方法論自体に問題があるという当方の見解は今も変わらない。あまりにも小川の言説は詩的であり難解であり、これを糺さないことには世間の理解は得られない。そこで今回は、より身近な類例を挙げながら、その問題を指摘したい。

あるいはクリステヴァから

小川の言説の不可解さは、読者ではなく筆者である小川に責が有ることは言を俟たない。たとえばフェミニストとして知られるジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)は、言語学と記号学における彼女の初期の仕事において示唆に富む言葉を残している。

連続の濃度が0と2のあいだを包含しているのであり、この連続は、0が明示され、1が暗々裡に踏みにじられていることを表わしているのである。

クリステヴァ(訳:原田邦夫)『記号の解体学』せりか書房 , 1983, p. 69

この鮮やかな深みを鑑賞しながら、小川の言説を振り返ってみよう。小川は「痴漢が女性を「触る権利」を社会は保証すべきではないか」と確かに言った。これは社会的に0点としか読まれなかったことは、社会そのものが証明している。そこで小川の用いた文字上の表現を、ここでは仮に0としたい。その後、小川はこの文章を解釈し「真意」を述べているが、この真意を2点だとすれば、確かに同じ文章という観点から0と2は連続性をもっていたとしても、やはりクリステヴァが述べているように1という中間点が暗々裡に踏みにじられていることは認めざるを得ないだろう。

また次の一節はさらに示唆的である。

0から2にいたるとりわけで詩的な「連続の濃度」において、(言語、心理、社会の)「禁止」というのは、1(神、法、定義)のことであり、この禁止を「免れている」唯一の言語実践は詩の言説であるということは明らかである。

クリステヴァ(訳:原田邦夫)『記号の解体学』せりか書房 , 1983, p. 69

この言説は、まさに小川の有り様を顕している。当初、LGBT問題について小川は明らかに(言語、心理、社会の)「禁止」である1(神、法、定義)を疎かにしてしまった、それを今、「詩の言説」によって修正しようとしている。しかし、小川が「読めていない」と端的に述べているように、この世間に「誌の言説」を理解できるものが如何ほどいようか? やはり0において1への連続性を意識していなければならないことは明白であり、それを軽んじた責は小川自身にある。

あるいは映画アマデウスから

小川はクラシック愛好家であるらしい。そこでクラシックと関係して、映画アマデウスから、小川氏の誤謬を糺したい。

この映画には天才アマデウスと、その天性を理解し嫉妬に苦しむサリエリの二人が主役である。しかし私は同時に、アマデウスの天性に気が付かず、むしろサリエリを寵愛するヨーゼフ2世もまた重要であると考えている。彼こそが凡人の代表である。

多くの大衆はアマデウスではないことはもちろんこと、サリエリですらなく、ヨーゼフ2世に過ぎない。このことを小川氏は自覚する必要がある。誰もがアマデウスを理解できるわけではない事実は歴史が証明していよう。

さすれば小川こそ、自説が「There are simply too many notes(音が多過ぎる)」と憶断されてしまう現実を受け入れるべきではないか。そうしなければ小川はアマデウスよろしく、世間から理解を得られぬまま等閑に付されても致し方ないのではないか。

総括

以上、私が小川に求めたいことは次の二点に集約される。

  • 0から2への連続性において1を暗々裡に踏みにじった責は小川にある。それを補う言語実践は、クリステヴァが指摘するように「詩の言説」でしかない。
  • その「詩の言説」が一般聴衆に理解できないことは歴史を振り返れば必然である。ゆえにそれを理解できない読者に責任転嫁するべきではない。一般読者がアマデウスでもサリエリでもなくヨーゼフ2世である点を留意して、小川は言説すべきである。

最後に、小川はチェスタートンのに造詣が深いようであるから、次の点を指摘したい。仮に保守が正統であるとすれば、無用な小細工は不要であろう。小川にはより素朴かつ直情的な「詩の言説」を求めたい。そうしてこそ道は啓けるのではないか。モーツァルトのレクイエム(Requiem, K. 626)は、たとえ不備があろうともジュースマイヤー版が正統であることは揺らがない。どうも私にとって最近の小川の発言は、ジュースマイヤー版ではなくドゥルース版に聞こえてしまうのである。

「やり直し」を求められたので、本記事を以ってその返答とし、再び批評を乞いたい。

以上

論壇net 主催 ろだん

3 件のコメント

  • これw悪口なんですか?お見事ですw 書かれている内容の面白さと、行われている事のしょーもなさがひどい温度差を生んでいるw この調子で彼の戯言にどこまでも付き合ってやってくださいw 果てまで

  • WiLLやHanadaもこういう面白いバトルを読者に提供していかないとそのうち飽きられるぞ。
    実際俺は飽きて買うのやめたし。

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