【トンデモ】『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』池原富貴夫|ベストブック, 2015)

未知の世界と人間の可能性

いわゆるトンデモ本というジャンルは、読者に全く新しい世界を見せてくれます。私自身、「まさかそうくるか」と呻らずにはいられないことが幾度もありました。

今回紹介したい本もまさにその一つ、池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』(ベストブック, 2015)です。

朝日批判本は余多出版されていますが、そのほとんどは大同小異です。二、三冊読めばお腹いっぱいで、それ以上呼んでも得られるものは殆どありません。本当にオリジナリティーを出すことが難しい分野です。そのような困難な状況にあって本書は『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』という斜め上の、しかもタイトル出落ちで、ひときわ異彩を放っています。

その内容と特徴

百聞は一見にしかずとも申しますので、ひとまず目次をあげます(誤用)。

  • 序章
  • 第一章 見直される日本とアジアの近代史
  • 第二章 陸軍と国民の尻を叩き続けた朝日新聞
  • 第三章 足かけ「十五年戦争」の中、無視され続けた昭和天皇
  • 第四章 朝日新聞の豹変、昭和天皇の苦悩
  • 第五章 産業革命がもたらした光と彰
  • 第六章 国民が「蚊帳の外」に置かれた新憲法制定
  • 第七章 中国共産党に傳く朝日新聞に、読者離れが止まらない
  • 第八章 朝日は、中国共産党と「運命共同体」
  • 第九章 朝日新聞に、国民の「ご裁断」
  • 第十章 朝日と共に、虚報に躍って散った政治家と「リベラル病」患者たち
  • 第十一章 大手メディアに続く「厳しい環境」
  • 最終章 昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか

つまり、「大東亜戦争は植民地解放戦争の自衛戦争だった。米国との戦争を煽り戦意高揚に朝日新聞は躍起になったが、昭和天皇は開戦に反対だった。終戦後、朝日新聞は豹変して共産党と運命共同体となり、慰安婦問題や南京大虐殺などを報じて国益に損害を与えている」というような(ありきたりの)内容です。果たしてどのように昭和天皇に朝日新聞を批判させるのでしょうか。

根本的な認識不足

昭和天皇に関する結論部の論理性の検証は後にします。それよりなにより、この筆者は、朝日新聞があまりに憎すぎて、ついつい朝日新聞ばかり読んでしまい、他の新聞を読んでいないという皮肉に陥っていますので、その点を指摘したいと思います。

この池原氏は、戦前・戦中の朝日新聞の軍国調の記事を取り上げて、朝日新聞の戦争責任を厳しく問いただします。たとえば戦闘機献納や、ミッドウェー海戦で勝利したと国民を偽ったこと、戦意高揚のための鬼畜米英記事、ヒトラー礼賛記事などが取り上げられます。

このような「朝日新聞の戦争責任」を追及したがる保守論客が時々いますが、これはおかしな話です。というのも、当時は時局下ということもあり当時の新聞各社は厳しく検閲されており、いずれも軍国調でした。今では保守の鑑である産経新聞(当時は産業経済新聞)も、戦前は朝日新聞と同じく軍国調そのもので、事実、その責任を問われ経営者だった前田久吉は戦後に公職追放を受けています。

そしてなにより、大本営発表は嘘八百でしたから、ミッドウェー海戦報道で朝日新聞報道だけが非難されるというのは不可解です。

したがって、朝日新聞の戦争責任だけを追及するのは全く非論理的です。保守論客は、朝日新聞だけはしっかり読ようですが、産経新聞など他のものはあまり読まないという傾向があります。この理由は単純で、朝日新聞は戦前のものから現代のものまで縮刷版が刊行されていて容易に参照可能ですが、産経新聞は戦前の縮刷版を刊行していないため参照が困難だからです。国立国会図書館に行けばマイクロフィルムで戦前・戦中の各紙を参照できますので、せめてそれをしてから朝日新聞を批判して欲しいところです。

昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか

ところで、本のタイトルにもなっている「昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか」という問いへの回答は、もちろん「嫌いだった」ということになりますが、その論拠に妥当性があるとは言い難いものです。『昭和天皇独白録』を根拠としながら次のように述べます。

昭和天皇が独白録で述べている通り、不審の男であり連れてきた朝日も朝日だった。好き嫌いをあまり見せない昭和天皇が不審な「策動」に対し強い不快感を示した。
「繆斌は陸軍の飛行機で日本に来たが、どうして杉山(陸相)がこれを許したか、諒解に苦しむが、彼の来朝は朝日の記者、田村真作という者の薦めで緒方竹虎が策動したものである」(独白録)

 池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』ベストブック, 2015, p. 178

ややこの事件(および著者の理解)には説明が必要です。この繆斌という人物は、親日政権の中華民国臨時政府の要人で、1945年に重慶国民政府の密命を受けて、日中の単独和平交渉を小磯國昭内閣に提案した人物として知られます。この和平交渉に、天皇が不信感を示したのが一節が上記の『独白録』です。

つまり、①昭和天皇は繆斌が持ち込んだ和平交渉に不審を抱いていた、②その繆斌を連れてきたが朝日新聞記者だった(そして緒方竹虎は元朝日新聞副社長)という、二つの根拠が合わさって、「昭和天皇は朝日新聞が嫌いだった」という結論が導かれます。

滅茶苦茶強引なような気がしますが、著者の自信は揺らないようです。

昭和天皇の決意 ①「朝日の策動」を潰して、朝日を徹底的に無視する

池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』ベストブック, 2015, p. 180

と昭和天皇のお気持ちを代弁します。また、昭和天皇が不信感を抱かれた背景として、「朝日の実体は、緒方を筆頭にした「政治結社」そのものだった」とか、「「ゾルゲ事件」の尾崎秀美も上海特派員で、田村真作の先輩だった。朝日は政治ゴロのたまり場のようだ」など陰謀論を展開し、朝日新聞は共産主義の手先だったと言わんばかりの論調で責め立てています。

しかし、これらに朝日新聞社が関係していたからと言って、僅か一文だけを根拠にして、昭和天皇が朝日新聞という会社そのものを徹底的に無視し、嫌っていたことの根拠になるのかは怪しいものです。

まとめ

アクロバティックな解釈で昭和天皇と朝日新聞を結び付けてしまった筆者のテクニックには恐れ入りました。かかる点で、極めて優秀な「朝日新聞陰謀論」を披見したと評価せざるを得ません。

しかし「朝日新聞は、常に儲かる方に動く「便所のドア」だった」とまで難じる池原氏の強弁には、一体何が彼をそうさせたのかと思わずにはいられませんでした…。

その他の朝日新聞陰謀説については下記のリンクを参照ください。

【トンデモ】朝日新聞陰謀論まとめ

2018.10.25

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