【日本国紀】コピペが発覚した場合の他社の対応【ミスチル、幸福の科学、司馬遼太郎らをめぐる事案を通して】

コピペに対する各社の対応

コピペ問題が騒がれ続けている『日本国紀』ですが、いまだに著者の百田直樹氏からも、出版社の幻冬舎からも正式コメントが発表されていません。これは、読者からしてみれば「不誠実」に見えるのではないでしょうか。

本書に限らず、これまでもコピペ問題は何度も起きており、その度に謝罪・回収・絶版などの対処が取られてきたことは夙に知られます。そこで本記事では、これまでコピペが発覚した事件を検討しながら、その場合に出版社がどのような対処を取るのかを検討していきたいと思います。

ミスチル(CD)

少し前に、平浩二氏が歌う「ぬくもり」の歌詞が、Mr. Childrenの「抱きしめたい」からの剽窃ではないかとニュースになりました。結果、著作権侵害に相当すると判断され、「ぬくもり」を収録したCDは回収・廃盤にされ、さらにCD購入者には返金することになりました。具体的な類似は以下の通り。

ぬくもり(パクリ側)ミスチル(パクラレ側)
出会った日と 同じように 霧雨の降かがやく
目を閉じれば 浮かんでくるあの日のままの二人
波であふれた 街のショウィンドウとれた君がふいに
つまずいたその時 受け止めた両手のぬくもり……
今も抱きしめたい
出会った日と 同じように 霧雨けむ 静かな
目を閉じれば 浮かんでくるあの日のままの二人
並みであふれた 街のショウィンドウ とれた君がふいに
つまずいたその時 受け止めた両手のぬくもりが 
抱きしめたい

かなりの逐語的一致度で、パクリなのは火を見るよりも明らかでしょう。というか作詞家はこんなパクリ歌詞をつけて、バレないと思っていたのでしょうか? 不思議でなりません。

ミスチルの歌詞を結果的に盗用してしまった歌手の平氏は次のように謝罪のコメントをしています。

私にとっては全く寝耳に水のことであり、本当にそのようなことがあるのか信じられませんでしたが、歌詞の内容は確かに酷似しており、大変驚愕いたしました。ミスター・チルドレン様、ファンの皆様、及びその関係者の皆様に対して、ご心配、ご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます。

CD回収・返金・謝罪…ミスチル歌詞“コピペ”発覚後まとめ!

たしかに歌詞をつくった作詞家が盗用したのであり、 それを歌う立場の平氏が直接盗用に関わっていたわけではありません。しかしそうであっても迷惑をかけた関係各位に謝罪の言葉を述べることは、平氏の倫理観の表れであり、世間において高く評価されるべきものであることは言を俟ちません。逆に謝罪せず、CDを回収しなかったならば世間から非難を浴びていたでしょう。

なお、これと同レベルのパクリ箇所は『日本国紀』においてもざらにあります。たとえば「琉球」に関する説明箇所には、Wikipediaからの逐語的引用が確認されます。

『日本国紀』p. 132Wikipedia沖縄タイムス(2014年9月17日)
遺伝子研究でも、現在の沖縄県民遺伝子中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民に近という結果複数出ている遺伝子研究では、沖縄県民遺伝子的に中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民と近く、同じ祖先を持つという研究結果複数出ている。琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した。
『日本国紀』p. 132Wikipedia
また琉球の古語や方言に中国文化の影響は見られず、7世紀以前の日本語の面影が残っている琉球の古語や方言に中国文化の影響が見られない7世紀以前の日本語の面影が残っているため、……

 微妙に言葉を置き換えただけで、ほぼ逐語的に引用していることは明らかです。しかし、『日本国紀』は回収・廃版されるどころか、いまだに著者や出版社からの弁明や謝罪の言葉すらも発表されてない状況です。

勁草書房(研究書)

勁草書房から刊行された渡辺真由子 『「創作子どもポルノ」と子どもの人権』(2018)は、他者論文からの無断転載が発覚して回収されています(勁草書房:PDF「書籍回収のお願い」)。 その無断転載の箇所の一つを挙げれば以下の通り。

パクリ側:渡辺氏単著(2018)パクラレ側:間柴氏論文(2011)
「いかがわしい」の定義は、一九七八年児童保護法第七条のみならず、イギリスの法令中にも存在せず、明文では明確な判断基準がない。この点について判例は、「社会で広く認められた礼節の基準(the recognised standards of propriety)」に基づき、陪審または治安判事が「いかがわしい」の判断を行うものとしている【注59】
この判断に際して以下の点に留意しなくてはならない。第一に、当該写真等が「いかがわしい」ものか否かの判断は、その写真のみを上記基準に照らして観察することによってのみ行われるべきであって、その写真の製作等の状況や動機を考慮してはならない。例えば、全くの偶然でカメラのシャッターを押した際に撮影された等の事情は「いかがわしい」の判断ではなく、故意等の要件を満たすか否かの判断で考慮されるものとされる
【注60】
 第二に、たとえ性行為を伴わない描写でも、「いかがわしい」とされることがある。例えば、性器等が露出していないものの、上半身は大き目のブラウスと一連のビーズを、下半身は下着のみを着けた、胸を誇示するような一四歳の女児の写真
【注61】、また、裸体主義者のみが集まる水泳プールで撮影された、性欲を喚起するようなポーズを取っていない七歳の男児の裸体の写真が、いずれも「いかがわしい」とされている【注62】
「いかがわしい」の定義は、1978年児童保護法第7条のみならず、イギリスの法令中にも存在せず、明文では明確な判断基準がない。この点について判例は、「社会で広く認められた礼節の基準(the recognised standards of propriety)」に基づき、陪審または治安判事が「いかがわしい」の判断を行うものとしている【注19】
この判断に際して以下の点に留意しなくてはならない。第一に、当該写真等が「いかがわしい」ものか否かの判断は、その写真のみを上記基準に照らして観察することによってのみ行われるべきであって、その写真の製作等の状況や動機を考慮してはならない【注20】。例えば、全くの偶然でカメラのシャッターを押した際に撮影された等の事情は「いかがわしい」の判断ではなく、故意等の要件を満たすか否かの判断で考慮されるものとされる【注21】。第二に、たとえ性行為を伴わない描写でも、「いかがわしい」とされることがある【注22】。例えば、性器等が露出していないものの、上半身は大き目のブラウスと一連のビーズを、下半身は下着のみを着けた、胸を誇示するような14歳の女児の写真【注23】、また、裸体主義者のみが集まる水泳プールで撮影された、性欲を喚起するようなポーズを取っていない7歳の男児の裸体の写真【注24】が、いずれも「いかがわしい」とされている。第三に、「いかがわしい」に該当しない写真等を編集したものが、「いかがわしい」とされることがある【注25】。
注59 R. v. Graham-Kerr [1988] 1 W.L.R. 1098, C.A.〔USAの判例〕注19 R. v. Graham-Kerr [1988] 1 W.L.R. 1098, C.A.〔USAの判例〕
注20 ibid.〔=同上〕
注60 R. v. Graham-Kerr [1988] 1 W.L.R. 1098, C.A.〔USAの判例〕注21 ibid.〔=同上〕
注22 The Crown Prosecution Service, Indecent photographs of children, 2008.4.1.
注61 R. v. Owen(Charles) [1988] 1 W.L.R. 134, C.A.〔USAの判例〕注23 R. v. Owen(Charles) [1988] 1 W.L.R. 134, C.A.〔USAの判例〕
注62  間柴[二〇一〇]九頁。
注24 op.cit.(19)
注25 R v Murray [2004] EWCA Crim.2211. この事案では、テレビで放映されたドキュメンタリー番組から男児の性器に治療を行うシーンを中心に編集する等した映像が「いかがわしい」に該当するとされた。

微妙に改変してありますが、もろパクリだというのは明らかです。他者の知的財産を侵害しているのですから回収するのも当然でしょう。ところで百田尚樹『日本国紀』は、ルイス・フロイスの『日本史』からから次のよう逐語的に無断引用しています。

『日本国紀』pp. 145-146ルイス・フロイス(訳:松田穀一、川崎桃太)『フロイス日本史4』中央公論社, 1981, 第32章.
彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった

彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった
彼はらの権力、領地、財産が順調に増して行くにつれ、おそろしく比例増殖するかのように、とてつもない速度で、悪癖と意地悪さを加えていった彼はみずからの権力、領地、財産が順調に増して行くにつれ、おそろしく比例増殖するかのように、とてつもない速度で、悪癖と意地悪さを加えていった
関白は極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺しており、二百名以上の女を宮殿の奥深くに囲ってたが、更に、堺と京の市民と役人の娘および未亡人の全て連行し来るように命じた関白は極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺しており、二百名以上の女を宮殿の奥深くに囲ってたが、更に、堺と京の市民と役人の娘および未亡人の全て連行し来るように命じた
『日本国紀』pp. 143-144ルイス・フロイス(訳:松田穀一、川崎桃太)『フロイス日本史4』中央公論社, 1981, 第32章.
信長についてはこう書かれている。
極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格った
彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。……
ほとんどまったく家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた彼はわずかしか、またはほとんどまったく家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。……
彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。……
神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった」とある一方、「極卑賤の家来とも親しく話をした神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。……ごく卑賤の者とも親しく話をした。……
ついでながら、明智光秀評も紹介しておこう。
裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷忍耐力に富んでおり、謀略の達人
彼は、裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富計略と策謀の達人であった。

この『日本国紀』の場合も、微妙に改変してはいますが、他者の現代語訳をパクっていることは明白でしょう。

そして、このようなパクリが確認されたならば、勁草書房では回収案件である事実は忘れてはなりません。

朝日新聞・新潮社(歴史小説)

続いて紹介したいのは、池宮彰一郎氏が司馬遼太郎氏の小説を剽窃・盗作していた問題です。この剽窃・盗作の指摘を受けた小説についてその出版元(朝日新聞・新潮社)は、これを廃刊にしています。ちなみに指摘された類似表現には次のようなものがあります。

パクリ側:池宮彰一郎『遁げろ家康』パクラレ側:司馬遼太郎『覇王の家』
家康に、やかさや潔さが薄れ、どこか狡さの印象が否めないのは、彼処世術がこういうやりの連続だった所為である家康という歴史上の人物が……すこしも快な印象をもっていないのは、かれ生涯がこういうやりかたの連続であったことによる
秀吉が、いまようやく手に入れた天下人の威望は、たった一つの理由による秀吉がいまようやく獲得した天下における威望は、たった一つの理由によって成立していた
それは戦って敗れたことのないという信頼感だけで危うくつながっていたかれがかつて戦って敗れたことがないということであり
パクリ側:池宮彰一郎『島津奔る』下巻 pp.148-149, 265-266パクラレ側:司馬遼太郎『関ケ原』下巻 p. 153, 286-287
軍議がまろうとする時、知らせが入った。合渡川の敗報である。

軍議が、はじまった。
いや、はじまろうとした。そのとき、北方の合渡川渡河点での敗報が軍議の席上にもたらされた。
「誤報だろう」
三成は、この期に及んでも強情だった。
自説を曲げない。おのれの脳裏に描いた戦略と戦況を固く信じ続けている。……
三成は、顔色を変えた。
「誤報ではないな」
なお、念を押した。この期におよんでも三成の自信はゆるがず、敗報が信ぜられないのである……
正則は銀の芭蕉葉の馬印をうち振り
「死ねや、死ね死ね!
、絶し、臆する自軍の兵を斬ったりした。遂には退く自軍の不甲斐なさに堪えかね、
正則は自軍の腑甲斐なさに激怒した。馬にとびのり乱軍のなかに駆け入り駆けまわり、銀の芭蕉葉の馬印を振りかざしつつ、
「死ねや、死ねやっ
と叫びつつ崩れを立ちなおらせようとしたが、いったん退き色の出た味方の足はとまらない。……
「返せーッ!
と、馬印を持筒頭に抛り渡し、自ら槍をとって突撃しようとした。だが前軍は四散し、中軍は崩れ、後軍が退くのは留め処がない。

「返せー
正則はついには馬印を持筒頭に投げわたし、みずから槍をとって敵にむかおうとさえした。……
その時、加藤嘉明勢三千と、筒井定次勢二千八百五十が横合いから宇喜多勢を突かなければ、福島勢は壊滅したであろう。このとき、東軍の加藤嘉明、筒井定次隊が宇喜多隊を横撃しなかったならば福島隊は壊滅していたであろう。

逐語的な一致よりも、プロットの一致が問題となっています。このような一致状況でも著作権侵害と判断されるという事実は重要です。

翻って『日本国紀』を見てみますと、このような一致はざらにあります。たとえば大阪新聞から『日本国紀』が無断転載している箇所は次のような感じです。

『日本国紀』p. 53真木嘉裕「聖帝・仁徳天皇 民のかまどは賑いにけり」大阪新聞(1991.12)
仁徳天皇四年、仁徳天皇が難波高津宮から遠くを見てこう言った。仁徳天皇四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうら、地方は一層ひどいことろう」「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことあろう」
そして「向こう三年、税を免ず」いう詔をした。それ以降、仁徳天皇は衣を新調ず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理しなかったと仰せられ「向こう三年、税を免ず」(みことのり)されました。それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました
三年が経ち、ある日、天皇高台に出と、炊煙が盛んに立つのを見て、かたわらの皇后にこう言った三年がたって、天皇高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました
「朕はすでに富んだ。ばしいことだ」
「朕はすでに富んだ。ばしいことだ」
すると皇后は言った。
「宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
これに対して天皇はにっこりて、こう答えた天皇はニッコリされて、こう申されました。
「よく聞け。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」「よく聞け。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」
その、諸国の人々から、「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もない。この時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」との申し出が次々とあた。そのころ、諸国より
「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありませんもしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
 との申し出が頻頻とあるようになりました。
しかし天皇は引き続きさらに三年間、税を免除した。そして六年の歳月が過ぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をした。それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。

 逐語的な一致度も、プロットの借用度も、池宮彰一郎氏の歴史小説の場合より遥に高いことがよく解ります。つまり、仮に朝日新聞社と新潮社の書籍に『日本国紀』にあるほどのコピペが確認されたならば、両社はこれを廃刊にしているだろうことが推測されます。を

電撃文庫(ライトノベル)

また電撃文庫(アスキー・メディアワークス)から出版された、ライトノベル『俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長』も、剽窃・盗用問題がネット上で話題となり、同社より回収・廃刊が告知されました。まとめサイトで取り上げられてる類似表現には次のようなものがあります。

パクリ側:『俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長』p. 17パクラレ側:『バカとテストと召喚獣より』第1巻, p. 8
らが聖桐学園に通い始めて、二度目の春が訪れていた。
校舎に続く広い坂道の両脇には、風で花びらを鮮やかに舞わせる桜が咲き乱れている。
新入生ならばこの景色に何らかの感動を抱くのかもしれない。
しかし二年生である俺にとってはただの見慣れた登校風景だ。
これといってな考えも浮かばないまま、俺は並木から視線を切って坂道を上り始めた。
らがこの文月学園に入学してから二度目の春が訪れた。
校舎へと続く坂道の両脇には新入生を迎える為の桜が咲き誇っている。
別に花を愛でるほどな人間ではないけれど、その眺めには一瞬目を奪われる。
でも、それも一瞬のこと。
今僕の頭にあるのは春の風物詩ではあるけれど、桜の事じゃない。

これを含め全てで複数個所の類似表現が報告されていますが、逐語的な一致度は上で挙げた例と同程度です。このような一致でも、回収・廃刊になるということです。

一方、『日本国紀』を検討しますと、これよりも遥に一致度の高い無断転載箇所が複数確認されます。こたとえば「日の丸」の記述に関する記述ですら、Wikipediaからのコピペです。

『日本国紀』p. 257Wikipedia
日輪のマークは天下統一の象徴であり、源平合戦の折も、平氏は「赤地金丸」、源氏は「白地赤丸」を使用した。それ以降、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったとわれている。日輪は天下統一の象徴であり、平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる。
江戸時代には「白地赤丸」は意匠のつとして普及し様々な場所で用いられ、幕府は公用旗として使っていた。家康ゆかりの熱海の湯を江戸城運ばせる際には、その旗を立てている。「熱海よいとこ日の丸立てて御本丸へとお湯が行く」という唄生まれている江戸時代には「白地に赤丸」は意匠のひとつとして普及していた。江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に狩野派なども赤い丸で「旭日」の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。徳川幕府は公用旗として使用し、家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる際に日の丸を立てて運ぶなどした。そこから「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯が行く」という唄生まれたりした。

仮に『日本国紀』に見られるほどの無断転載が電撃文庫(アスキー・メディアワークス)の刊行物の中に確認されたならば、同社はこれを回収・廃刊にしていたでしょう。

幸福の科学(宗教書)

イタコ芸が大人気の宗教団体「幸福の科学」の大川隆法総裁の長女、大川咲也加氏の著作(ならびにお茶の水女子大学に提出した卒業論文)にもコピペのあったことが明らかになりました。

お茶の水女子大は3日、2013年3月に文教育学部を卒業した学生1人の卒業論文で、内容の3分の2が盗用だったとして、指導教授を厳重注意処分にしたと発表した。論文は同月発行の書籍に掲載され、市販されているという。
今年1月に書籍を読んだ人から指摘があり、大学が調査委員会を設置。論文は明治憲法の制定と信教の自由に関するテーマだが、文章の3分の2が4人の研究者の論文や著書と酷似しており、調査委は無断引用してつぎ合わせたと判断した。

出典時事ドットコム:お茶の水女子大の卒論で盗用=3分の2無断引用、出版も

この出版された著書とは『神国日本の精神:真の宗教立国をめざして』のことなのですが、無断転載が発覚した後も、幸福の科学は(こっそり二刷時に注を書き足して)本書を堂々と刊行中です(但し、注無しの初版は回収されたとの情報があります)。この点で謝罪せず『日本国紀』を刊行し続けている幻冬舎は、「幸福の科学」ととてもよく似た対応をしていると評価できるでしょう。幸福の科学が初版分を回収したとの噂もありますから、これが是であるならば、幻冬舎の対応は「幸福の科学」のそれ以下であると評価できます。

ところでマスコミが「幸福の科学」に本件を問い合わせたところ、「問題ない」というコメントが帰って来たそうです。

「お茶の水女子大学からは何の指摘もありませんし、大学の卒論指導・審査に関することは、コメントする立場にありません。なお、『神国日本の精神』については、近代日本の宗教的限界に鋭く迫った独創性に富んだ内容であり、出版にあたり引用・注を付けておりますので、問題はありません」

幸福の科学総裁の長女が卒論で「無断引用」 お茶の水女子大は指導教授を厳重注意に

一方、 幻冬舎による『日本国紀』のコピペ問題のコメントはまだ発表すらされていません。しかし、この「幸福の科学」側のコメントの理論が、私には百田尚樹氏のコメントと一部重なって見えてしかたありません。

つまり、内容・テーマが重大であるから、無断転載など取るに足らない問題であるいう理論が共通しているように思えます。ところで、「幸福の科学」は、(二刷の)出版にあたり(こっそりとですが)引用・注を付けているそうのですので、その点で『日本国紀』の著者・百田尚樹氏は、「幸福の科学」書籍の完成度にすら至っていないと評価できるでしょう。

【まとめ】幻冬舎・百田尚樹氏と「幸福の科学」との類似

 以上、無断転載・改変が明らかになった場合、それを出版(販売)している会社がどのように対応するのかについてみてきました。次の点が確認されます。

  1. 無断転載・改変が確認された場合には、回収・廃版の対処が取られる場合が多い。これは歴史小説・研究書・ライトノベルなど書籍のみならず、CDにも当てはまる。
  2. ただし「幸福の科学」の場合は、無断転載が確認された後も、謝罪することもなく、それを販売し続けている。この姿勢は、『日本国紀』に無断転載があることを著者自身が認めたにもかかわらず、それを販売しつづける「幻冬舎」の態度と同一である。(なお、非公式ながら「幸福の科学」はコピペ疑惑本の初版初刷を回収し、それに注を加えて二刷を再刊しているので、この点で幻冬舎の出版倫理観は「幸福の科学」以下である
  3. 無断転載に対する「幸福の科学」の弁明は、①内容・テーマが重大であるから問題ない、②注が付いているから問題ない、という二つの要点から構成される。翻って百田尚樹氏による無断転載の弁明を検討すると、①と同一の理論が確認され、よく似た理論を以って無断転載を自己弁護している。②については『日本国紀』に「注」そのものが無いため、その点で『日本国紀』は「幸福の科学」書籍以下であると評価できる。

端的に表現すれば『日本国紀』のコピペ問題に対する幻冬舎と百田尚樹氏の態度は、「幸福の科学」のそれととてもよく似ていると評価できるでしょう。

【まとめ】百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎, 2018)の関連記事まとめ

2018.11.17

【日本コピペ紀】Wikipediaやウェブサイトなどとの類似表現報告まとめ【日の丸すら】

2018.11.16

12 件のコメント

  • これはひどい・・・。
    保守論客やネトウヨの側からこれを糾弾する人っていないのか?
    他人のツイートの受け売りになるけど、「こんなダブスタ許してたら、特アのパクリを指摘できなくなる」って意見に賛同するよ。
    しかし、類例に挙げられてる他作品も追及と検証の度合いがハンパじゃないね・・・。個人的には正直、これでパクリ扱いになるのか?って思いたくなるのもあったりする。今は人間が全部パクリの解析作業やってるけど、今後AIで過去の創作作品のデータベース化とパクリ検証作業ができるようになったら一体どうなっちゃうんだろ? もうそう遠い未来の話じゃないような気がするんだが。

    何か作品が出る度に「コレハ千数百年前ノ◯◯国ノ△△ガ著シタ『□□』ト22.679%ノ類似性ガ認メラレマス。他ニモ(中略)依ッテ作品全体ノ独自性ハ5.26544%デス」とか、AIに瞬時に解析されるようになったりして・・・。
    逆に、パクリ解析AIが過去のメガヒット作品の要素をパクりまくって100%パクリの創作をして、それがとんでもない売り上げになったり、それを悪用したプロパガンダ作品を捏造して国民に配布する独裁者や、逆に「AIの言うことなんか一切信じるな」と閉鎖されたコミュニティに信者と共に引きこもる作家(百田氏とその周囲も現状似たような感じですが)が現れたり、一切のパクリやオマージュが出来ないように閉鎖環境で純粋培養された作家が書いた作品が、パクリ解析AIが創作したパクリ成分0%の作品と偶然ほとんど同じになっちゃって大騒動になったりとか、

    空想するといろいろ「おもつらい」ことになりそうな気がする。

    • 韓国のコピー商品をあれだけ難じていた百田氏自身がコピペで日本史を書いてしまうという滑稽さがハンパないですね~。

      • ありがとうございます。
        その滑稽さという点からこの記事読みなおして改めて考えてみたんですが、ろだんさんって実は親切な人なのかな・・・? とも思えました。

        色々と情けないし、みっともない話ではあるんだけど、ここまで状況が悪化した後での善後策、落とし所としては「幸福の科学方式」でしれっと注記を後の版から書き足して、後は「これで問題無いんだ」で強引に逃げ切るしか無いんじゃないかと思うんですよ。なんか、「笑いものになるし、界隈の仲間もだいぶ離れていくでしょうけど、こうするのが一番いいのでは?」というアドバイスを送っているようにもみえます。

        ただ、百田・有本両氏が最初に大風呂敷広げすぎたのと、初手の段階から間違いを犯したという事実認識、さらにはその指摘に対する初動対応をミスった事実をいつまでも認めようとせず、小手先の言葉を重ねて糊塗しようとするから、どんどん状況が悪くなっていくばかり。文春やワイドショーが取り上げ始めて、世論の猛バッシングを受けていくという大事故になる前に方針転換できればいいんですが、これでは多分大事故になっちゃうんだろうな・・・。

        もしそうなれば、普段彼ら自身も悪罵を投げかけている「戦前の軍部の過ち」とやらを全く笑えない・・・。彼らに薫陶を受ける自衛官は少なくないみたいですし、特に海自空自は日頃過剰なまでに持ち上げられているんですが、彼らみたいな手合いにチヤホヤされていい気になってて本当に大丈夫なんですか??と心配になります。

        個人的には、「日本人は良くも悪くも、千年単位で全然変わってない」という認識ですので、偉ぶってる日本人のいつもの悪い癖が露呈してるいい例ですね、という感じではあるんですけどね。

  • 内容が正しいかどうかが問題なので、パクリパクられは正直どうでもいい。しかもパクられ元がwikipedeiaって商業作品ですらない。500ページの何パーセントよ。馬鹿らしい

    • あなたのような考え方をする者が現代の日本にごまんと存在することが嘆かわしいですね。モラルのかけらもない。

  • 百田氏と大川氏に百田川賞をつくってあげてはいがでしょう、谷田川さん

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