【日本国紀】谷田川惣氏、監修していたけど、「監修者」ではないと主張。「かんしゅうしゃ」で決着か

初転

本ブログでこれまで何度も言及してきた谷田川氏の監修問題ですが、本日、ご本人から『日本国紀』にどの様に関わったのか発表があり、おおよその解決を迎えたと評価できます。そこで本記事では、それを時系列に追いつつ決着に至るまでの流れを解説していきたいと思います。

『日本国紀』の謝辞で監修者の一人として数えられている谷田川惣氏、当初は自身が「監修」などしておらず「協力」程度だと言っていました。

しかし問題となるの謝辞には次のようにあります。

本書の監修にあたっては、久野潤氏(大阪観光大学講師)、江崎道朗氏、上島嘉郎氏(元「正論」編集長・ジャーナリスト)、谷田川惣氏(評論家)に多大なご助力をいただきました。 

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 508

普通に谷田川氏が本書を監修したと読めますし、事実、多くの方がそのように読んでいました。仮に谷田川氏が監修されていなないのに、監修したと書かれていることは、谷田川氏にとってむしろ不名誉なのではないかと思い、本ブログではこの問題を徹底追及してきました(関連記事リンク集)。

二転

監修してもいないのに監修したたかのように謝辞に書かれてしまうことは、谷田川氏にとって迷惑であるはずでし、読者に誤解を与える記述ですから、谷田川氏が百田氏に抗議しても良いはずです。事実その様な声が谷田川氏に集中しました。

これを受けて谷田川氏は、謝辞には「本書の監修にあたっては、○○氏に多大なご助力をいただきました」と書かれおり「監修していただいた」とは書いてないから、自分は監修者ではないと主張しはじめます。

先ほどの発言と併せて考えると、自分は「監修への助力」程度の協力であり、監修などしていないのだから監修者ではないという主張でしょう。

しかしこの理論は即座に崩壊します。というのも百田氏自身が、謝辞での「本書の監修にあたっては、○○氏に多大なご助力をいただきました」の言を「監修していただいた」と同義で理解しているからです(参照リンク)。よって謝辞に説かれた字義通りに読めば(何より著者の百田氏自身がのべているように)、やはり谷田川氏は監修者であると読み得ます。

三転

よって谷田川氏は「監修の助力だから、監修者ではない」という理論を使えなくなります。なぜなら、「監修にあたって~ご助力いただいた」とは「監修していただいた」と同義であることを百田氏自身が示したからです。

これを受けて、谷田川氏は、奥付に名前が載るほどの貢献はしていないから「監修者」ではない、と新説を主張し始めます。

そして自身が関わった具体的作業について次のように説明しています。

結局、監修してたんかい(笑)

最初に上げたツイートからも明らかのように、谷田川氏が『日本国紀』を監修していない旨を言い出すから、「名義貸し」ではないかとか話がややこしくなったわけです。結局、最初のツイートを翻意にして、ここでは監修したことを認めているのですから、本案件は名義貸しでもなんでもなかったことになります。本当に迷惑な話です。

かんしゅうしゃ

謝辞では監修に携わったと言及されているにもかかわらず「監修者」と呼ばれることを極端に嫌がり、その責任を負いたがらない谷田川氏、ご本人の申告通り「監修者」でないのなら、今後は混同が起きないよう「かんしゅうしゃ」と呼ぶことにします。

これまで本ブログで追及してきた谷田川氏の監修者問題は、結局、谷田川氏が「かんしゅうしゃ」として『日本国紀』を監修していたを認めたことで決着がつきそうです。

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【日本コピペ紀】Wikipediaやウェブサイトなどとの類似表現報告まとめ【日の丸すら】

2018.11.16

1 個のコメント

  • 監修
    [名](スル)著述・編集などを監督すること。また、その人。「辞典を監修する」
    デジタル大辞泉

    監督
    [名](スル)1 取り締まったり、指図をしたりすること。また、その人や機関。
    デジタル大辞泉

    助言した程度なら、監修ではないような気がします。
    辞書的な意味より広く監修と認める慣習があるのでしょうか。

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