当ブログに論破された谷田川惣氏、新たな理論を捏ねて奔走中【日本国紀】

不思議な谷田川氏

先ほど「監修に助力したけど監修者じゃない」という珍妙な理論を持ち出して、自身が「監修者」ではないと主張した谷田川氏ですが、当ブログによって既に紹介したように、この主張は百田氏自身の発言によって論理破綻してしまっています(リンク)。

つまり、「監修にあたり…ご助力いただきました」と百田氏が謝辞において述べていることは、百田氏が「虎ノ門ニュース」において述べたように、谷田川氏が「監修者」であったと意味で理解されるべき文脈です。普通の人ならそのように読みます。

新たな理論を捏ねる谷田川氏

この様に、谷田川氏の主張はあまりに非論理的でしたから、当ブログではその数時間後にこれを破折しました。しかしなぜか、どーしても「監修者」と呼ばれたくない谷田川氏は、次から次へと新しい理論を捏ねて「自分は監修者ではない(故にその責任は負わない)」という旨を強弁します。本日発表された二つ目の理論は次の通り。

初対面の一般人に対していきなり「無知」と言いつけてしまうとは驚きです。谷田川氏によれば「監修クレジット」は表紙と奥付に書かれ、謝辞だけに書かれることはないそうです。だから謝辞だけに「監修者」として書かれた自分には「監修者」の責任はないというのです。

そう思ってるなら最初からそう言えばいいのに、どうしてつい先ほどまで謝辞に「監修に助力」と書かれているから「監修者」ではないというような意味不明な理論を展開していたのでしょうか? ただ単に当ブログに論破されてしまったので新たな理論を見つけ出して来ただけのように見えてしまいます。

谷田川氏も「責任がないとはいっていない」「誤解する人が続出したら謝ります」と述べていた謎

常識的に考えて、謝辞に「監修者」として言及されている以上、それに見合う一定の責任を負うことが当然であろう様に思えます。事実、谷田川氏は、「監修の意味を解っているのか」という旨のツイートに対し、「責任がないとは言っていない」と述べています。

このツイートをした段階では、謝辞において監修者として言及されているいる以上、その責任を感じていたようです。また『日本国紀』を読んで、男系の意味を「父親が天皇」の意味で誤解する人が続出したら謝罪するとも述べています。

やはりこの段階では、謝辞に監修者としてクレジットされている以上、一定の責任が生じることを谷田川氏自身が認めているようです。

にもかかわらず、今日になって突然、謝辞に監修者として言及されているから「監修者」ではないと言い出す始末…いったいこの人の理論体系はどうなっているのでしょうか?

【まとめ】百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎, 2018)の関連記事まとめ

2018.11.17

【日本コピペ紀】Wikipediaやウェブサイトなどとの類似表現報告まとめ【日の丸すら】

2018.11.16

2 件のコメント

  • 正式に監修者というつもりではないけど、一応なんとなく監修の作業をやったから、校正ミスは謝りますということを言いたいのでは?

  • あ、それが問題だってこと?
    谷田川さんの言ってることを聞くと、そういうのは出版界ではよくあることだと言いたげなかんじだね。
    学術論文じゃなくて娯楽本なのだから、ギフトオーサーシップどうのこうので問い詰めなくてもよいのでは?

  • コメントを残す