【日本コピペ紀】「日の丸」の記述すらWikipedia【国賊】

 『日本コピペ紀』『日本ウィ紀』などと呼ばれるようになった、百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎, 2018)ですが、なんと、「日の丸」のコラムにすらWikipediaからのコピペのあることが指摘されました。

大変素晴らしい発見です。まさか「日の丸」にすらコピペがあるとは、彼らの愛国心の程度が知れるというものです。

比較テーブル

以上の指摘に基づいて、「日の丸」の記述に関する『日本国紀』とWikipediaの比較テーブルをつくりました。

『日本国紀』p. 257Wikipedia(2018.11.17)
日輪のマークは天下統一の象徴であり、源平合戦の折も、平氏は「赤地金丸」、源氏は「白地赤丸」を使用した。それ以降、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったとわれている。日輪は天下統一の象徴であり、平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる。
江戸時代には「白地赤丸」は意匠のつとして普及し様々な場所で用いられ、幕府は公用旗として使っていた。家康ゆかりの熱海の湯を江戸城運ばせる際には、その旗を立てている。「熱海よいとこ日の丸立てて御本丸へとお湯が行く」という唄生まれている江戸時代には「白地に赤丸」は意匠のひとつとして普及していた。江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に狩野派なども赤い丸で「旭日」の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。徳川幕府は公用旗として使用し、家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる際に日の丸を立てて運ぶなどした。そこから「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯が行く」という唄生まれたりした。

この比較からも明らかなように、百田氏はWikipediaの文章をコピペし、それを編集していることが手に取るように解ります。

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