【日本コピペ紀】『日本国紀』におけるWikipediaコピペの更なる証拠【柴五郎】


次々とWikipediaからのコピペが暴かれつつある『日本国紀』こと『日本コピペ紀』(または『日本ウィ紀』とも)について、既に本ブログではこの問題を何度も言及してきました。今回は桜ういろう氏から提供いただいた「柴五郎」のコラムに関する部分のコピペを検討いたします。

さっそく『日本国紀』とWikipediaとの比較をします。逐語的に一致する箇所があります。

『日本国紀』pp. 311-312
Wikipdeia(2018.11.17)

①凶暴な暴徒が各国大使館を取り囲む中、……柴は……他国軍と協力して……この前に柴は事前に北京城およびその周辺の地理を調べ尽くしており、さらには間者(スパイ)を駆使した情報網を築き、篭城の実質的司令官として活躍した。

暴徒が各国の大使館を取り囲み、日本公使館書記生の杉山彬やドイツ公使ケットレルが殺害される。柴は公使・西徳二郎の下で居留民保護にあたり、また他国軍と協力して60日に及ぶ篭城戦を戦い、その功を称えられる。……柴は事前に北京城およびその周辺の地理を調べ尽くしさらには間者を駆使した情報網を築き上げていたことから、各国篭城部隊の実質的司令官であった。
②「義和団の乱」の後、ロンドン・タイムス社説で「籠城中の外国人の中で、日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民はいない。日本兵の輝かしい武勇と戦術が、北京籠城を持ちこたえさせたのだ」と記したが、その功績は柴によるところが大きい。ロンドン・タイムスはその社説で「籠城中の外国人の中で、日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民はいない。日本兵の輝かしい武勇と戦術が、北京籠城を持ちこたえさせたのだ」と記した。なお、柴自身はアメリカ軍人が最も勇敢だったと評している。
柴はイギリスのビクトリア女王をはじめ各国政府から勲章を授与された。②事変後、柴はイギリスのビクトリア女王をはじめ各国政府から勲章を授与された。

多少の移動はありますが、Wikipediaを下敷きにして百田氏尚樹氏が多少の言葉の入れ替えをしただけの文章であることがお解りいただけると思います。

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