百田尚樹氏の大虐殺反論に見る、朝鮮出兵・キリシタン弾圧すら知らないトンデモ

大虐殺論争

昨日より、百田尚樹『日本国紀』において、「大虐殺」について記述に齟齬があるとTwitter上で話題になっていました。それは次のツイートです。

なるほど、確かに矛盾しています。しかも「日本の歴史的には大虐殺もなければ」と自画自賛しておきながら、実際には信長による「大虐殺」があったという点で、まことにオカシナ文章です。何千ものリツイートが得られている所以も、その滑稽さゆえにでしょう。

さてこれに対して、百田尚樹氏から反論が出ました。

……。「文学的修辞」という言い訳を主張し始めました。恐らく百田氏のこの指摘が発表されるまで、ファンを含めほとんどの人が、この指摘のようには読んでいなかったでしょう。まさか百田氏は自分のファンがバカだったと気がついたのでしょうか?

ましてストーリーテラーの肩書を語るくらいですから、誰にでもわかる文章に最初から仕上げてほしいものです。

百田尚樹氏の無知蒙昧

ところで、百田氏の「(海外に比べ)日本人は国家として、あるいは民族として大虐殺はしなかった」という再解釈の文章は、それでも尚おかしいです。

というのも日本史を知っていれば、国家やら民族が大量虐殺した事例や、宗教を原因とした弾圧は幾らでも見つかります。以下に数例あげます。

  • 文禄・慶長の役(豊臣政権vs朝鮮):捕虜の斬首8000人以上
  • キリスト教徒弾圧(豊臣・徳川政権vsキリスト教徒):犠牲者不明(元和の大殉教:55人、日本二十六聖人:26人など)
  • 島原の乱(徳川政権vsキリスト教徒ら):犠牲者37000人

もしかしたら百田氏にとってみれば、朝鮮人8000人程度なら大虐殺でもないし、神道・仏教に逆らったキリスト教徒がいくら惨殺されても大した問題ではないのかもしれません。

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4 件のコメント

  • ツッコミに対して
    (海外に比べ)とあとからいろいろ付け足してくるのは
    この手の人たちにありがちなことですので・・・。

  • 「日本の歴史に大虐殺がないと言いながら、織田信長による比叡山焼き討ちを日本の歴史上かつてない大虐殺である」
    との記述が矛盾していると突っ込まれて、百田さんは自身のツイッターで《日本史全体を振り返って、「(海外に比べ)日本人は国家として、
    あるいは民族として大虐殺はしなかった」という意味で書いた。141pで書いた信長の所業は、極めて例外的殺戮であり、言うなれば彼の個人的犯罪に近い。
    そういう文学的修辞が読み取れないバカがいるとは思わなかった》と反論したとありました。
    そこで、信長の比叡山焼き討ちなのですが、僧兵と戦っただけで比叡山焼き討ちはなかったとの説があります。

    “逆らう僧兵達だけでなく、オンナ子供も殺しに殺して、果ては比叡山に火を放ち……というのが従来の延暦寺焼き討ち事件説です。
    が、最近の発掘調査で意外なことがわかりました。
    焼き討ちをしていたとしたら当然出てくるはずの燃えた木材などがごくわずかにしか見つからないのです。
    加えて、何千人も殺していたとしたらこれまた出てくるはずの人骨も全く出土しなかったといいます。
    もし本当に「全山焼き討ち」及び「数千人を殺害」していたら、ブルドーザーも埋め立て技術もない時代にどうやってそれらを片付けたのでしょう?
    延暦寺焼き討ちの悲惨さを記録した資料を書いた人は、ほぼ全員その場にいない人なのです。
    「言継卿記」を書いた公家の山科言継(やましなときつぐ)も、「御湯殿上日記」を代々書いてきた朝廷の女官達も、皆伝聞を書いたにすぎません。
    伝言ゲームで話が誇張・脱線するのは今も昔も変わらないんですね。
    一応信頼度が高いといわれている「信長公記」にも書かれていますが、作者の大田牛一は「文才がありすぎて誇張が激しいのでは?」という傾向があります。
    その場にいなかったのに、本能寺の変については異常にリアルに書かれていますしね。“とありました。
    比叡山焼き討ちは捏造の疑いが濃いようです。

    百田さんは本当に勉強不足です。ネットで検索すればすぐ分かることです。
    信長をネットで検索すると「織田信長の祖先は古代イスラエル人だった!」と出てきます。
    “じつは信長の先祖は、福井県の「劔(つるぎ)神社」の神官であった(『劔神社沿革史』)。織田家の家紋「織田木瓜紋」(五つ木瓜紋)は、
    劔神社の神紋と同じである。劔神社は約1800年の歴史を持つ古社で、福井県「織田盆地」、福井県越前町「織田」の地にある。
    信長の先祖は劒神社で神官をつとめていたが、その神官とは「忌部氏」であった。町内には今も忌部姓や伊部(いべ/いんべ)姓が多く見られる。
    忌部氏は、古代日本に渡来したもっとも古い神道系氏族のひとつだ。“とありました。

    実は徳島には忌部神社というのがあり、天皇即位時の一代に一度の儀式である「大嘗祭」において、鹿服(あらたえ)と呼ばれる麻の衣を献上する大切な役割
    を代々担っていたそうです。また、
    忌部氏の磐境神明神社は、剣山の麓にあり、そこでは毎年7月17日に、神輿(古代イスラエルの契約の箱によく似ている)
    を山頂に担ぎあげる祭りが行われています。7月17日は、ノアの箱舟がアララテ山に漂着した日です。

    忌部氏の信仰は、磐境神明神社(徳島県美馬市)に見ることができます。これは忌部氏がつくった丘の上に自然石を積みあげた古代の礼拝所で、
    古代イスラエル人の「高きところ」と呼ばれる礼拝所に、とてもよく似ています。
    磐境神明神社を調査した元駐日イスラエル大使・エリ・コーヘン氏(大祭司アロンの直系子孫)は、
    「このように自然石を積みあげてつくった礼拝所は、古代イスラエルと同じだ」と語っています。
    神道はキリスト教の神を祀っています。信長がキリスト教を保護した理由が分かります。

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