『日本国紀』、「つくる会」元会長・西尾幹二にすら「戦後後遺症を今なお癒せないこの国の知性の歪み」と粉砕される。

問題の所在

さて、とうとう明るみになった百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎, 2018)の反日性、それは大変驚愕すべきものです。本ブログでも度々言及してきましたが、それらの要点をまとめれば次のようになります。

  1. 王朝交替説を認める。現在の皇室は、皇位簒奪者であり悪逆非道な第26代継体天皇から続くものであり、それ以前の王朝とは断絶がある。
  2. 魏志倭人伝の歴史性を高く評価し、それとは逆に『古事記』『日本書紀』の歴史性を低く評価する。邪馬台国が日本最初の統一王朝である。そして狗奴国が邪馬台国を打ち破って大和王朝を確立、さらにその後、熊襲が大和朝廷を滅ぼして権力を掌握した。
  3. 「男系」を「天皇の親が天皇」と理解してしまい、歴代天皇のうち数名を皇位不適格者認定して皇統を破壊する。

この三説は、いずれも記紀神話の時代から続く万世一系の皇室の正統性を根本から否定するものであり、いわゆる左翼・リベラル史観に基づくものです。

これまで本ブログでは、保守系知識人の言説を用いながら、この『日本国紀』がどのように保守論壇において位置づけられるのかを検討してきました。続いて検討するのは、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長を務めた保守の重鎮、西尾幹二氏との比較です。

魏志倭人伝は検討に値しない。

「自虐史観」や「東京裁判史観」を排した「新たな歴史教科書をつくる運動」の初代会長の西尾幹二氏は、『国民の歴史』(産経新聞社, 1999)という大ベストセラーを生み出したことでよく知られます。

そんな西尾氏は、「戦後後遺症を今なお癒せないこの国の知性の歪み」を糺すために、歴史を叙述するにあたり記紀神話の価値を非常に高く評価し、一方、魏志倭人伝の価値を低く見なします。例えば次のように述べています。

そうではなく、『漢書』や『魏志倭人伝』の「一見合理的にみえる」記述は歴史であって、『古事記』や『日本書紀』のばかばかしいつくり話にみえる神話は歴史ではない、と戦後簡単に決めつけられたことがはたして正しいのだろうか、と問うているのである。

 歴史家の悪弊西尾幹二『国民の歴史』産経新聞社, 1999, p. 119

そもそも『漢書』や『魏志倭人伝』は同時代者の反対証言を欠く。距離もあまりに遠すぎる。……とうてい一級史料ではない。われわれはこれらに絶対的証言価値を置くことはできない。これらに比べれば記紀神話のほうがはるかに内容的史料価値は高い。

 西尾幹二『国民の歴史』産経新聞社, 1999, p. 119

このような記紀と魏志倭人伝に対する態度は、百田尚樹『日本国紀』のものと全く異なっています。なんと百田氏は、魏志倭人伝を大変重く用い、一方で記紀を神話だと述べて軽視します。なんと「日本初の統一国家が邪馬台国であり、それが大和王朝になった、神武天皇は狗奴国の流れをくむ一族の出身」「『日本書紀』に、このような不自然な記述をする必要があったと考えられる」などと主張し、記紀に説かれた万世一系たる皇統の系譜が後代の捏造であると断定します。

このように、自国中心の中華思想に基づいて著された『魏志倭人伝』を一級の歴史資料として用いることは、「自虐史観」や「東京裁判史観」からの脱却を計る立場からすれば容認され得ないものです。この姿勢は「知の巨人」と唄われた渡部昇一氏も全く同様であり、『日本国紀』の如き史観を「『日本書紀』もきちんと読んでおらず、日本史が何もわかっていない」と一喝しています(参考)。

もちろん、西尾幹二氏もこのような史観には極めて批判的であり、魏志倭人伝を重宝するような研究など「戦後後遺症を今なお癒せないこの国の知性の歪み」と粉砕しています。

どうやら西尾幹二氏の理解に従えば、百田尚樹氏は未だGHQ史観に蝕まれているようです。

知の巨人・渡部昇一氏、百田尚樹『日本国紀』の傲慢を一喝。

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2 件のコメント

  • このタイトルは少し悪質。
    西尾氏が書評として「戦後後遺症を今なお癒せないこの国の知性の歪み」と述べたかのような書き方です。

    • それに渡部昇一氏が「日本国紀」を批判したかのような書き方ですね。「故渡部昇一氏が存命なら、こう批判したであろう」という意味だと思いますが誤解する人もいるでしょう。

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