小川榮太郎「LGBT騒動」に、いまさら思うこと——『真正保守の反論』という名のイジメられっ子のダダコネ本

小川榮太郎氏に捧ぐ

小川榮太郎氏が『新潮45』に、LGBT問題に関する記事を寄稿して大炎上し、それを載せた雑誌を廃刊にしてしまった事件は未だに記憶に新しい事件です。小川榮太郎氏はこれ以外にも、著書の中にウソがあるということで朝日新聞から訴訟を起こされています。

この様な騒動を起こす「問題児」であることは、論客にとって必要不可欠な才能の一つなのですが、小川氏のそれはあまりに前衛化し過ぎていて、現代には「遅すぎた」ようです。「早すぎた」ではない所以は、氏が伝統保守主義者を自称していることを考慮しての善意解釈です。

トンデモ騒動を次々と起こしてしまったためか、メジャーな論壇誌では『Hanada』以外からは声が掛からなくなってしまいました。言論活動以外でも、「放送法遵守を求める視聴者の会」のお金を流用した疑惑が浮上したりと、保守論壇から干されつつある状況です。

こんな状況でも見捨てない花田紀凱氏の男気には感服せざるを得ません。とはいえ朝日新聞から訴訟を起こされた『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』は『Hanada』と同じ飛鳥新社から出ているのですけどね…。

『真正保守の反論』

そんな数々の騒動の(小川氏から見た)顛末をまとめた書が先日刊行されました。その名も、

『真正保守の反論』

真性包茎を思い起こさせる素晴らしいタイトルです。あれだけ世間を騒がせた小川氏の新著、さらにキャッチーなタイトルとあっては、さぞかし売れているだろうと思いや、

全く売れていません。

紀伊国屋書店の売上データによれば、発売一週間(2月7日時点)でたった59冊。発売1週間で、あの新宿本店で3冊しか売れていないという驚愕の事実。

書籍販売で紀伊国屋の国内シェアは5%程と聞いていますから、日本全国で1200冊程度しかまだ売れていないことになります…。安倍首相の組織買いはまだなんでしょうか!?

今回はそんな全く人気のない『真正保守の反論』の中からも、最も話題になったLGBT騒動の箇所を取り上げて考察していきたいと思います。

この小川氏のLGBT騒動と言えば、LGBTの方々を痴漢犯と同列に扱うというそれこそトンデモ論としてボコボコに攻撃されたことで高名です。しかし、それに対する反論が発表されていることはあまり知られて(知っていても読んだことは)ないのではないでしょうか? なんと、長谷川町子『いじわるばあさん』を持ち出して自説を弁護するなど、非常に興味深い内容が記されています。

痴漢の触る権利を認めるべき

小川氏の論考で最も議論を呼んだのは次の一節。

LGBTの生き難さは後ろめたき以上のものなのだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾと尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。
満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく。

p. 182

痴漢は犯罪行為であり相手に迷惑をかけますが、LGBTは刑法にも何にも反しておらず、誰にも迷惑をかけていません。

また、「LGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショック」などと一方的に被害を申告していますが、そんなことを言いだしたら「同様に、非LGBTが論壇の大通りを歩いている風景は、LGBTの方々にとって(同じことをしたくても社会的に抑圧されており)死ぬほどショック」だということがどうして解らないのでしょうか。きっと死んでも解らないんでしょうね。

小川氏の反論

このように小川氏は、痴漢とLGBTを比較するなど言語道断なことをしでかして、これが大炎上してしました。

これに対する小川氏の反論は、「拙文を根本から誤読している」「私の文章に対する《蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない》誤読に基づく」という点に尽きます。

しかしこれは自分の非を他人に押し付ける卑怯な逃げ方であり、根本的に論理破綻しています。もし仮に小川氏の反論を是とするなら、日本にいるほとんどの人が「誤読」していることになりますから、その原因は偏に小川氏の文章能力の欠乏に他なりません。自身の文章能力が欠乏しているのに、相手の誤読を非難することなどできますでしょうか?

まず、小川氏は、『新潮』編集長・矢野優氏にイチャンモンを付けます。

矢野氏は《小川榮太郎氏は「LGBT」と「痴漢症候群の男」を対比し、後者の「困苦こそ極めて根深かろう」と述べました》と書いている。断るまでもないが、私はそんな主張をしていない。

p. 192

断るまでもないですが、既に見たように、小川氏は矢野氏が指摘した通りのことを言っています。小川氏は自分の書いたことを忘れてしまったのでしょうか?

また小川氏が指定する正しい読み方と言うのも、押しつけがましい後付け解釈です。

私が問題にしたのはLGBT個々の人ではなく、LGBTというカテゴライズの恋意性であり、杉田論文炎上で明らかになったように、LGBTがすでにイデオロギー圧力になっている事態である。該当箇所は、こうした恣意的なイデオロギー圧力を安易に追認すれば、それはついに社会が痴漢やSMを公的に擁護する事態をも再定できなくなるという文脈で語られている

p. 192

この様に読める人と言うのは、聖書のなかから地動説を見出すことができるくらい想像力が豊かなのでしょう。私は、LGBTを性的嗜好と矮小化する文脈で語られていると読みますし、それ以外に読み方があるのであれば教えていただきたいです。

また、社会が痴漢を公的に擁護する事態って一体何を創造しているんでしょうか? まさか森羅万象を司る安倍政権が痴漢を擁護するんでしょうか?

小説との比較における誤解

また小説に見られる「差別表現」を根拠にして自説を正当化しはじめます。

それを、矢野氏のように《「LGBT」と「痴漢症候群」の男を対比し》《人間にとって変えられない属性に対する蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現だ》などと言い始めたら、シェイクスピアはコネリルによって人間の目を抉ることを正当化しているのか、ドストエフスキーは『罪と罰』において売春婦を侮蔑しているのか、谷崎潤一郎は『鍵』で老人の覗きを奨励しているのか 。

p. 193

この人は小説と現実の違いが判らないのでしょうか? もちろん小説だから何を書いても批判されないというというわけではありません。しかし現実世界の現象に即した論文と、あくまで空想の世界を描いた小説とでは状況が全く異なります。

エログロナンセンスの小説は幾らでもありますが、それが社会的問題にまで発展しないのは、それが現実ではなくフィクションだと読者が解っているからでしょう。

もっとも小川氏のLGBT論文が異世界転生モノか何かであったのならば、確かに小川氏の言う通り我々の「認識不足」だったのかもしれません。

犯罪の概念

犯罪行為である痴漢と、非犯罪行為であるLGBTを対比させたことに対する弁釈として、犯罪の概念が流動的であったことを力説します。

あとでも触れるが、西洋社会では同性愛は長年犯罪であり、精神疾患扱いであった。逆に、私が擁護したとして非難轟轟となった「痴漢」の犯罪化は新しい。
《一八九〇年代以前は、性的な意味合いはほとんどといっていいくらい希薄であった「痴漢」という語が(略)一九三〇年代に現在のような意味になったということが明らかになった。それが社会問題化し、盛んに論じられるのは一九五〇年代以降であること、一九六〇年代以降は小説などでも「痴漢」が頻繁に描かれるようになること、なども明らかになった》(「痴漢」の文化史・「痴漢」から「チカン」へ/岩井茂樹『日本研究』No.49(2014)内容記述より)
とりわけ、痴漢=犯罪という認知の決定的な契機は、一九九五年の「チカンは犯罪です」という啓蒙キャンペーンである。痴漢が犯罪だという啓蒙が必要だったのが二十年前に過ぎない一方で、その前後まで欧米では同性性交は犯罪だったのである。

p. 225

何が言いたいのか不明瞭ですが、痴漢が犯罪化されたのは最近で、逆に同性性交はつい最近まで犯罪だったから、両者を比較することが許されると言いたいのでしょう。

しかしそんなことを言いだしたら、人権意識そのものが近現代の産物でしょう。すくなくとも現代において小川氏は論文を執筆した以上、現代の価値観に基づいて裁かれるのは当然の則です。

また、痴漢の犯罪化が最近のことだという小川氏の理解には問題があります。現在起きている「痴漢」を見れば、電車やバスにおいて見知らぬ相手に対して起きている場合がほとんどです。ですから、これら公共交通機関が普及するにつれて「痴漢」が顕在化・問題化したに過ぎません。

つまり古来から「痴漢」という行為が行われてきたが、それが犯罪化されたのが最近なのではなく、現代の生活様式の変容ととともに「痴漢」が顕在化・問題化しのたです。よって「痴漢」と「同性性交」を比較することは妥当でではないでしょう。

『いじわるばあさん』を引き合いに出す謎

また長谷川町子『いじわるばあさん』を引き合いに出して、自説を擁護するトンデモ論が最後の方に出てきます。

太った女の子が崖から飛び降りようとしている漫画がある。その女の子の自殺を辛うじて引き止めた男が、「美容体操で骨せないぐらいで……水泳がいいよ。あれはすっきりスマートになる」と女の子を励ます。その横でいじわるばあさんが口を挟む。「じゃあフグは? カバはどうよあんた?」。そして女の子はまた飛び降り自殺を図る(『いじわるばあさん』三巻十四ページ)。
ザーマスメガネを掛けた奥さんが、井戸端会議でしきりに夫自慢をしている。会社では仕事に精勤し、夜遊びもせずに帰宅し、晩飯のあとには皿洗いまでしてくれるというのである。それを聞いていたいじわるばあさんが一言、「じゃ、ホモだわきっと」。他の女房連は皆大笑いをする(三巻百六頁)。

p. 236

この漫画に対して小川氏は次のように主張。

この漫画は、昭和四十年代『サンデー毎日」に連載され、いまは朝日新聞出版から出ている。人権の大好きな二大マスコミが版元だ。
人を傷つける表現は表現ではないと息巻く矢野氏、星野氏、中村氏以下の諸君よ、出版元の朝日新聞に抗議し、連載した『サンデー毎日』の廃刊を要求したらどうだ。太った女性をカパやフグに譬える「常識を逸脱し偏見に満ちた」長谷川町子を差別主義者として告発し、故人になり代わって詫びてみせてみたらどうだ。
昭和四十年代の連載だから時代が違うと言うか。
寝ぼけてはいけない。
作品は、常に「いま」読まれるのである。長谷川町子の漫画は、いまの読者が読めば、平成三十年の表現として蘇るのである。
無論、こんなことを言い始めれば、古今東西の神話、宗教、文学の古典には、差別表現など無数にある。

pp. 236-237

明いた口が塞がらないレベルの駄論。おまえは小学生か(笑)

第一に、先ほども言いましたが、『いじわるばあさん』はフィクションです。現実世界とは切り離されたものであると読者は承知して読んでおり、現実世界の在り様に論及した小川氏の論文とは質が違います。もちろん小川氏が『いじわるばあさん』をノンフィクションだと主張するか、自説をフィクションだと主張しているのなら話は別ですが。

第二に、「人のわざ」で編み出された「人文」作品である以上、時代的限界・制限を受けるのは当然のことです。『いじわるばあさん』が発表当時炎上せず、今も炎上していない理由は、ひとえに当時の人権意識に叶ったものであるからであり、その時代的限界性を現代の我々も受け入れているからです。逆に、小川氏のLGBT論考が炎上した理由は、現代の人権意識に合致しないからです。

こんな小学生みたいな言い訳を捏ねるとは情けない。文芸評論家を自称しているのであれば、後から自説を再解釈するのではなく、最初から誰でも理解できるような文章になるよう「責任」を持つべきでしょう。

まったく本が売れていない理由は、小川氏自身が真っ当な反論をしておらず、話題にすらなっていないからではないでしょうか?

関連記事

小川榮太郎「ホモ・サピエンスから人に進化した!」「保守は私以外最早一人もいない!」と宣う

2019年2月5日

【小川榮太郎×籠池佳茂】干された保守の「慰め合い」という構図【安倍昭恵夫人から助けてあげてくれと頼まれていた!】

2019年2月4日

小川榮太郎氏、旧統一協会オピニオン誌で「少子化対策」を鮮明に語る

2019年1月26日

8 件のコメント

  • まだいたのかこの人。調子に乗って舞台から観客に飛び込んだけど誰からも受け止められなかった感ある。

  • もはや見苦しいだけなので、ちゃんと過ちを認めて謝れば一つ上の男になれるよ! って言ってやりたいです。

    真性包茎は切りゃ治りますけど、自称保守の連中の患っている謝ったら死ぬ病には付ける薬もないのだろうか…

  • LGBTの問題は右とか左とか関係ないのに。
    LGBT の人は右にも左にも一定割合含まれるわけでさ。
    右側のプラットフォームでLGBT 攻撃してる杉田とか小川って頭悪いな。一緒に仕事してる人を攻撃してる自覚は無いのかな。
    右側の住人の癖に右側の住居を破壊してどうするんだよ。
    その住居から追い出されて孤立してるのが今の小川。

  • 朝日新聞vs小川&飛鳥新社訴訟は、勝ち負けというより賠償額がどれぐらいか、という話になっています。
    訴状を読み直しましたが、どういう抗弁をしているのかまったく見当がつきません。
    そして花田さんは、最高裁まで小川さんとともに歩むのでしょう。
    たぶん1000万円を超えるであろう賠償額の原資を少しでも集めておかなければなりませんからね。

    訴訟が終結すれば、小川vs飛鳥新社の争いが起きるでしょう。切るのはそれからですかね。
    まあ、小川さんにおかれましては早めにネットワークビジネスという本業に戻るのが賢明かと思います。

  • 『森羅万象を司る安倍政権』に「小川先生のご本の広告がJR総武線・各駅停車の中吊りに復活して、国民の税金で爆買いされる世界をお願いします」とお願いしたいですね…
    「首相官邸はもしもボックスじゃありません」と断られますやら、「小川榮太郎氏は真正保守に非ず」と閣議決定されますやら…

  • コメントを残す