【呉座勇一×八幡和郎③】なおも「盗作」の言い掛かりを続けるコメントが発表される

八幡和郎氏による呉座勇一氏の盗作告発

先にFacebook上で八幡和郎氏が、呉座勇一氏が自身の書評を「盗作」「盗作に近い」と告発して炎上しました。

これを受けて当ブログは、この不正告発を詳細に検討し、その結果、呉座氏が八幡氏から何かを剽窃したことなど考えられないと結論付けました。この結論は、その後、呉座氏本人から提出されたスクショの日付(八幡氏の書評より以前に呉座氏も気付いていたこと)によって裏付けられました。

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八幡氏の発言は続く

このように、八幡氏の告発は完全な誤りです。

普通ならばここで、八幡氏は呉座氏に対して「憶断があった申し訳ない」「関係各位に迷惑をかけてしまったことを陳謝する」などとお詫びの言葉を述べて一件落着…のはずなのですが、保守論客の場合はそうはいかない。

八幡氏は、呉座氏から決定的な反証を突き付けられているのに、次のようにコメントし、自説を撤回せずそれを再解釈して逃れようとします。

本当の意味で盗作とは書いておらず」などと言い訳していますが、ではどの様な意味で盗作と言ったのでしょうか?

そして八幡氏は「百田氏のものが井沢氏の盗作とはいえないが似ているというて前提で、百田氏のが盗作だというならば、呉座さんのも同じように似てると言うことを指摘したまでです」と言っていますが、これは明確な誤りです。

そもそも呉座氏は書評の中で「盗作」という語を一度も用いていません。

たしかに呉座氏は「井沢元彦説をつまみ食い」「井沢説の強い影響」という表現を用いています。しかしこれは「盗作」とは異なる意味で用いられています。つまり呉座氏は『日本国紀』が井沢説の影響下にあり、学問的に見て内容に間違いがあることを述べているだけで、「盗作」といった倫理的問題には全く触れていません。

一体、誰が「百田氏の盗作だというならば」と言ったのでしょうか?

同じようなことを考えただけで「盗作」「盗作に近い」と表現する異様さ

さらに八幡氏は「偶然、同じようなことを考えたらしいというだけのことです」と弁釈していますが、その様な現象を「盗作」「盗作に近い」と表現してしまうのは、日本語として問題がありすぎるでしょう。

どうも八幡氏は「似ている」だけで「盗作」「盗作に近い」と認定してしまうようです。

八幡氏は大学教授をされているそうですが、まさか学生指導や学会で「あなたの説は、誰々のものと似ているね」と言わずに、「あなたの論文は、誰々のものから盗作しているね」と言っているのでしょうか? 不思議でなりません。

いずれにせよ八幡氏は、自身の盗作告発の言い掛かりを撤回せずに、再解釈して言い逃れようとしていることは明らかでしょう。

八幡書評と呉座書評は似ているか

ところで八幡氏は、自身の書評と、呉座書評とが幾つかの点で似ていると主張しています。しかし私にはこの両者が似ているとは、到底、考えられません。

八幡書評では、むしろ善意的な立場から百田説と自説との異同が焦点になっていますが、呉座書評では、批判的な立場から学界の標準説からみてどの様に井沢説(百田説)が問題であるのかを論じています。

よって両書評とも、その内容は完全にオリジナルのものです。

もし本気で八幡氏が「似ている」と思っているのであれば、その具体的な例を示すべきでしょう。

謝ると死ぬと噂の保守論壇

本ブログでも何度も言及していますが、保守論壇の一番悪い所は「間違い」だと解っても謝らず開き直ることです。「謝ったら死ぬ病気に罹っている」という噂すらあります。

今回の件で八幡氏は、この病に侵されているように思えます。思い込みで「盗作」であると言い掛かりをつけ、それを「拡散希望」とまでラベル打ったことは誹謗中傷でしかありませんし、著しく呉座氏の名誉を傷つけています。

一刻も早く八幡氏がお詫びの言葉を述べることを祈ります。

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7 件のコメント

  • これ八幡氏自身がコピペ本もどきの本をたくさん出してるからの発言では?
    流石に参考文献は載せてますか。
    オリジナリティがないのにやましい気持ちかあったんでしょうね。

  • 自虐が被害妄想に変わると、どうも反省や自戒は消えてしまい無謬が完成するみたいですね
    「信者」という表現が単なる揶揄を超えてると思うのはこういう部分ですね

  • いじめ被害者でさえ、「私に処世術面ばかりか道義的の落ち度があっただろうか?」と内省してしまう物です。
    いじめ加害者で言えば、主犯よりその取り巻きじみたご仁ですが、「いじめないといじめられる」というある意味現実的な判断というよりは、「自分たちが優秀なので衆愚から敵視される」といった、優生的な妄念なのでしょうね。

  • 八幡氏、facebookの元記事への追加コメントやtwitterでのつぶやきを読む限り、そもそもの動機は自己顕示というより、お仲間の久野氏が私に批判されたのが頭に来たようですね。百田氏擁護の発言はほとんどなく、一貫して久野氏を擁護していることが何よりの証拠。

  • 八幡さんという方は、歴史家や評論家としてみると、腹が立つけど、
    実際はただの官僚上がりの政治家のなり損ないだと思えば、 
    ただのかわいそうな人だというのが正しい評価だと思う。

    だいたい東大の法学部で優秀な成績って言っても、いい点取るために専門の試験で集団で試験対策用プリント作って共有してる人たちだから、どこまで信用していいんだかわかりませんしね。

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