【大発見】保守本で濫用される「プラモート氏発言」の参照元が、実は存在しなかったことが判明【日本コピペ紀】

海外の人が褒める日本人スゴイの系譜

最近の日本スゴイ本の特徴として、海外の人に「日本に感謝している」と話させるというものがあります。井上和彦『ありがとう日本軍:アジアのために勇敢に戦ったサムライたち』(PHP研究所, 2015)がその典型でしょう。

このようなとてつもなく恥ずかしいジャンルの元祖というべきが名越二荒之助によって著された著作の数々です。その中には日本に感謝しまくる「海外要人の賛辞」が、出典元不明確な状態で載せられています。

さらにこの「海外要人の賛辞」は、出典元不明確であるにもかかわらず、保守論壇界でなかばパブリックドメイン化して様々なところに無断転載されまくっています。

『日本国紀』で言及されるプラモート氏発言も、名越二荒之助『大東亜戦争を見直そう』 からの無断転載であることが指摘されてました。

【日本コピペ紀】プラモート氏発言もコピペ【保守論壇界の著作権・知的財産権への意識の低さを論ず】

2018.12.02

謎の詳細情報

このように『日本国紀』に言及されるプラモート氏発言は、コピペでしかないわけですが、実はコピペ元よりも詳しい情報が載せられています。

そうです。コピペ元の名越二荒之助『大東亜戦争を見直そう』には、掲載された年月日が載っていなかったのですが、『日本国紀』ではこれが記されているのです。次のように。

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」(現地の新聞サイアム・ラット紙、昭和三〇年十二月八日

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 447.

なんとタイの国立国会図書館で調査された方が現れる。

この『日本国紀』の情報を受けて、なんとタイの国立国会図書館で、サイアム・ラット紙の現物を調査された方が現れました。ほんとすごい。

なんと見つからなかったとのこと。

この点において『日本国紀』の記述は誤りであることは確実です。

『日本国紀』が何の資料をもとに「12月8日」と断定したのか解りません。もしかしたら、現物を入手していないのに参照元として記されている可能性も考えられます。ともかく、本当に参照元の資料を入手しているのであれば、次の刷で正確な日時に修正されることでしょう。

怪しい海外要人賛美集

名越二荒之助に端を発する、「海外要人が日本に感謝していた」という発言のほとんどは、誰もその現物を手にすることなく、コピペによって増殖しているのが現状です。

今回の調査を通して、プラモート氏発言自体が、実際には存在しない可能性も浮上しました。ともかく元記事が発見できないことには議論もできない状況です。

ちゃんと現物の確認をしてから引用してほしいものです。このような不正確な情報提示によって、歪められた歴史が伝えられてしまう恐れがあります。

【3%超え】Wikipediaなどからのコピペ量を計算してみた【日本コピペ紀】

2018.11.21

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2018.11.17

11 件のコメント

  • その中には日本に感謝しまくる「海外要人の賛辞」が、出典明確な状態で載せられています。

    で、いいんですか?

  • いつも楽しく眺めさせていただいています。
    『十二月八日』ですが、ククリット・プラモート氏の日本アゲ記事のタイトルのようです。
    『記事タイトル』を『記事の掲載日』と百田センセーが勘違いされたのかと…(その意味では12月8日周辺の記事を探しただけでは記事の不存在の証明としては不十分になってしまいますが)
    なお、元ネタはもちろん真珠湾攻撃の日=日本がアジアのために立ち上がった日、ということのようです。
    また、ツイートされている方も何人かいましたが、本件の記事の真偽については国立国会図書館も匙を投げています。
    http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000237913
    存在しないではなく、あくまでも確認ができない状態ですが。
    どちらにしても、タイの首相ではなくて数十年後にタイの首相になった新聞記者のコラムですね…。

    長文失礼しました。
    http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000237913

  • >『日本国紀』が何の資料をもとに「12月8日」と断定したのか
    一番可能性が高いのは、まず「月日」については、プラモートが書いたとされる署名記事の【題・タイトル】が、名越二荒之助によれば 『十二月八日』(①)だから、百田氏はそれを【掲載日】だと勘違いした。

    次に「年」については、戦後・昭和30年に中村明人氏(元駐屯軍司令官)がタイを訪問したさい、プラモートが同紙に①とは別の記事②を書いている。内容は「中村氏及び彼の指揮した部隊への賛辞」を含むコラムだったとのこと。
    そのため、この中村訪問の昭和30年に①が(or①も)掲載されたと勘違いした。

    「年」と「月日」を勘違いミックスしたのが百田氏なのか、すでにミックス後のソースからコピペったのかは判りませんが、上記のような混合勘違いから「昭和三〇年十二月八日」付が生じたのではないかと思います。
    また、タイの新聞からの引用であるのに『日本国紀』では出典日付が “和暦で漢字表記” されていることを考えても、一次資料にまったく当たらず、名越の翻訳題名『十二月八日』に引きずられただろうことが透けて見えます。(例の日付間違いしている朝日記事引用では西暦でアラビア数字表記だった。)
    これが百田尚樹 渾身の筆の揮い方。

    詳しくは、ちょっとややこしいけど こちらをご参照下さい。
    http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000237913
    (参照先は早川氏ツイートで知りました。)
    https://twitter.com/hayakawa2600/status/1062497825278160898

    (以下、公正)
    × このとうなとてつもなく恥ずかしい
    ○ このようなとてつもなく恥ずかしい

  • いつも楽しく眺めさせていただいています。
    『十二月八日』ですが、ククリット・プラモート氏の日本アゲ記事の”タイトル”とされているようです。
    『記事タイトル』を『記事の掲載日』と百田センセーが勘違いされたのかと…(その意味では12月8日周辺の記事を探しただけでは記事の不存在の証明としては不十分になってしまいますが)
    なお、日付の元ネタは真珠湾攻撃の日=日本がアジアのために立ち上がった日、ということのようです。
    また、ツイートされている方も何人かいましたが、この記事の真偽については国立国会図書館も匙を投げています。
    http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000237913
    存在しないではなく、あくまでも確認ができない状態ですが。
    どちらにしても、タイの首相ではなくて数十年後にタイの首相になった新聞記者のコラムですね…。

    長文失礼しました。

  • いつも楽しく眺めさせていただいています。
    『十二月八日』ですが、ククリット・プラモート氏の日本賛美記事の”タイトル”だとされていた記憶です(真珠湾攻撃の日ですね)
    『記事タイトル』を『記事の掲載日』と百田センセーが勘違いされたのかと…。

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