天皇陛下、平成最後のお誕生日。沖縄を憂い、皇后と国民に声を震わせて感謝の気持ちを述べる。

平成最後のお誕生日

過日、85歳の誕生日を迎えて天皇陛下のお言葉が発表されました。書き起こしは宮内庁のホームページにて、動画はYoutubeなどで公開されています。

時に言葉を詰まらせながら語られる御姿に感銘を受けた方も多いのではないでしょうか。

沖縄について

特に、沖縄については長く言及され、時に感極まっておられました。

そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

ここであえて「私ども」と複数形で用いたのは、自分だけではなく国民の多くが沖縄の過去のみならず、現在も複雑な状況下にあることを嘆かれているのでしょう。

陛下の沖縄へ思い入れが強いことは度々報道されています。沖縄復帰後の県知事を務めた屋良朝苗氏が無くなると、異例の献花をしたことはよく知られます。

皇后へのお言葉に声を震わせる

お言葉のなかで、これまで長らく付き添ってこられた皇后陛下に言及する際にも、声を震わせていました。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。

こういうところにこそ、陛下の人間としての温かみを感じざるを得ません。

皇室は自身のことを殆ど語りませんが、このようなお言葉の節々に、その長年にわたり乗り越えられてきた苦労と、皇后陛下との間に結ばれた信頼の強さを窺い知ることができます。

国民へのお言葉に声を震わせる

また国民に感謝を伝える箇所でも声を震わせていました。

天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労いたく思います。

総括すれば、陛下にとって平成という月日は、災害や紛争などさまざまな苦難が世界を覆うなか、日本という国家が平和と繁栄のうちに過ごせたことに安堵せられているようでした。

このような陛下の発言を聞いて、思うことは、皇室の方々は極めて常識人であり、配慮の行き届いた発言をされていることです。決して傲慢にはなりません。これが現皇室が国民から高い支持を受けている理由でしょう。かつて棋士の米長邦雄氏が、園遊会で「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と陛下に言ったところ、陛下は「やはり強制になるということでないことが望ましいですね」とお答えになったそうです。ナショナリストよりもよほど陛下の方が常識人であることの好例でしょう。

つぎの御代も平和と繁栄が続くことを記念してやみません。




2 件のコメント

  • 陛下のご発言の全文を読みましたが、沖縄の事、陛下は飽くまでも「寄り添う事」しか出来ない中、自分が国民としてどういう立ち位置を取れば良いのかが分からず、苦悩しています。

    ろだんさんの意見とは全く相容れないかもしれませんが、私個人は「将来的には米軍には全て出て行って頂き、代わりに自衛隊を入れ替えで配備する」事が沖縄県民の負担軽減と領土防衛の両立の意味でも望ましいのではと考えています。自衛官にも基地周辺に御迷惑を掛けるバカがいない訳ではないですが、少なくとも何かやらかしたら国内法できちんと裁きを受けさせる事が出来るだけ、現状よりはるかにマシになるのではとは思っています。また、沖縄戦の戦史を自衛隊として再度研究し、不幸にも再び沖縄に戦火が迫ったとき、どうすれば県民を巻き込む過去の失敗を繰り返さずに済むか、徹頭徹尾対策を検討して制度や装備を整え、その上で堂々と米軍に退去して頂けばよい・・・とも思うのですが、私のような意見を言う人が現状保守界隈にも政治家にもほぼ見受けられないのが残念でなりません。辛うじて小川和久氏が「全部自前でやった場合、年間20-25兆円前後掛かる」という数値的なデータを示してくれている程度でしょうか。GDP比の問題があるなら、なんとかこの必要経費を受容できるところまで経済を発展させる事を目標にしましょうよ、とも思うのですが・・・。

    陛下のご発言の中で他に注目したのは、日系移民の過去の苦労と現地住民の受容に触れる形で、将来日本に多数訪れるであろう外国人移民に、これから日本人としてどう向き合うかをそれとなく問い掛けられているところです。保守界隈、特に排外的な動きや意見表明を行っている人間は、陛下の問い掛けをどう思うのでしょうか・・・。私は陛下のご意思を尊重したいと思いますが、私自身に外国人移民と賃金競争になった場合にそれを乗り越えていけるだけの自信が無く、これから社会に出て行く若者や子供たちがこのような競争の矢面に立たされてしまうことへの懸念も強くあり、陛下のご意思に添いきれず経済的に力尽きてしまう可能性の方が高い気がしており、陛下に対し本当に申し訳なく感じている次第です。

  • >このような陛下の発言を聞いて、思うことは、皇室の方々は極めて常識人であり、配慮の行き届いた発言をされていることです。決して傲慢にはなりません。これが現皇室が国民から高い支持を受けている理由でしょう。

    皇室の方々は全員嘘吐きの売国奴ですよ:

    「昭和天皇とダレスと吉田茂」

    戦後の「日米安保条約」は、どのような政治政策過程を経て決定したのか?昭和天皇と吉田茂は必ずしも同じではなかった。米軍基地の無条件延長を主張していたのは、米国側のダレスであり、日本側でそれを主張していたのは、吉田茂ではなく、昭和天皇であった。

    吉田茂が、サンフランシスコ行きを逡巡していたのは、「安保条約調印式」に出たくなかったからだ。しかし、吉田茂の態度が一変する。昭和天皇との「謁見」である。昭和天皇は、吉田茂を呼びつけ、厳しく説教したと思われる。

    「米軍基地無条件延長」と「沖縄切り捨て」を主張する昭和天皇の「リアリズム」を、今の時点でどう評価するか、なかなか、単純な問題ではない。大問題であろう。
    http://yamazakikoutarou.hateblo.jp/

    ▲△▽▼

    (通称)沖縄メッセージ

    (昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」)
    http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/law_war/okinawa_message.html

     ■ (参考) (通称)沖縄メッセージ(昭和天皇のマッカーサー元帥に宛てた「米軍による沖縄占領状態を長期間継続させることを依頼するメッセージ」)

     1947年9月に、昭和天皇は米軍が沖縄や琉球列島のその他の島に米軍が占領状態を50年間より更にもっと長期間継続させることを希望する天皇の考えを示し、当時、天皇の御用掛であった寺崎英成が占領軍の政治顧問のシーボルトの事務所を訪れて考えを伝え、ワシントンのマッカーサー元帥にその内容を送ってもらうように依頼したものである。  その文章の記録が残されている。

     しかし、1946年11月には日本国憲法が公布され、既に象徴天皇が確定し、天皇は政治的な権力を行使できない立場になっていたのであるが、それにも拘わらず、政府を通さずに、個人の利益のために直接アメリカ側に政策要望を出していたことになる。

     ワシントンで公文章の公開となったものが沖縄県の公文書館にコピーとして保存されている。(注)  その内容は次のようなものである。

     筆者の意訳で概要説明する。
     1947年9月20付けのシーボルトからマッカーサー元帥宛の文章を、シーボルトがワシントンの国務長官宛に「将来の琉球列島に関する天皇の考え」と題して、1947年9月22日付けで至急の封書に同封して送っている。

     尚、この後に寺崎が10月3日にシーボルトに会った際に、シーボルトは、陸軍省の意見として、沖縄をアメリカが自由にするとし、国務省の意見は定まっていないことを伝えている内容が書かれている。 (「寺崎御用掛日記」(寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー著)文藝春秋 )

    (シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた手紙の内容)
                                                  1947年9月22日

    標題:将来の琉球列島に関する天皇の考え

      国務長官宛

      拝啓

       私は、1947年9月20日付けのマッカーサー元帥に宛てた私の説明のコピーを同封致しております。そのコピーの内容は、
      天皇のアドバイザーである寺崎が、彼の要望で私のオフィスを訪れてきて、彼と話した内容の要旨を記録したものです。
       その内容は、日本の天皇は、沖縄や琉球列島のその他の島々へのアメリカ合衆国による軍事的占領を継続することを
      希望しており、その要望は、疑うべくもなく、天皇自身にとって大いに利することになることに基づくものであるという
      ことがわかるのである。天皇は、また、これらの島々の米軍による占領の継続が、長期間の賃借契約の方式によること
      を思い描いている。天皇の意見によると、それによって、日本国民は、きっと、アメリカ合衆国には下心がないと納得
      するようになり、アメリカ合衆国が軍事の目的のために占領することを喜んで受け容れることになるであろう。という
      ことである。
      
                                                         敬具

                                                    W.J.シーボルト

    (シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた手紙に同封したメモ内容)
                                                  1947年9月20日

      マッカーサー元帥宛のメモ

       天皇の顧問の寺崎英成が、将来の沖縄に関しての天皇の構想を私(シーボルト)に伝えるため訪れた。
       寺崎は、天皇が米国が沖縄や琉球列島の島に軍事占領を継続することを希望していると述べた。 
       天皇の考えは、そのような占領は、米国にとっても有益であり、日本にも防護をもたらすことになるだろうというもの。 
       天皇は、そのような行動は、広く日本国民に受け入れられると感じている。国民の間では、ロシアの脅威があり、また、
      占領が終わった後に、左翼や右翼のグループの台頭もあり、かれらが事変を起こしかねないし、それをロシアが日本の
      内政干渉のために利用する可能性もある。 
       天皇が更に考えるには、沖縄の占領(他の島の占領も必要かもしれない)が、日本の主権は残した状態で、25年や50年間、
      いや、更に長期間の賃借の形態に基づくものになるであろうということである。
       天皇は、このような占領政策によって、日本人にアメリカが琉球列島に関して恒久的な意図が無いように思わせるので
      あり、他の国、例えば、特にソ連や中国が同様な権利を要求することをそれによって止めさせることになるという。
       手続きに関して寺崎が思うには、沖縄や琉球列島内の他の島における軍事基地の権利獲得については、日本と連合国の
      講和条約の一部にする方法よりも、むしろ日米間の二国間の条約によるべきであるとする。
       寺崎が思うには、連合国との講和条約の一部にする場合は、かなり強制的な平和条約の様相になることが察しられ、将来、
      日本人のことを同情的に解するなど危機的になるだろうと。

                                                    
    ▲△▽▼

    April 29, 2017

    天皇メッセージ発見者・進藤栄一氏に聞く 「苛烈な現実 今も」 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

    http://ift.tt/2oRPQmn

    「天皇メッセージは、1947年9月に宮内庁御用掛の寺崎英成が米国側に伝えたものを米本国に送った報告電文で、昭和天皇がすすんで沖縄を米国に差し出すという内容だった。昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏付けられた。昭和天皇実録でも確認されている」

    ―当時の背景は。

    「まだ占領軍内で沖縄をどうするか意見が分かれていた。軍事化を進めて共産主義の対抗基地に使うというタカ派と、日本の民主化を進めることが平和構築につながるとするハト派が拮抗(きっこう)していた。そこへ天皇メッセージが出て来て、それを軸に占領軍内での沖縄の位置付けが反共拠点として要塞(ようさい)化すべきだというものへと明確化していった。それが天皇メッセージの歴史的意義だ」

    「さらに翌48年2月に寺崎が2度目の天皇メッセージを届ける。その中で『南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含め』て反共防衛線をつくるべきだと提言する。最も恐るべきは日本の共産主義化だと。これは戦前以来の発想だった」

    ―沖縄は日本から切り離され米施政権下を経て72年に日本に復帰した。だが米軍基地の集中は変わらず、基地の自由使用など“軍事占領”ともいえる実態は今も続いている。

    「沖縄が日本に復帰した後も米軍基地は残り、逆に強化されている。これは天皇メッセージに始まる沖縄の苛烈な現実の帰結だ」
    https://kuantan.me/2017/04/29/april-29-2017-at-0501am/

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    天皇メッセージ

    「天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」GHQシーボルト外交局長

    「屈辱の日」と天皇メッセージ 沖縄切り捨て、差別の原点 – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

    http://ift.tt/2pi9jiJ

    ソ連侵攻の防衛線に 昭和天皇 48年、2度目のメッセージ

    1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効してから28日で65年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。

    米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、翌48年2月に2度目の“天皇メッセージ”といえる考えが天皇側から米軍側に伝えられていた。皇室と連合国軍総司令部(GHQ)との連絡係を務めた宮内府御用掛の寺崎英成氏が、ソ連の侵攻に備え「琉球」を含む日本列島からフィリピンを防衛前線とする考えを米側に伝達していた。

    共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという施策を積極的に展開していた「天皇外交」の姿が浮かび上がる。

    寺崎氏は、GHQのウィリアム・シーボルト外交局長に対し「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、そして可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶ」のが現実的施策だとする考えを米側に伝えた。

    寺崎氏の提案を受けシーボルト氏は、米本国への電文で「寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」と説明し、天皇側の意向を反映したものだとの認識を示した。
    https://kuantan.me/2017/04/30/april-30-2017-at-1210pm/

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