山本一郎氏の『日本国紀』書評を読んで——続々報じられるコピペ問題

毎日新聞に続きYahoo!ニュースに

毎日新聞に続き、Yahoo!ニュースにおいても『日本国紀』のコピペ問題が取り上げられました。記事は「切込隊長」の異名を持つ山本一郎氏によるものです。

長文ながら非常によくまとまっていると思います。しかし、『日本国紀』が出版された前提条件について、当方と見解を異にするためその点を明らかにしつつ感想を述べたいと思います。

日本国紀における二つの論点

山本氏は『日本国紀』には二つの論点があると言います。

問題とされる論点が複数併存しているのですが、大きく分けて「それは歴史的に正しいか、歴史を題材にした本は正しくなくても売れればいいのか」という話と、「Wikipediaなど既存のネット文献をそのままコピペし剽窃することは望ましいのか」という話とに大別されるかと思います。

つまり、

  1. 歴史認識問題
  2. コピペ問題

の二つです。このうち、①「歴史認識問題」についてはこの類の歴史書が刊行される度に必ず議論されるものですが、②「コピペ問題」は本書特有の問題です。

「歴史認識問題」と「歴史書」「歴史小説」

山本氏は、まず「歴史認識問題」について次のように述べます。

前者の「歴史的に正しい内容ではない」という指摘については、……平行線をたどるタイプの議論ですので問題視したところで結論が出ることはないと思います。

これは別の記事でも書きましたが、当方と同じ見解です。歴史的事実の正しさを議論しているようで、実際にはイデオロギー合戦でしかないため、相手が納得することは殆ど有り得ません。

また山本氏は、『日本国紀』のジャンルが「歴史書」ではないと次のように言及します。

歴史的読み物として読者の読みたがるものを面白く読み解かせる司馬遼太郎さんのような歴史小説、講談のようなものと『日本国紀』は判断するほうが正しいのではないかと思うわけであります。

「あれは歴史の学術的には正しくないエンターテイメント本なのだ」という説明書きをして線引きをしておくことが求められているのではないか、と感じます。

確かにこの見解にも一理あります。しかし司馬遼太郎は自著を「歴史小説」だと認識していたのに対して、百田氏は『日本国紀』を「歴史書」と認識しているところに決定的な相違点があると思います。 百田田氏は、刊行前に次のように嘯いていました。

あくまでも仮想敵は歴史学者であり歴史教科書なのです。編修の有本香氏も「歴史戦の狼煙」などと吹聴していました。

したがって制作サイドにおいて『日本国紀』は「歴史的事実を記した通史」と強弁されている以上、読者側が善意的(批判的)にあえて本書を「歴史小説」「講談」「エンターテイメント本」として読む必要があるのかな?と思います。

『日本国紀』などという仰々しいタイトルではなく、『痛快!百田尚樹が語るニッポン!』とか軽めのタイトルにしていればこのようなことは起こらなかったでしょう。

「コピペ問題」「コッソリ改変問題」と出版倫理

加えて、続々明らかになっている「コピペ問題」「コッソリ改変問題」については次のように述べています。

事実だとするならば、幻冬舎は校閲やリサーチャーがいなかったのだろうかと心配になるレベルです。

常識的には著作権者との話し合いを進めつつ全面改訂するか、一度回収する段取りを進めるべき事案のようにも見えます。

また、指摘をした有識者やネット住民に対して不思議な戦闘態勢で百田尚樹さん側が応戦しているように見えることです。常識的な対応として「そういう風に見られたら本意ではありませんが、指摘は一部ごもっともなので修正いたします」ぐらいの回答をされたのであれば「次からはよろしくね」で済むべきところが、なぜか関係者がみんな開き直っているのでバッシングがやまない状況になっています。

ここまで痛烈に百田氏(および幻冬舎)の対応を難じたのは、識者書評ではこれが初めてではないでしょうか?

この点については当方も全く同意見であり、百田氏・有本氏は開き直るのではなく、事実を受けとめて真摯に謝罪すればよかったのではないかと思います。しかし、それができないのが保守論壇の異常さでしょう。中核派のYoutubeチャンネルに関する記事でも書きましたが、先鋭化した思想も持ち主は、社会常識を全く身につけていない場合が多々あります。

常識的に考えればこんな百田氏の対応を見れば怒りを覚えるのが普通なのですが、いまもなお信者は多くいます。『日本国紀』を通して左右共闘が見られ、一般人と信者との社会的断絶が際立ったように思えます。

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5 件のコメント

  • 百田さんと信者さんが批判すべてを「嫉妬」として片付けようとしていますね。
    何でもかんでも根拠なく嫉妬だとするのは滑稽ですが、批判に対する異常な恐れが根底にあるのでしょう。批判を受け止めたら心がズタズタになって精神崩壊してしまうのか…
    ただ、少なくとも百田さんは著名人なのですからメンタルを鍛えていただきたい。

    • 常識外れな理屈をこねくり回してでも擁護する方々というのは、
      本書を、いわゆる「歴史戦」の「最前線」と捉えているのかも。
      ここで自虐史観やWGIPの洗脳者達などに負けるわけにはいかない――。
      百田氏のような前線指揮官の下で戦っては玉砕必死だと思うのですが。

  • ろだん氏の言う通り。
    本書のジャンルを「娯楽読み物」と捉え史実的誤りを問題視しないのは読者各位自由だが、少くとも事前のそして現在も続く宣伝内容からしてもそれは論外。フリーライター角岡伸彦氏ブログの百田『殉愛』裁判傍聴記によれば、確定した判決文中で次のような指摘がなされている。

    >『殉愛』は「純愛ノンフィクション」という宣伝の下に販売され、
    >イニシャル以外の登場人物には全て実名が用いられていることをも勘案すると、
    >原告に対する社会的評価の低下の程度は大きなものであったといわなければならない
    http://kadookanobuhiko.tumblr.com/archive

    事実と宣伝して売ったのだから他人の名誉を傷つけた責任はより重いとの判断。
    ならば今回も当然、こう大々的に宣伝して売ったのだから…

    >一家に一冊、日本通史の決定版!(帯・宣伝POP)
    >教科書では学べない日本通史!(新聞広告)
    >(ネット上での大言壮語etc)

    歴史書として批判することこそ正統で、娯楽作として論評するのは傍流の営みなのだ。

  • 歴史書を謳ってる以上、歴史書としての体裁が整ってないとコピペ問題を叩き続ける事も必要ですが、歴史的な事実の正しさもイデオロギー合戦と切って捨てず、きちんと学術的成果から否定し続ける事が大切かと思います。
    他の記事で例に挙げていた太平洋戦争が解放か侵略かなんて前者の見解を取る事が学問的には無理筋すぎて研究史上一度も学者の間では対立項になった事はないはずなのですが、歴史を資料のつまみ食いによる物語として描く人達と歴史の専門家の論争は50年くらい続いてるんだから古くて新しい問題なわけで解決はなかなか難しいのかもしれませんが。

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