【靖国神社】御親拝を希う保守論壇の怠慢を駁する——なぜ「卜部亮吾侍従日記」を等閑に付すのか(別冊正論33『靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』2018)

天皇陛下の靖国不参拝

昭和天皇は1975年を最後に靖国神社へ行幸しなくなりました。

この原因には大きく分けて次の二説があります。

  1. 【私人・公人】1975年の三木武夫首相参拝時に公人か私人かの問題が取り上げられた。天皇行幸は公人・私人の区別が困難なため、これを配慮した。
  2. 【A級戦犯合祀】1978年にA級戦犯が合祀されたことに不快感を覚えた。

このうち①を是とする根拠は何もありませんが(単なる希望的憶測)、②を是とする根拠には「富田メモ」と「卜部亮吾侍従日記」の二つがあります。

よって、普通の常識的判断に基づけば、「A級戦犯合祀」を原因として、昭和天皇は靖国行幸を取りやめた可能性が高いわけです。

しかし保守論壇界は、A級戦犯を合祀した靖国神社に天皇御親拝をいただきたいと考えているため、どうしてもこの 「A級戦犯合祀説」を認めることが出来ず、これを色々な方途をもって論駁しようと努力しています。

別冊正論33『靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』2018

そんな中、過日、別冊正論33『靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』(産経新聞社, 2018)が刊行されました。来年には御代替わりがあるためこれを見越して、「次期天皇陛下(現:皇太子殿下)の靖国行幸をたまわりたい布石かな?」と思いこれを読みました。

もちろん別冊正論ですから、「A級戦犯合祀説」を排撃するのですが、これが全く説得的ではなく、期待外れ。保守論壇は一体何をしているのか。

というのも、「A級戦犯合祀説」を裏付ける根拠には、「富田メモ」と「卜部亮吾侍従日記」の二つがあります。よってこの根拠を二つとも論駁しない限り、「A級戦犯合祀説」を排除することはできません。

にもかかわらず、『靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』に収載された諸論文は、いずれも「富田メモ」だけ批判し、もう一つの「卜部亮吾侍従日記」には全く触れないままです。これでは全く反論なっておらず、「A級戦犯合祀説」が排除できないことを言外に認めているようなものです。

参考までに以下の箇所で「富田メモ」が批判されています。

  • 寺島泰三×水落敏栄×櫻井よしこ「平成の御親拝なければ日本国の危機だ」pp. 54-56.
  • 小堀桂一郎「御親拝の実現を熱願する:行幸への障害は除去出来てゐる」 pp. 101-105.
  • 黒鉄ヒロシ「『空の靖國 海の靖國 陸の靖國 心の靖國』」pp. 139-141.
  • 編集部「今、解き明かされた松平宮司証:昭和天皇親拝が途絶えた本当の理由:靖國を利用した宰相や官僚の罪咎」pp. 150-170.
  • 中静敬一郎「国民一丸で東京裁判受刑者の名誉回復:昭和天皇「自らの名において戦犯なし」と明言」pp. 293-295.

なぜ「富田メモ」だけが取り上げられるのか

このように「富田メモ」だけ取り上げられる理由は、それが難癖をつけやすいものだからです。現物と書き起こしをあげますので、それを見れば瞭然です。

別冊正論33『靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』p. 103より転載

私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ

「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」日本経済新聞, 2006.7.20 朝刊1面(1988年4月28日付けのメモ)

松岡」と「白取」とはA級戦犯で合祀されている元外務大臣の松岡洋右と白鳥敏夫のことであるとされます。「筑波」とはA級戦犯の祭神名票を1966年に受け取りながら合祀しなかった靖国神社宮司の筑波藤麿のこと、そして「松平の子の今の宮司」とはA級戦犯を合祀した松平永芳と考えられます。そして最後の「あれ以来参拝していない それが私の心だ」という一文に、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を抱いた故に参拝しなくなったという強い意志を感じ取ることができるでしょう。

しかしながら、メモは走り書きの様なものですし、文意も曖昧です。確かに如何様にも解釈可能な余地を残しています。だからこそ、保守論壇はこの曖昧な点を突いて「富田メモ」の資料的価値を否定しようとするのです。

なぜ「卜部亮吾侍従日記」が取り上げられないのか

もう一つの根拠として、昭和天皇と香淳皇后に仕えた侍従卜部亮吾が残した日記があります。こちらはより明快に、A級戦犯合祀への昭和天皇の不快感が示されています。

「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」

『卜部亮吾侍従日記』朝日新聞社, 1988年4月28日の日記

「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」

『卜部亮吾侍従日記』朝日新聞社, 2001年7月31日の日記

「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」

『卜部亮吾侍従日記』朝日新聞社, 2001年8月15日の日記

このように「卜部亮吾侍従日記」の記述は単純明快であり、解釈を要しません。ゆえに此れを排除することはほとんど不可能です。

つまり『靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』に収載された諸論文は、この「卜部亮吾侍従日記」を取り上げてもそれを排除できないため、あえてこれを等閑に付したのでしょう。

保守論壇は「A級戦犯合祀説」を破折できていない

以上から明らかなように、靖国神社への昭和天皇不親拝は、「A級戦犯合祀」を原因として起きたと考えられます。

靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝』に収載された諸論文は、「A級戦犯合祀説」を厳しく非難しています。しかし、その最大根拠である「卜部亮吾侍従日記」をあえて等閑に付すという愚を犯しています。全くをもって怠慢でしかなく、本書のタイトル「天皇御親拝」は欺瞞でしかありません。

このように資料に向きあわず、歴史を顧みず、剰え陛下の大御心を察せないようでは、靖国御親拝が叶うことは永久に無いでしょう。昭和天皇が仰られたように「親の心子知らず」(富田メモ)とはまさにこのことでしょうか。

【トンデモ】靖国英霊と我々はテレパシーで繋がっている(武田邦彦|別冊正論33『靖國神社創立150年:英霊と天皇御親拝』「靖國に英霊はおられるか―の科学的結論」2018)

2018年12月21日



10 件のコメント

  • 富田メモの書き起こし、この部分が抜けているような?
     「松平の子の今の宮司」

    参拝を取り止めた昭和天皇の判断とそれを継承している現陛下を尊敬します。
    亡くなられた方々が政治的思惑から開放されて慰霊される日がいつか来ますように。

  • 「天皇は自分のことを私と言わない」「天皇は参拝と言わない」とかね、もう陛下の前に立って、一心不乱にメモを取れたとでも思っているんですかね、このアホどもは。直立不動でお話しをうかがい、御前を退出してから長官室へ戻って思い出せる範囲で書き付けたメモに決まっているじゃないですか。だから表現で変なところが出てきて当たり前。終戦の御聖断では、誰のメモだったか、陛下の発言が「オレ」になってる。青山繁晴なんて、共同通信記者のくせに「参拝ガー」とかほざいている。お前、夜回り先のサツ官の前でノート広げて取材していたのかよ。

  • A級戦犯合祀説が正しい場合は76年からではなく、78年から行幸しなくなるのではないでしょうか。
    75年の行幸後に78年に合祀するという通達でもあったのでしょうか。
    それとも私人公人があって行幸しなくなり、更に合祀があって絶対行幸しないという思いがでたのでしょうか。
    宜しければ合祀前の76年や77年にも行幸しなかった理由を教えてください。

  • 論壇ネットさんは、「靖國神社創立150年―英霊と天皇御親拝」を批判していますが、
    靖国を批判するいうことは国家神道、教育勅語を否定する立場ですね。
    それなのに、なぜ「陛下の大御心」という言葉を使うのでしょうか?
    「大御心」は、国家神道、教育勅語で使う言葉ですよ。
    なぜ国家神道、教育勅語の言葉を使うのか理由が知りたいです。
    因みに私は、国家神道の靖国に反対の立場ですが、天皇と首相は靖国に行くべきだと思っています。
    天皇の言葉を「大御心」だとして絶対視する論壇ネットさんは「トンデモ」です。
    天皇が間違っていたら正さないといけないです。
    論壇ネットさんは天皇の臣民なのですか?

    • >靖国を批判するいうことは国家神道、教育勅語を否定する立場ですね。
      なりません。
      >「大御心」は、国家神道、教育勅語で使う言葉ですよ。
      ちがいます。

      陛下に行幸賜りたければ、陛下の御心にそってA級戦犯分祀を先ずすべきでしょう。「親の心子知らず」という富田メモの言葉はまさにその通りかと。

      • 「大御心」は為政者によって利用された言葉です。どこからか都合の良い言葉を探してきたと思われます。
        論壇ネットさんが皇室の言葉を利用するのと同じです。現在は民主主義の時代だというのを分かって下さい。

  • 靖国神社については、さまざまな問題がありますが、とりあえず、富田メモらに現れる昭和天皇のA級戦犯に対する感情は、残念でなりません。
    私は、畏れながら、昭和天皇の認識が間違っていると思っています。
    なぜなら、A級戦犯というフレームは戦勝国側の政治的産物であるわけであって、昭和天皇自身もA級戦犯として訴追される可能性があったわけであり、そういう意味で東条ら処刑されたA級戦犯は天皇の身代わりになって死んだと言えるからです。昭和天皇は個別の戦犯それぞれについてはいろんな感情をお持ちのようですが、自分の身代わりになったとも言える臣下をA級戦犯という政治的フレームに基づいて断罪するのはひどいんじゃないかと思います。
    昭和天皇も戦後何十年の間に、気持ちが揺れ動き、紛れもない当事者だったぶん、様々な感情が沸いてきたのでしょう。しかたありません。
    ちなみに私は「いまさらA級戦犯分祀反対、御親拝希望、過度にポリティサイズされている靖国神社は嫌、だけど出口がなさそうだから靖国についてあまり考えたくない」の立場です。

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