【トンデモ】神武天皇は実在した!(竹田恒泰「神話と天皇をタブー視した人々への鎮魂歌」『敗戦後遺症を乗り越えて』育鵬社, 2015)

自称旧皇族の歴史戦

自称「旧皇族」の肩書で、保守論壇界のプリンスとして名高い竹田恒泰氏は、その由緒正しき血統から、『古事記』『日本書紀』の記述に歴史性があると信じています。というのも、神話の時代から現代まで続く万世一系の系譜こそが皇室の権威を生み出す原動力だからです。しかし、現代の正統的な歴史学界では、記紀神話はあくまで「神話」であって、その歴史性には疑問符が付けられています。そのため現代の歴史教科書には記紀神話の仔細はのせらていません。これを受けて竹田氏は、記紀神話が批判されるようになったのはGHQが原因であると責任転嫁して、記紀神話を歴史のうちに復権させようと積極的に活動しています。

【トンデモ】記紀神話は事実かつ真実、それを批判するのはGHQ政策が原因説(竹田恒泰「神話と天皇をタブー視した人々への鎮魂歌」『敗戦後遺症を乗り越えて』育鵬社, 2015)

2018.11.03

しかし、戦後になって記紀神話の歴史性が批判されるようになった要因は、記紀に関して「言論の自由」が広く認められ、さらに歴史学の潮流が実証性と客観性を重んじるようになったことにあるでしょう。ですから、このような現代の歴史学界の風潮からすれば、「神話」に過ぎない記紀の記述を、そのまま「歴史」として扱うことは非常に困難です。

これをうけて竹田氏は、「神話と天皇をタブー視した人々への鎮魂歌」『敗戦後遺症を乗り越えて』(育鵬社, 2015)という論文(?)のなかで、神武天皇不在説王朝交代説などといった記紀批判に再批判を加え、神武天皇は実在し、王朝の交代など無く万世一系が保たれていたことを強弁しています。

そこで本記事では、その主張の中でも「神武天皇不在説」に対する竹田氏の言説を検討してみたいと思います。

神武天皇は実在した!

神武天皇は初代天皇と知られ、『古事記』の記述に従えば前711年~前585年ごろの人物とされます。『古事記』が編纂されたのは後8世紀(712年)ですから、神武天皇の時代から成文化されるまで1300年ほどの隔たりがあります。そして、神武天皇の存在に言及する根拠は、現在のところ『古事記』より前に遡ることはできず、その存在を示唆する考古学的遺物なども一切残っていません。

通常の批判的精神があれば、①『古事記』と神武天皇との間に1300年もの隔たりがあり、②この隔たりを埋めるその他の史料は何も残されていないこと、③かつ『古事記』は当時の政権が編纂したものであるという三点を踏まえれば、神武天皇の事績をそのまま「歴史」として扱うことには抵抗を覚えるでしょう。

このような状況を受け、神武天皇の事績は神話であり、歴史的事実ではないという説が唱えられています。しかし「存在した」という根拠がないのと同様に、「存在しなかった」という根拠もないため、この神武天皇の実在性をめぐっては激しい議論が交わされています。

もちろんイデオロギー的に万世一系の史実性を強く信じている竹田氏は、神武天皇不在説を次のように非難します。

しかし、神武天皇不在説は、学問的な根拠がしめされたことはない。唯一、根拠らしきものとして主張されるのが、『古事記』が神武天皇は137歳で崩じたと書いていることである。137歳まで生きる人などいるわけがなく、よって神武天皇は実在しなかったというのだ。しかし、もしその主張が正しいなら、実在が確実とされるイエス・キリストや、ブッダも、神武天皇と同じ理由で実在しなかったことになろう。イエス・キリストはマリアの処女懐胎で生まれとされ、ブッダは王妃の脇腹から生まれとされる。
歴史上の偉人は、しばしば伝説的な逸話が語り継がれることがある。それを取り上げて実在その者を否定するのは、学問的主張ではない。

イエスやブッダを例に取り「聖典の中で神話的記述があるにもかかわらず、イエスやブッダの歴史的実在性が信じられている。ゆえに、古事記に137歳まで生きたと書いてあったとしても、それは逸話であって、神武天皇不在説の根拠にならない」というでしょう。

議論のすり替え

イエスやブッダを例に取った竹田氏の言説は、もっともらしいことを書いているようにも読めますが、実際には議論のすり替えがあります。というのも、イエスやブッダの実在性が信じられているのは、考古学や文献学に基づいた学問的根拠が複数あるからです。

イエスの実在性の根拠

たとえばイエス(1世紀)については、たとえ福音書に神話的記述が含まれていたとしても、その実在性を疑う人は極僅かです。なぜなら、文献学的に四福音書の成立は西暦68年~110年ごろと、イエスが亡くなって比較的早い段階で成立しています。また、非キリスト教徒史料においても、イエスおよびキリスト教の存在が度々言及されています。

ブッダの実在性の根拠

また、ブッダ(前5世紀)については、ブッダ(もしくはブッダの一族)の遺骨を納めた碑文が刻まれた壺が見つかっており、刻まれた碑文の文体は前3世紀に遡るものです。また、アショーカ王(前3世紀)という仏教信者がインド各地に建てた碑文が数多く残っています。そして非仏教徒資料においても、ブッダ及び仏教はかなり古い段階から言及されています。

まとめ

このように神武天皇不在説を非難する竹田氏の言説は全く非論理的なもので有ることは明瞭でしょう。

あらゆる聖典が神話的に増広されていることは当然の前提です。そうであってもイエスとブッダの実在性が広く認められている理由は、その存在を示す考古学的・文献学的史料が豊富にあるからです。

一方、神武天皇の場合はこの両者とは状況が全く異なります。なにせ神武天皇がいたとされる時代より1300年ほど後に編纂された『古事記』と『日本書紀』が最古の史料です。つまり神武天皇の実在は、『古事記』と『日本書紀』に説かれた神話的・空想的な記述を歴史として信じるかどうかにかかっています。

よって、竹田氏の言説は全く合理的ではなく、神武天皇の実在性を裏付けるどころか、神武天皇不在説の反論にすらなっていません。

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