【トンデモ】土偶は近親相姦による先天的障害児を象った(つくる会元会長・田中英道)

古代人は近親相姦が多く、異形人が多く生まれる

今回紹介したいのは、「つくる会」元会長であった田中英道氏による論文「縄文土偶は異形人像である」(収録:『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017)です。

実は田中英道氏のご専門は西洋美術史であり、その分野の経験を生かして、土偶の姿形を虚心坦懐に観察して、その造形の秘密を解き明かそうとしたのがこの論文です。

日本各地から土偶が多数出土していますが、その制作目的や用途などは未だに定説がありません。これは古代日本が無文字社会だったため、記録が残っていないことが主な原因です。したがって、土偶の制作目的や用途などを考察する際には、研究者の主観が反映されてしまう危険があるため、禁欲的になる必要があります。しかし田中氏にそのような危険を恐れず、次のように断言します。

土偶の形象をありのまま見ることから始めよう。まずすべての土偶に共通することだが、顔の目鼻立が普通ではなく、いずれも手足が短く小さい。つまりその体のつくりが正常な人間の姿には見えない、ということである。するとこの形態異常はこれらが異形人を表現した以外には考えられないのである。その異常性を正直に指摘する以外にないのである。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 20

土偶の姿が写実的に人間を象っていないことは一見すれば明らかですが、だからといってそれが「この形態異常は異形人を表現した以外には考えられない」というのは憶断も過ぎるでしょう。たとえば月刊ムーでは宇宙服を着た異星人だと言っています。

この様な極論が導かれる背景には、古代社会では近親相姦が多く行われ、異形人が多く生まれていたに違いないという田中氏の想像があります。

古代人の創造世界はより限定されており、彼らの観念体系は、日頃接する世界以上にそう飛躍するものではない、と考えるのが常識であろう。すると彼らが接触するもので特別なものはなにか、といえば、人間自身である。また「近親相姦禁止」という、現代のタブーが必ずしも行われていなかった社会での営みがあるならば、そこからおのずから想定されるのは異形人への注目であるだろう。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 19

つまりこれらを要約すれば、「古代日本では近親相姦が行われていた、そのため異形人が多く生まれ注目されていた、その異形人を象ったものが土偶である」ということになるでしょう。もちろんこの根拠は田中氏がそう思ったに尽きます。

土偶はダウン症

多くの保守論客に共通する特徴として、自分の思ったことや直感は絶対的に正しいという過信があります。そして、自分が間違っているという可能性はほとんど考慮されません。

田中氏もそれに倣い、土偶を次々と先天的障害児認定していきます。まず、十字型土偶の顔の造形を見て次のように断言します。

田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 21

その開いた口を見ると、この顔から窺い知れるのは「痴呆」の顔である。……。頭部だけの土偶は口を丸く開け、小さな眼が隈取られたダウン症を示しているように観察される。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 21

……。まぁそう思うのは自由ですが、「単に口が開いていて、小さい目が隈取られている」だけでダウン症認定するというのは、個人の感想に過ぎないのであって、論文で堂々と宣言することではないでしょう。

これに続いて同じくダウン症を象ったという土偶が紹介されます。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 21

このようなダウン症候群の眼と口が中期から一貫してあるのを見ると、先天的な染色体異常からくるもので、その体の発達・成長の障害があるとみなければならない。それは土偶が一貫して身体の未発達の体躯であることが説明出来るであろう。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 22

これも田中氏一流の独断であり、他の可能性も幾らでも考えられます。たとえば、単に手足を長く作ると壊れやすいので短く作っただけかもしれません。また、胸の豊満さや、腰のくびれを意識した体躯の土偶も多くありますから、土偶すべての体躯が未発達とは憶断に過ぎないでしょう(後述する遮光器土偶)。

「遮光器土偶」は「腫れ眼土偶」

これに続き田中氏は、土偶の造形を観察しながらダウン症だとか、巨人症だとか、顔の末端肥大症だとか自信満々に次々と決めつけていきます。土偶は写実的に造られていた保証はどこにもないはずなのですが、土偶の形と外部の人間と姿が一致するとお考えのようです。

そして土偶のなかで最も高名な遮光器土偶の眼の部分は、眼病であると断言されます。

名高い亀ヶ岡のそれや、宮城県恵比寿田遺跡は眼が爛れて潰れた状態が、形式化して美的になっているものである。この形式化は、晩期のこの種の像が、さらに形式的となり、ダウン症的な目蓋や唇の腫れの傾向は残しながら、左右対称形にしたり、頭の装飾も形式化していることでもわかる。この変容の過程は、このような眼病者であり異形人であった人物像そのものが、ひとつの象徴像となって、この「腫れ目土偶」が次々と作られていったことで予想がつけられる。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, p. 25

百聞は一見に如かず、はたして「遮光器土偶」が「腫れ目土偶」に見えるかどうかは、皆さんの判断に委ねたいと思います。

青森県亀ヶ岡遺跡出土 遮光器土偶(Wikipedia Public domain)

淡路島が「近親相姦」「異形児」の根拠

このように田中氏の所説は、単に「そう見える」「そう思った」という範疇を超えるものではありません。さすがにこれだけでは証拠不十分だと思ったのか、田中氏は記紀神話のうちに近親婚と不具児出産の示唆する記述があると主張します。しかし、この根拠とされる記述とは、なんとイザナギとイザナミの「国生み」だというから驚きです。

最初から驚かされるのは、『古事記』の国生み神話の段で、イザナギノミコト、イザナミノミコトの二柱の神は、国生みの最初に水蛭子を産んでしまい、葦の船に乗せてこれを流し捨てる、というくだりがあることだ。さらに淡島を生んだが、それも子供の内に数えられなかった。二柱の神は「私たちの生んだ神はどうも出来がよくない。天つ神のところに言って伺ってみよう」と参上した。……

イザナギ、イザナミは兄弟の近親相姦であるため、そこからこのような異常児が生まれるのは十分可能性のあることだが、少なくとも神武天皇までの時代はこれが一般化していたようである。

 田中英道 『高天原は関東にあった:日本神話と考古学を再考する』勉誠出版, 2017, pp. 26-27

まさか土偶が異形人像であるこをを証明するために淡路島が根拠にされるとはビックリです。また「兄弟の近親相姦であるため、そこからこのような異常児が生まれるのは十分可能性のある」の言説は全く不可解で、近親相姦でなくとも先天的障害児が生まれる可能性は十分にあります。このような非論理的な言説は誤解を招きやすく、配慮がないと言わざるを得ません。

さらに、『古事記』『日本書紀』にある天地開闢や国生みといった神代の記述は「神話」であって、縄文時代(前15000年-前4世紀頃)の姿を描いた「歴史」ではありません。『古事記』は712年に編纂されたものであって、その成立も古くありません。にもかかわらず神話を根拠にして、縄文時代の歴史を語ってしまうというのは、まったく説得力がないでしょう。

まとめ

以上をまとめれば、田中氏は土偶を虚心坦懐に観察し続けた結果、近親相姦によって生まれたダウン症などの異形人を象ったものが「土偶」であると結論付けます。さらに、記紀神話の「国生み」のエピソードを根拠に、縄文時代には近親相姦と異形児が多かったという、神話と歴史を混同したアクロバティックな理論を展開します。

まぁ月刊ムーでは、同じく土偶を虚心坦懐に観察し続けた結果、宇宙服を着た異星人を象ったものが「土偶」であると結論付けていましたから、いまさら土偶が何に見えてもおかしくはないでしょう。しかし田中氏の学術論文は、月刊ムーの記事と大差ないということは肝に銘じておく必要があると思います。

田中氏はこのほかにも「卑弥呼神社が無いから卑弥呼は存在しなかった」といった超絶理論を展開していますので、よろしければご参照ください。

【トンデモ】卑弥呼神社がないから卑弥呼はいない(田中英道|「なぜ卑弥呼神社がないのか」『日本国史学』7, 2015)

2018.11.02

*また田中氏の論文では、ダウン症など先天的障害を持った子供について「異常児」などといった誤解を招きやすい配慮に欠ける言説が多々見られます。しかし論文の内容を正確に伝える為、これを正確に引用せざるを得ませんでした。不快に思われた方に深くお詫びもうしあげます。

コメントを残す