【日本コピペ紀】Wikipediaのリンクを辿って原稿を制作した疑い【大津浜事件・宝島事件・異国船打払令】

大津浜事件・宝島事件・ 異国船打払令もコピペ

百田尚樹『日本国紀』にどんどん見つかるコピペですが、またもやGEISTE氏からWikipediaとの並行表現が報告されました。

比較テーブル

『日本国紀』pp. 216-217 Wikipedia
文政七年(一八二四)、大津浜事件」が起きた。これはイギリスの捕鯨船の乗組員十二人が水戸藩の大津浜(現在の茨城県北茨城市大津町)に上陸した事件である。 十八世紀にはヨーロッパの船は日本近海で捕鯨を行なっており、事件の少し前から水戸藩の近海でも、異国の捕鯨が頻繁に見られるようになっていた。この時、大津浜に上陸したイギリス人たちは、壊血病の患者が出たので、新鮮な野菜求めてやってきたのだった。水戸藩士たちが彼らを捕らえたが、事情を聞いた幕府役人は、水と野菜を与えて釈放した。……

大津浜事件(おおつはまじけん)は、文政7年(1824年)5月28日に水戸藩の大津(北茨城市大津町)浜にイギリス12人が上陸し、水戸藩が尋問した後彼らを船に帰した事件。……
19世紀初めごろから、産業革命のため欧米の国々による日本近海で捕鯨が盛んになった。水戸周辺での異国船の出没は次第に増えていき、文政6年(1823年)の頃には頻繁になっていた。……12人の英国人が水戸の浜に上陸し、付家老 中山備前守の役人に捕らえられた。尋問の後、内に壊血病者がいるために新鮮な野菜補給するために上陸したことがわかり、これらを与えて船員を船に帰した。(Wikipedia

しかし水戸藩では、この幕府の対応を手ぬるいと非難する声が上がった。これが後の水戸藩での攘夷運動につながったといわれている。薩摩沖の宝島(奄美大島と屋久島の間に位置する島)にイギリスの捕鯨船の乗組員が上陸し牛を強奪しようとして、島民との間で交戦状態となる事件きた 藤田幽谷門下の学者はこの対応を非難し、後の攘夷運動につながっていく。
同年には薩摩沖の宝島イギリスの捕鯨船員上陸し牛を強奪しようとしたために島民との間で交戦状態となる宝島事件こっているWikipedia
この時、上陸したイギリス人(二十~三十人といわれる)は島民に牛を要求するが、島にいた薩摩藩の役人に拒否されたため、牛三頭を強引に奪った。そこで薩摩藩士がイギリス人一人を鉄砲で射殺した。 文政7年(1824年)8月、イギリス船(捕鯨船)が来島し、島民に牛を譲渡するように要求したが、在番及び郡司が拒否したため、20名から30名程度のイギリス人が島に上陸し牛3頭を略奪した。この事件で横目の吉村九助が在番所でイギリス人1名を射殺、……(Wikipedia
この二つの事件がきっかけとなり、文政八年(一八二五、幕府はそれまでの「薪水給与令」を廃し、「異国船打払令」を出す。この事件の翌年の1825、幕府はオランダ以外の西欧の国の船を発見と同時に攻撃すべきという異国船打払令を発した。(Wikipedia
これは日本沿岸に接近する外国船は、見つけ次第砲撃し、また上陸する外国人は逮捕するという強硬なるものだった。

日本沿岸に接近する外国船は、見つけ次第に砲撃し、追い返した。また上陸外国人については逮捕を命じている。(Wikipedia

逐語的一致のみならず、プロット進行が殆ど一致しています。

ここでは三色に分けしました。つまり赤字(大津浜事件)の記事をベースにしながら、その記事に貼られているリンクを辿り、緑字(宝島)と青字(異国船打払令)の記事を借用して増補した可能性が濃厚ということです。

追記

また私もこの記事を書いていて、一か所こなれていない部分を発見しましたので報告します。

通常、一人の著者によって製作された文章ならば、ある箇所で「A、B、C」という順で列挙されれば、続く箇所でも同じそれは「A、B、C」の順で列挙されるのが通常です。

ですが、今回比較した部分では、①Wikipedia・日本国紀共通部分には「野菜と水」とあるのに、②百田氏加筆部分(Wikipedia欠)では「水と野菜」と順序が逆になっています。このような記述の不整合性からも、百田氏のオリジナル要素を抽出できるかもしれないな、と思いました。

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3 件のコメント

  • ☓異国船打もコピペ
    ○異国船打払令もコピペ

    ☓比較テーブ
    ○比較テーブル

    ☓逐語的一のみならず、
    ○逐語的一致のみならず、

    ☓三食に色分け
    ○三色に色分け

    まだあるかも?

  • 虎ノ門ニュース、IWCの脱退問題で、武田先生は「牛を殺しているではないかと言うのではなく、クジラが可愛いという思いに寄り添わないといけない」
    と言っていましたが、どのように「クジラが可愛い」に寄り添えば良いのでしょうか?
    竹田恒泰さんは、「牛とクジラの命は同じだ」と言い、「クジラの方が多くの人の食を満たすことが出来る」と言っていました。
    「牛とクジラ」の問題は宗教で考えないと分からないです。

    日本人は、すぐ「牛を殺している」と言って捕鯨を正当化します。しかしこれでは相手を納得させられないです。
    宗教で考えると、「牛が罪深い私たちの犠牲になってくれている」となっています。「犠牲」という字は牛偏です。
    日本は、クジラを殺して食べる宗教的な理由を示さないといけないです。
    仏教の実践項目に「布施」というのがあり、クジラは「布施」をしていると言えば良いです。
    「布施」とは与えることで、クジラが私たちに命を与えてくれています。
    「いただきます」は「命をいただきます」です。

    「月にウサギがいる理由」なのですが、次のような仏教説話があります。
    猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。
    3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。
    しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。
    自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。
    その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇なからせた。
    月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。
    以上ウィキペディアより。

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