【トンデモ】卑弥呼神社がないから卑弥呼はいない(田中英道|「なぜ卑弥呼神社がないのか」『日本国史学』7, 2015)

つくる会の歴史戦

田中英道氏は、2001年9月より「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」の会長を務めた保守運動の重要人物の一人です。そして現在では、小堀桂一郎氏、中西輝政氏、竹田恒泰氏らとともに「日本国史学会」という学会を立ち上げ、その理事についておられます。

このように田中氏は保守論壇による歴史戦のボスともいえる存在であり、彼の提示する「歴史」を知ることは、保守論壇の「歴史」の程度を知るうえで格好の目安になると思います。

そこで今回取り上げたいのは、田中英道「なぜ卑弥呼神社がないのか:日本のどこにも存在しない邪馬台国」(『日本国史学』7, 2015)です。本論文は田中氏のホームページでも公開されており、読むことが可能です(参照リンク)。

保守論壇における魏志倭人伝叩き

保守論壇の歴史戦において魏志倭人伝は否定的に評価されます。現代の歴史教科書では、最初に出てくる固有名詞はまさにこの魏志倭人伝にでてくる女王・卑弥呼であり、決して『古事記』『日本書紀』に出てくる天照大神や神武天皇ではありません。一方、戦前・戦中の歴史教科書は、記紀神話に基づいて、神武天皇から始まる皇室の系譜の正統性を説明するところから始まります。このように終戦を挟んで歴史教科書が様変わりした理由は、GHQが万世一系の皇室を重んじる神話的内容よりも、考古学的内容を重んじるように要請したためです。

歴史はどの様に語られるべきか:記紀神話・魏志倭人伝と歴史

2018.10.24

ですから、東京裁判史観やらWGIPやらを主張し、戦前回帰を目指す保守陣営にとって、魏志倭人伝(しかも中国史書)が記紀神話にとって代わるというのは赦せないことなのです。田中氏も論文中で次のように率直に述べています。

戦後、この「邪馬台国」論争が活発になり、これだけの歴史家が 『魏志倭人伝』に執着しているのは、第一に日本の「万世一系」の天皇家の歴史への批判精神が流行し、第二に「社会主義」中国に対する偏愛が始まって「中国文献」至上主義によるものと思わざるをえない。それもマルクス主義史観の跋扈のなせるわざで、日本の歴史を、否定的に見る態度が固定してしまったからであ る。

第一の理由はまだしも、太字にした第二の「中国に対する偏愛が始まって「中国文献」至上主義によるもの」というのは田中氏による想像力の賜物でしょう。魏志倭人伝をめぐっては、戦前・戦後問わず熱心に論じられていました。まさかそれら諸研究者が、皆社会主義者とでも言い出すのでしょうか。

記紀が歴史書とて評価し難いのは、それが成文化され成立した時期(八世紀)が必ずしも古くないこと、そして上代天皇たちの記述が余りに神話的・空想的だからでしょう。一方の魏志倭人伝は三世紀末の成立であり、しかも歴史書として編纂され神話的・空想的な記述は僅かしかありません。

ゆえに上代日本を考察する史料として記紀よりも魏志倭人伝の信憑性が劣るというのは少々説得力がないわけです。すると、田中氏は論点をすり替えていわば人身攻撃で魏志倭人伝の信憑性を落とそうとします。

しかし咋今の中国「共産党」主導国家の「歴史認識」に、虚構や捏造がなされていることに気づくと、中国人の歴史観は、「卑弥呼」の時代から変わらなかったのではないか、と考えることが出来る。

かくいう保守の人種偏見や歴史修正主義のトンデモさを鑑みると、保守の歴史観もまた記紀の時代から変わらなかったのではないか、とも考えることも出来ますね。ともあれ、このようなイデオロギーに基づいたトンデモ理論でも用いない限り、魏志倭人伝を排除して記紀神話を歴史に復帰させることは出来ないのです。

卑弥呼の墓も、魏から送られた銅鏡もない

そこで何を思ったか田中氏は、魏志倭人伝に記された、卑弥呼の墓や、魏から送られた銅鏡が見つかっていないという点を指摘して次のように述べます。

つまり正直に言った方がいい。この 『魏志』の「倭人伝」は何の、「倭国」のことを具体的なものでなく、若干の同一性を除くと、すべてフィクションであり、検討に値しない、ということである。極端なことをいうな、というかもれない。これから証拠が出てくるかもしれない、と抗弁されるかもしれない。しかし違う分野であるとはいえ歴史研究を50年以上やって来た私から言わせれば、絶対に出てこないし、こうした記録は、公式記録とはいえ、歴史というものを、統治者の忠実に書紀として書かれたものではない、このような記録は信用するに値しないし、論争するのも無駄である、ということだ。

確かに卑弥呼のものと確定できる遺物は何一つとして見つかっていません。しかし、だからといって魏志倭人伝が「若干の同一性を除くと、すべてフィクションであり、検討に値しない」とか「このような記録は信用するに値しないし、論争するのも無駄」というのは余りに極論過ぎます。

何よりおかしいのは、田中氏が史実性を主張する神武天皇をはじめとする上代の諸天皇だって、その墳墓はかなり後代に「発見」されたもの、言い換えれば「宮内庁の認定」を受けたものに過ぎないことを見落としていることです。確実に彼らのものと考古学的に確定される遺物・遺構は何一つとしてありません。したがって田中氏の言説に基づけば、記紀神話こそ、若干の同一性を除くと、すべてフィクションであり、検討に値せず、このような資料は信用するに値しないし、論争するのも無駄ではないかとも評価できてしまうのです。

このように、魏志倭人伝の歴史性は信じないのに、記紀神話については信じられるというのは明らかに不可思議な論理構造でしょう。

卑弥呼神社はないので、卑弥呼は実在しない!

さらに田中氏の想像力は加速し、「卑弥呼神社」がないことを問題視します。

私は『日本の宗教』(育鵬社)を書いていたときに、全国の神社を調べていて「卑弥呼」神社がないだけでなく、その異端の存在を示唆する土地の伝説がどこにもないことに気づいた。平安時代の日本の神社を網羅した『延喜式』の神名帳を調べてみても、式内社で全国にまったく「卑弥呼」神 社の類がないのは当然であるにしても、式外社にさえ、ないのではないかと考えざるをえなかった。

なぜこれが問題視されるかというと、「卑弥呼が実在したならば、土地の伝説などとして記憶に残るはずであるから、それを祀る神社がなければならない」という田中氏一流の思い込みがあり、「卑弥呼神社が無いのは、卑弥呼が実在しなかったので、伝説にも土地の記憶にも残らなかったからだ」という理論を展開したいからです。

日本の各地の伝説にも、土地の記憶に一切ないということは、このことで、そのもともとの不在が問われなければならなかったはずである。

やはり最初から神々ではない、聖徳太子、柿本人麿、菅原道真、平将門、崇徳院、楠木正成、新田義貞などの存在であろうと、神社に祀られているのである。どのような「卑弥呼」であっても、一度「王」となった存在は、記憶に残されないはずはないのである。どこかの場所で言及されないはずはない。しかし「卑弥呼」もしくは、それらしい存在の痕跡は、一切神社にも、またお寺にも(仏教は六世紀以降、日本に入って来たものだから、これは当然かもしれないが)、見出せない。それは一体なぜであろうか。とくに『万葉集』にそれを推測させる歌が一切ない、というのも「卑弥呼」「王」の不在をよく感じさせる。

まぁ伝承や言い伝えも実話を基にしたものが数多くあるでしょうが、神社や伝承の有無で歴史的実在性が決定される理論というのは余りに極論ではないでしょうか…。

『日本書紀』に引用される魏志倭人伝

このように神社が無いだけでその存在性まで否定されてしまった卑弥呼ですが、実際に『日本書紀』を読むと、①『日本書紀』に卑弥呼が言及されないとはまでは主張できないこと、そして②「卑弥呼神社」が全く存在しないとまでは主張できないことが解ります。

なぜなら『日本書紀』の神功皇后の章では、魏志倭人伝が引用され魏に使節団が送られた旨が説かれているからです。つまり、『日本書紀』の編纂者は「卑弥呼=神功皇后」という関係で、その史実性を認めていたことが解ります。(宇治谷孟『日本書紀(上)』岩波書店, 1988, pp. 201-202)

よって次の点が指摘されます。

  • 『日本書紀』には魏志倭人伝が引用される。そのなかで卑弥呼は神功皇后と同一視されている。鶴岡八幡宮や富岡八幡宮など神功皇后を祀る神社は数多く存在する。そして神功皇后陵は五社神古墳と認定されている。
  • よって記紀に基づく国史において卑弥呼(神功皇后)の記録が残されており、かつその神社、墓も残されている。「卑弥呼神社」がない理由は、「卑弥呼=神功皇后」に基づき、神功皇后として祀られていたからでろう。

したがって田中氏自身が歴史性を高く評価している『日本書紀』の中に、史実として「卑弥呼=神功皇后」の関係が説かれています。にもかかわらず卑弥呼の歴史性だけは頑なに否定するというのは非論理的であると言わざるを得ません。

まとめ

このように田中氏の歴史観は、イデオロギーが強くにじみ出ており、客観的な結論を導き出そうという努力が全く認められません。論文には客観性が求められるにもかかわらず、現代中国人は信用できないから魏志倭人伝の編纂者も信用できないなどといった偏見と独断に満ちています。

まして記紀神話の歴史性を無批判に信じてしまうにもかかわらず、『日本書紀』に残された卑弥呼に関する部分だけは批判的に否定するという論調は説得的ではないでしょう。

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