【日本国紀】「ヒグチ・ルートでユダヤ人2万脱出説」の荒唐無稽さ【保守珍説大百科】

日本とユダヤ

保守界隈で人気のトピックとして「日本人は人種平等を目指し、迫害されていたユダヤ人を救出した」というものがあります。

リトアニアに外交官として赴任していた杉原千畝がユダヤ人たちにビザを発行したことは有名ですが、昨今の保守論壇では樋口季一郎が「ヒグチ・ルート」なる脱出路をつくりユダヤ人を逃がしたと宣伝されています。このように樋口季一郎が保守界隈で注目されている背景には、彼が軍人であったことがあるでしょう。

つまり「ヒグチルート」を喧騒することで、日本軍は人道的だったと言いたいのですね。この「ヒグチルート」によって救われたユダヤ人は数千人とも二万人とも言われます。百田尚樹『日本国紀』にも次のように。

『ヒグチルート』を通って命を救われたユダヤ人は五千人以上(一説には二万人)と言われている」

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 378(第5刷)

ところが、この分野の専門家として名高いHiroshi Matsuura氏によれば、この数字は全く正しくないとの指摘がありました。では「ヒグチルート」の実際はどの様なものだったのでしょうか?

ヒグチルートで脱出した人数は?

つまり、「ヒグチルート」をつかって脱出したユダヤ人は、100~200人と言うのが実数のようです。

日本人にウケるように2万人の記述が付加されたことも

というと、ハインツ・E・マウル(訳:黒川剛)『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』(芙蓉書房出版, 2004)に原因があるようです。Hiroshi Matsuura氏は次のように指摘します。

つまり、ハインツ・E・マウルは、日本人にウケるように「二万人のユダヤ人」が脱出したという一節を加筆したというのです。

ヒグチルートで2万人と言う虚説の起源

それでは、「この二万人脱出したという途方もない数字の由来はどこなのか?」ということが問題となりますが、樋口自身の回想録(『アッツキスカ軍司令官の回想録』 芙蓉書房, 1971)にあるその数字は当てならず、その背景には、

  1. この2万人だの3万人などの数字は、ソ連がビロビジャン自治区に充当しようとしたユダヤ人の数と同じなので、それと記憶が混乱した。
  2. 反ユダヤ主義だった関係者が「2万人のユダヤ人を救出した」と主張することで、過去を葬り去ろうとした。
  3. 国史を美化したい団体(日本会議など)にとって都合が良かった。

という三点があることをHiroshi Matsuura氏は次のように指摘します。

(閲覧環境によりモーメントの後半部分、(3)「国史を宣揚したい一部の団体に好都合だった」という部分が非表示になってしまうようです。必要に応じて、こちらを参照ください)

まとめ

このように、「数千人から二万人のユダヤ人が脱出した」という記述には十分な根拠はなく、実数は100~200人程度だったようです。

Hiroshi Matsuura氏の緻密な調査には感服せざるを得ません。歴史を描くとはこのような緻密さが求められる作業なのでしょう。

しかし、少し調べればこのような佳話が「逸話」に過ぎないことを示す資料が数多く発見されます。しかし、その労を惜しみ、仮に調べてもその事実に目を向けず、都合のよい神話だけをいつまでも有難がっているとは恐ろしいものです。

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7 件のコメント

  • 確かに私の環境では モーメント『ヒグチルート3』 の最後の辺が表示されませんね。ちょうど、反ユダヤ本に推薦の言葉を寄せていた人物の正体が明かされる一番のクライマックスが!(笑)

    樋口中将自身の回想録(1971)が「2万人虚説」の出どころっぽいですが、戦記物の著作を多く手がけた相良俊輔の手による樋口伝 『流氷の海』(1973/光人社NF文庫2010)もこの話の拡散に大きな役割を果たしたと思われます。あちこちの保守系ブログで言及されていたり、こういうメルマガで さも史実かのように紹介されたりして。
    ◎国際派日本人養成講座
    2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上・下)
    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog085.html
    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog086.html

    読者の皆さん信じちゃってる。でも実際には、
    ・ 回想録の樋口自身の「直筆原稿」には2万人の記述はない
    ・ 樋口の死後、出版される際に「何者かが付け足した」数字である

    Hiroshi Matsuuraさんは、これらを確認した早川隆氏(正しくは早坂隆)の調査を紹介しつつ、今回の連続ツイートでは書いておられない さらなる解説もフェイスブックにアップしておられます。リンク先を以前ツイートしておられたので さらに詳しく知りたい方は参照されてはいかがでしょう。
    (てか、しないと損!本物の研究者の本物の知見を無料で知ることができるんだから!)
    https://twitter.com/HiroshiMatsuur2/status/1063006557888106501
    https://www.facebook.com/groups/631952103603626/permalink/1242292209236276/

      • 管理人様へ
        ツイッター上では1モーメントあたりおよそ100件までツイートを追加可能だそうですが、もしかして、こちらでは表示させられるツイート数に制限があるのでしょうかね?
        私の環境では『ヒグチルート1・2(8+17件)』の全てと『3』の「19件目」までが問題なく、残る「3件」(「敵米英謀略戰の本拠たる~」以降)」が表示されません。1モーメント辺り19ツイート以内に抑えれば表示されるかも???

        追記:
        先に投稿したコメント(2018年12月13日 11:17 PM)を次のように訂正いたします。

         ×・ 樋口の死後、出版される際に「何者かが付け足した」数字である
         ○・ 出版されるまでに「何者かが付け足した」数字である

  • 大変興味深く読ませていただきました。記事中様々に出てくる「数字」から感じた、自分なりの雑感を並べてみます。

    1.東亜交通社の手配による満州発上海行き列車に乗車したユダヤ人難民の数から、樋口ルートによる救出数を4300名余とするメディア報道もあるようなのですが、Matsuura氏にはこの点についても可能であれば追検証をお願いしたいです。

    2.Matsuura氏の主観からか文章の語気が不意に強まる部分があるため、最初からそうであったようについ誤解しそうになるのですが、河村少佐は少なくとも日本政府の対ユダヤ人政策の方針が転換される1942年以前は反ユダヤ主義者では無かったのでは?とも思いました。

    3.同じく「6版を数え、3万5,000部という恐るべき増刷を重ねた・・・」とあるため、日本中全部が反ユダヤ主義だった?とつい誤解しそうになるのですが、45年9月から年末までの約3ヶ月間に300万部以上売れたという日米会話手帳と比べれば、恐るべき・・・と断言するほどでもないような気はしました。

    個人的には当初は樋口将軍の下でユダヤ人救済の実務に当たっていたものの、政府及び陸軍の方針転換に従う形で反ユダヤ主義的な書籍に名を連ねてしまい、アイヒマン逮捕などナチ・ハンターの追及が強まっていった60-70年代になって、自ら(だけではなかったと思いますが)の保身の為に2万人という数字の水増し証言を行ってしまった河村少佐の実像に、「鬼と恐れられた憲兵隊の長であっても、やはり人の子だったのだな」と思わずにはいられなかったですね・・・。過去の変節が後から追及されそうになった時、こういう日和り方する人、普通にその辺にいそうですもん。

    こうして水増しされた数字が様々な場面で様々な相手への忖度から無批判に引用されていくうちに、それが一人歩きして定着していってしまい、誇大に喧伝された果てに厳しい検証を受け「人数はごく少ないかもしれないが、信念から救済を行った事実はある」樋口将軍の事績までもが全否定されかねない結果を招いている事に、一抹のやるせなさも感じています。

  • 数はどうであれ本当に助けたのは事実だからそこだけで称賛すればいいのに
    南京事件の逆で

    そういや出処忘れましたが日本も決してユダヤに悪いことをしなかったわけではなく
    それなりの迫害を行ったという文献に触れたことがあります。
    時間があったら調べてみます

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