【靖国神社】特攻に失敗し捕虜になった兵士を「前後不覚」と表現。死ねば軍神と称賛。

ナショナリズムの牙城「靖国神社」

陛下や首相に参拝して欲しいのに全く相手にしてもらえず、ストレスが溜まったのか今上陛下すら批判してしまう靖国神社。その行き場のないナショナリズムの行方は一体どこに行き着くのでしょうか?

ところで靖国神社の付属博物館「遊就館」の見せ場は特攻隊の遺書ですが、その特攻隊の起源は、真珠湾攻撃おける甲標的(特殊潜航艇)にまで遡ります。真珠湾攻撃の際、日本軍は甲標的と呼ばれる小型潜水艦をつくり、真珠湾に忍び込ませて攻撃する作戦を実行しました。

ほとんど帰還の見込みがないことが当初から解っており、この攻撃に参加した十人のうち戦死した九人(一名は捕虜)は「九軍神」として戦意高揚のために様々に宣伝されました。

『靖國神社 遊就館 目録』靖国神社, 2008, p. 78

これを書き起こせば次のようになります。本記事で取り上げたい箇所を太字にしました。

大東亜戦争の開戦劈頭、岩佐大尉、横山中尉、古野中尉、広尾少尉(階級はいずれも当時)以下の十名は、志願して五隻の特殊潜航艇に搭乗。警戒厳重なハワイ真珠湾に潜入、在泊中のアメリカ太平洋艦隊に決死の魚雷攻撃を敢行した
攻撃終了後は全員収容して帰還することを条件に立案された作戦計画だったが、全員決死の覚悟で、前後不覚に陥り捕虜となった一名を残して戦死を遂げた。翌年四月には日比谷公園で合同海軍葬が行われた。

捕虜を「前後不覚」と貶める表現

何より驚かされるのは、「全員決死の覚悟で、前後不覚に陥り捕虜となった一名を残して戦死を遂げた」と述べて、戦死者の覚悟を称賛する一方で、捕虜になった一人(酒巻和男, 1918-1999)を「前後不覚」とまるで正常な判断力を失っていたかのような言葉を選んで表現している点です。

つまり、「前後不覚」に陥らなければ特攻して戦死していて当然ということでしょうか? 非常に問題のある、失礼な表現であるように思えます。

この捕虜第一号となった酒巻和男氏は、戦後『俘虜生活四年の回顧』(1947),『捕虜第一号』(1949)を著しました。捕虜となった当初は自殺も考えていたそうですが、大変な葛藤の中で生きることを択び、その後、収容所に送られて来た日本兵捕虜が自暴自棄になり命を絶とうとするのを止めたりするなど、佳話が多く残されています。

このような佳話を紹介してこそ、戦争博物館として使命を果たせるのではないでしょうか。

特攻を経て得たものは何か

ところでこの遊就館のパネルでは、真珠湾攻撃における甲標的「特別攻撃隊」を九軍神と讃え、「決死の魚雷攻撃を敢行した」と勇ましい特攻をしたかのように書いています。

確かに「九軍神」と讃えらているように、戦中の日本でこの九人は英雄であり、これを題材にした小説や詩が数多く作られました。戦艦アリゾナの撃沈は実際には航空爆撃によるものだったにもかかわらず、日本国内での宣伝では九軍神(具体的には横山正治・上田定)による手柄とされました。それだけこの九軍神は、戦中日本人の精神面を支える役割を果たしていたのです。

しかし戦後の調査で、特殊潜航艇による敵艦被害はゼロであったことが明らかに。にもかかわらず現代になっても九軍神を宣揚し、捕虜となった一人を「前後不覚」と表現している靖国神社は、未だ大本営発表を信じ、「生きて虜囚の辱を受けず」という戦陣訓の価値観の中にいるということでしょう。

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6 件のコメント

  • 攻撃の際の衝撃で意識を失わなければ捕まりなどしなかった(名誉の戦死を遂げ、彼も “軍神” になっていた)と言いたいわけですね靖国神社は。「生きて帰る」ことよりも お国のため「死ぬこと」こそ尊いという戦前の価値観を現代でもまだ継承してる感。

    ×当初は自殺も考えそう
    ○当初は自殺も考えたそう

    ×自暴自棄にり
    ○自暴自棄になり
    でしょうか。

  • 酒巻和男は捕虜第一号ですが、海軍の捕虜第二号は誰かというとドーリットル空襲時の特設監視艇乗組員5人です。つまり昭和16年12月8日から17年4月18日までの4カ月余り、第一段作戦で数々の戦闘があったのに海軍から捕虜は出なかったのです。

    むしろ、前後不覚にでもならない限り捕虜にはならない、という当時の空気を正確に書いているのではないでしょうか。酒巻だって、拘束された時に舌を嚙んで死のうとしています。

    戦陣訓に支配された異常な軍隊だったことが、ここからうかがえるというものです。

    もう一点。酒巻はコンパスの故障した甲標的で出撃を強行し、座礁した後に艇を放棄、漂流中に艇付の稲垣清二等兵曹とはぐれ一人、オアフ島に失神状態で漂着します。稲垣(二階級特進で兵曹長)はおそらく「フカに食われた」とされています。酒巻が戦後、稲垣の実家を訪ね、そんな話をしたそうです。私はその場にいた稲垣の末弟から話をうかがったことがあります。

    • すいませんけど、
      酒巻も
      稲垣も生きてますよ?

      出てきませんけど怒ってますので、
      こんな嘘書き込むのは止めてくださいね、

      嘘だと思うなら探せばどうですか?

      本人に辿り着けなくても噂くらいは運が良ければ聴けますよ、

      あなたが戦争に行って戦った経験があれば、
      の話ですが。

    • 耳寄りな情報ありがとうございます。大変勉強になりました。
      酒巻和男氏の苦悩は痛いほどよく解ります。戦後もだいぶ苦労されたようです。その様な方に現代でも「前後不覚」と表現してしまうことに驚きを隠せません。
      靖国神社からすれば「フカに喰われていれば軍神だったのに」という程度の話なのでしょうか。

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