『日本国紀』の隠しテーマは「皇室批判」——改憲への障害となる皇室のお言葉

『日本国紀』のテーマ探し

平成最後の年(ママ)に誕生した奇書『日本国紀』(百田尚樹著, 幻冬舎, 2018)は、刊行されるやWikipediaコピペ箇所が大量に見つかって炎上し、その内容に触れられることは少なくなりました。

どこからどこまでコピペしたのか解らないような粗悪本に内容を問うこと自体馬鹿らしいのですが、著者御本人に言わせれば第十二章以降の三章が重要であり、加えて「隠しテーマ」があるそうです。この「隠しテーマ」が如何なるものであるかまだ明示されていません。しかし近現代の部分では「朝日新聞批判」「中韓脅威論」などが強弁され、それを裏で支える陰謀論として「WGIP洗脳」「コミンテルン暗躍」などが持ち出されますから、そこらへんが重要な論点と意識されているのでしょう。

しかしこれらの論点だけを描くなら「通史」というスタイルで記述する必要はないわけで、「近現代史」モノでいいわけです。

これを受けて本ブログでは「通史」という点から「隠しテーマ」について考察し、百田氏が、一貫して、外患に対する文治的・人命尊重的・日和見的態度を「平和ボケ」と厳しく非難し、逆に断固とした武断的態度を高く評価していることから、「憲法九条改正」こそが最大のテーマであろうと推測しました。

『日本国紀』の隠しテーマは「憲法九条改正」

2018.12.08

朝廷批判記述1「刀伊の入寇」

この「憲法九条改正」というテーマを追うにつれて、ひとつ気が付いたことがあります。それは、蒙古襲来などの「外患内憂」を解説するにあたり、朝廷の無能さを攻撃する点、つまり「皇室批判」もまたテーマとして含まれているのではないか、ということです。まず、「刀伊の入寇」では、朝廷が平和ボケしていたとこき下ろします。

この大事件に、朝廷が取った行動は常軌を逸したものだった。何と武力を用いず、ひたすら夷狄調伏の祈祷をするばかりだった。いかに政府が無力になっていたかがわかる。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 78(第5刷)

三百年も平和が続くと、朝廷も完全な平和ボケに陥り、国を守るという考えが希薄になっていた。同時に現実的な判断力も失っていた。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 81(第5刷)

外患に対して祈祷していた朝廷をこき下ろしていますが、現代と中世とでは常識が異なることを念頭に置く必要があります。調伏法などと呼ばれる呪殺が流行っていた当時においては、祈祷も立派な対応策だったでしょう。

このように朝廷をこき下ろす一方で、刀伊を撃退した藤原隆家を絶賛します。

刀伊を撃退したのは、太宰権師(大宰府の次官)であった藤原隆家だった。若い頃に左遷され、出世はしなかった。……天下の「さがな者」(荒くれ者)として知られ、権威をものともしな性格で、……こういう男が日本を守ったというのが面白い。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 78(第5刷)

朝廷批判記述2「文永の役」「弘安の役」

近代以前の外患の代表と言えば蒙古襲来(文永の役・弘安の役)でしょう。この外患に対しても、百田氏は、朝廷をこき下ろします。

当時、外交の権限を持っていた朝廷は、蒙古からの国書にどう対応していいかわからず、おろおろするばかりだったが、北条時宗は蒙古とは交渉しないという断固たる決定を下した。蒙古はその後、何度も使節を寄越したが、時宗は返事を出そうとする朝廷を抑えて、黙殺する態度を貫いた。……想像だが、彼は日本の国を預かる執権として屈辱的な外交はできないという誇りを持っていたのだろう。日本を守るためには、大帝国との一戦もやむを得ないと考えていた。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, pp. 98-99(第5刷)

しかしこの評価は妥当とは言い難いものです。実際には、朝廷内での会議において、蒙古からの国書(従属要求)を拒否することが決定し、日本の独立性を主張し、加えて挑発的内容を含む返書を用意していました。決して朝廷は弱腰だったわけではありません。蒙古襲来時には、朝廷も幕府に必死に協力し、保有している荘園から人員・食料を徴収して戦線に充てていました。

したがってこの百田氏の解釈は、朝廷をあえて無能に表現していると評価できるでしょう。

祭祀軽視の傾向

以上検討してきたように、百田氏は朝廷の役割を非常に侮蔑的に評価しています。もちろんこれは歴史的背景を踏まえるなら全く妥当なものではありません。まず「刀伊の入寇」についてですが、古代・中世においては祈祷の効用が信じられていましたから、この外患に際して朝廷が祈祷したことは、当時の常識からすれば決して「平和ボケ」ではなく、何ら非難されるものではありません。同時に、「文永の役」「弘安の役」の場合も、朝廷は決して弱腰になっていたわけではありません。

よって、この両事例において、百田氏は、明らかに主観に基づいて朝廷を「平和ボケ」と貶め、それとは逆に武断的態度を取ったとされる要人を称賛しています。この背景には、祈祷などの呪術的行為を軽んじる百田氏の価値観があるかと思います。

これはある意味で、天皇の価値そのものを否定することにつながりかねません。知の巨人と呼ばれた保守界の重鎮、故・渡部昇一氏は「天皇の仕事は祈る事である」と言いました。天皇は権威を担い、その権威は祭祀に由来すると言われます宮中祭祀はその権威を生み出す根源の一つです。

しかし百田氏にとっては「祈ること」自体が無意味なのです。このような理解こそが、『日本国紀』全体に渡って貫かれる皇室侮蔑の傾向を生み出していると言って過言ではないでしょう。

武断重視の傾向

そしてこれら外患の事例のみならず『日本国紀』全体を通して読み取れる傾向として、百田氏は、武断的態度を極めて重視して、外交的努力・人命尊重などの文治的要素を極めて軽視します。

私は、このような百田氏の言説は、氏の政治史的思想の現れであるのみならず、憲法改正に向けての、布石であると考えています。より想像力を逞しくすれば、現代の皇室への当てつけとしても解釈可能でしょう。現在、「憲法九条改正」は『日本国紀』(および保守)の悲願とされているわけですが、それに反して天皇・皇室(近代以前の朝廷に相当)が日本国憲法を重んじる言動をしているからです(後述)。

つまり、「現代日本は、“刀伊の入寇”や“文永の役・弘安の役”に匹敵する外患に脅かされた国難を迎えているが、昔と同じく皇室は平和ボケしていてその発言は頼りないし、祈っても無駄。ここは毅然とした武断的態度を取れる安倍首相に望みを託し改憲するしかない」というメッセージがあるのではないでしょうか?

陛下のお言葉と改憲

確かに百田氏の発言を、現皇室への当てつけであると解釈するのは、やや想像力が逞しすぎるかもしれません。しかし、現皇室が、必ずしも改憲を進める保守勢力の意向に沿っておらず、むしろ反対的な立場を表明していることは、彼らにとって大きな障害であることは間違いありません。

皇族の方々の政治発言はタブーであり、特に影響力の強い天皇陛下や皇太子殿下は細心の注意を払って発言されています。しかし、天皇陛下が譲位を望まれた折のお言葉は、政治発言とならぬよう細心の注意が払われていながらも、その影響たるや絶大で、当初は譲位に反対していた保守陣営も最後も世論に押されこれを追認せざるを得ませんでした。

端的に言って、現皇室に対する国民の支持率は、安倍政権よりそれより遥に高いのです。

ですから、もし改憲がより現実味を帯びた時に、陛下がこれに賛同・反対するようなお言葉を発せられたとするならば、その影響もまた極めて絶大であることが予想されます。

したがって改憲を目指すのであれば、それに反対するような陛下のお言葉があれば命取りになる可能性があります。しかしこれまで発せられた陛下のお言葉は、むしろ現行の日本国憲法遵守と読み取れるものです。たとえば、平成25年に天皇陛下は次のように発せられています。

80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した 時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校 の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったこ とを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。

天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)

太字にした部分からも明らかのように、陛下は平和憲法を重要視され、加えて戦後復興に携わったアメリカ人にも感謝を気持ちを抱かれています。このようなお言葉がより明確な形で示されれば、憲法九条改正にも影響が出るでしょう。

また来年即位されます現皇太子殿下も、同様に、現在の平和と繁栄は日本国憲法に基づくものであると明言されています。

日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されております。今日の日本は、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、現在、我が国は、平和と繁栄を享受しております。今後とも、憲法を遵守する立場に立って、必要な助言を得ながら、事に当たっていくことが大切だと考えております。

皇太子殿下お誕生日に際し(平成26年)

この様なお言葉の数々が憲法九条改正の後押しするものでないことは確かでしょう。

したがって憲法九条改正を確実のものにするためには、これら皇室のお言葉を有名無実にしなければなりません。つまり「歴史がそうであったように、現在の皇室は平和ボケ状態であるから耳を貸すな。日本を救えるのは安倍首相だけだ」と百田氏は言いたいのではないか、と思えるのです。

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5 件のコメント

  • 『日本国紀』執筆理由が「憲法九条改正」だけでなく「皇室批判」も隠しテーマではないかというのは新鮮で、とても面白い論考だと思いました。
    確かに、現天皇陛下は今の日本国憲法をとても大切に、守るべきものと考えておいでだと思います。引用されている平成25年会見でのお言葉でも、《平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を》作った その主語を《日本は》とされていて、「他国から押し付けられた」として改憲理由の一つとする保守派には実に忌々しい「お言葉」でしょう。

    私は天皇制の是非はともかくとして今の陛下をとても尊敬しているので、この推論通り陛下を「平和ボケ」として暗に批判し、その影響力を薄めようと狙っているのだとしたらちょっと許せないというか……百田氏はHBIP(HeiwaBoke Information Program)に洗脳された “反日” だと思います(笑)

    追伸:『天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)』へのリンクアドレスがおかしいようで?私の場合エラーになってしまいます。こちらが良いのではないかと思います。
    http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html
    もしくは皇太子殿下のお言葉リンク先と同じにするとか。

    • ご感想ありがとうございます。リンク切れも修正しました。またどうぞぜひぜひよろしくお願い致します。

  •  >より想像力を逞しくすれば、
     >現代の皇室への当てつけとしても解釈可能でしょう。

    職業記者としての下積みもなく、論客気取り。
    そんなエセ文士による『日本国紀』の剽窃を逐一検証する点について、
    深く賛同すると同時に頭が下がる。活字文化をこれ以上、液状化させないという意味でも頑張ってほしい。
    ただし、行間を離れて、著者が明言してもいないことで、”皇室への当てこすり”とまで飛躍させるのは蛇足と映る。

    というのも、百田氏が日頃から憲法9条やご都合的な脳内サヨクを露骨に目の仇にしていても、
    また、その延長線上に(無学な氏とは、教養背景の全く異なる)皇族との意見の齟齬が容易に看て取れても、
    今どきは、”ネトウヨにとっての”、護憲派とか、パヨクとレッテルを貼るだけで、ネットの多数派に訴えた勝利宣言や
    勝ち逃げまでができるような時代。

    果たして、そういう状況で、
    管理人個人としての思想信条を仮託する事が、
    文盲連中が議論と取り違えている、論点そらしや揚げ足取りに繋がりはしないのかどうか。
    つまり、著者にその意図がなかった場合、それを捉えてデマだの印象操作だのと言い訳の口実を与えるだけなのでは。
    個人的には、こういう事で、窮地に陥った盗っ人に時間稼ぎの隙を与えるのは迂遠と映る。

    さて、百田氏自身は、若いころに大学へは入学しても
    ゲスいテレビ作家(見習い)が儲かり過ぎて「卒論を書いた事がない」御仁に過ぎない。
    これまで通り、事実関係を淡々と積み重ね、駄文の添削を施すだけで、陥落するのは時間の問題だろう。
    ネトウヨ的な言説が如何に社会にとって有害で深刻な状況なのか、
    できるだけ多くの社会人・有権者に広く知らしめるには、悠然と正攻法で臨むことこそ近道、そう考える。

  • 普段、ムダに「愛国者」気取りで、「天皇陛下、バンザ~イ!」とかやってる方々にとって、重要なのは、あくまでも、自分たちが都合良く利用できる天皇制というシステムそれ自体であって、
    現に皇位に就いている人物個人などは、所詮そのシステム維持のための、単なる人的な一要素に過ぎないのでしょう。
    なので、現在の明仁天皇や、この前、大嘗祭について発言した文仁親王のように、現行の日本国憲法的なリベラルな価値観を尊重するような姿勢を示していると、「今の皇室の連中は、むしろ『有害』だな」という感じになるのかもしれませんな。

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