『日本国紀』の隠しテーマは「憲法九条改正」

『日本国紀』の隠しテーマ

百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎, 2018)には「隠しテーマ」があると、関係各位から盛んに主張されています。著者御本人は、第十二章以降が重要であるとことあるごとに声高に叫んでいます。

この二点を勘案すると、第十二章以降で盛んに強調されている「朝日新聞叩き」や「中国・韓国脅威論」などが主要テーマ(「隠し」と言うのは大げさ)なのでしょうけど、むしろ「通史」というスタイルで貫かれている課題としては「平和ボケ」に対する注意喚起と、それに基づく「憲法九条改正」こそが重要なテーマであるように思えます。

刀伊の入寇と平和ボケ

まず、この「平和ボケ」への批判は、「刀伊の入寇」を紹介する記述から確認できます。「刀伊の入寇」という聞きなれない事件は、平安時代末期後期に、女真族(満洲民族)を中心とした海賊が日本沿岸部に襲来して略奪行為を繰り返した事件です。

この時の朝廷の対応を『日本国紀』は厳しく非難します。

この大事件に、朝廷が取った行動は常軌を逸したものだった。何と武力を用いず、ひたすら夷狄調伏の祈祷をするばかりだった。いかに政府が無力になっていたかがわかる。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 78(第5刷)

祈祷していた朝廷をこき下ろしていますが、現代と中世とでは常識が異なることを念頭に置く必要があります。調伏法などと呼ばれる呪殺が流行っていた当時の常識からすれば、祈祷も立派な対応策だったでしょう。

したがって百田氏の解釈は偏ったものですが、その偏りにこそ氏の本音があると考えられます。私には、この朝廷を無能力とする百田氏の言説は、現代の憲法第九条に基づいた日本政府の対応を批判するための伏線であると理解しています。

朝廷をこき下ろす一方で、刀伊を撃退した藤原隆家を絶賛します。

刀伊を撃退したのは、太宰権師(大宰府の次官)であった藤原隆家だった。若い頃に左遷され、出世はしなかった。……天下の「さがな者」(荒くれ者)として知られ、権威をものともしな性格で、……こういう男が日本を守ったというのが面白い。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 78(第5刷)

特に藤原隆家について「左遷され、出世はしなかった」という不遇さに同情を寄せているところが重要であり、これが現代の自衛隊の立場と重なって見えます。

つまり「刀伊の入寇」という、日本の歴史上あまり重要ではない事件を四ページ(pp. 78-81)にわたり言及していることは、「内憂外患」という現代の状況と一致しているからでしょう。事実、この状況を「平和ボケ」という言葉で纏めています。

平安時代末期は警察機構がほとんど機能しないばかりか、経済も立ち行かず、都の通りに死体が転がっていることも珍しくなかった。……しかし朝廷は世の中のいやな事件や現実には目を瞑り、ひたすら優雅な生活と文化を愛し、権力闘争に明け暮れていたのだ。……
三百年も平和が続くと、朝廷も完全な平和ボケに陥り、国を守るという考えが希薄になっていた。同時に現実的な判断力も失っていた。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, pp. 80-81(第5刷)

平和ボケでなかった「文永の役・弘安の役」

一方、鎌倉時代の蒙古襲来(文永の役・弘安の役)に対して強気の武力決断を下した北条時宗については高い評価を与えます。

当時、外交の権限を持っていた朝廷は、蒙古からの国書にどう対応していいかわからず、おろおろするばかりだったが、北条時宗は蒙古とは交渉しないという断固たる決定を下した。蒙古はその後、何度も使節を寄越したが、時宗は返事を出そうとする朝廷を抑えて、黙殺する態度を貫いた。……想像だが、彼は日本の国を預かる執権として屈辱的な外交はできないという誇りを持っていたのだろう。日本を守るためには、大帝国との一戦もやむを得ないと考えていた。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, pp. 98-99(第5刷)

ここでも対外問題について日和見的な態度を取ろうとした朝廷をこき下ろし、それに対して武断的態度を貫いた北条時宗を高く評価しています。

「日本の国を預かる執権として屈辱的な外交はできない」という百田氏の言は、氏が理想とする外交態度であり、現代日本においてもそのような毅然とした態度を取るべきだという伏線であるように思えます。

現代の平和ボケ

第十三章に「平和ボケ」というチャプターがあり、そこで憲法第九条に支えられた現代日本の現状が憂いられ、それが平安時代の話と結び付けられています。

戦後の日本人を蝕んだ「自虐思想」に付随して生まれ、浸透したのが日本独特の「平和主義」である。これは「平和」を目的とするものではなく、極端な反戦思想と言い換えたほうがいいかもしれない。……「武」を「穢れ」として忌み嫌う、平安時代の貴族の様な思想を持つに至ったのである。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 483(第5刷)

平安時代の「平和ボケ」は300年続いた平和状態が原因であると説いていましたが、現代日本における「平和ボケ」は自虐思想に基づいているという解釈が特徴的です。

なお百田氏によると、戦後GHQによるWGIP洗脳によって自虐思想が広まり、その尖兵が朝日新聞社だったとの理解が示されています。つまり、戦後GHQのWGIPによって洗脳された朝日新聞社を中心とした活動によって、日本に自虐史観が根付き、憲法九条を核とした「平和ボケ」になってしまったということでしょう。

もちろん百田氏はこのよう現代日本の状態を厳しく非難しますが、その「平和ボケ」を象徴するとされる「ダッカ日航機ハイジャック事件」への解釈が酷い。

この時、首相の福田赳夫は自らのとった措置を正当化する理由として、「一人の命は地球より重い」と言って、世界中から失笑を買った。この言葉は、小説家や詩人が命の重さを表現するのに使う陳腐なレトリックであって、一国の首相が凶悪事件や治安維持の場面で用いる言葉ではない。これが絶対的に正しいとするならば、事故で毎年数千人の死者を出す自動車さえ運転禁止にしなくてはならなくなる。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 484(第5刷)

別の記事でも紹介しましたが、人質の人命を救うため、超法規的措置でテロ犯を釈放した時に福田首相が発した「一人の命は地球より重い」の出典は、1948(昭和23)年の最高裁判決文(最高裁判例)です。つまり、三権の長が凶悪事件を裁く際に用いた言葉であり、百田氏が主張するような、「小説家や詩人が命の重さを表現するのに使う陳腐なレトリック」ではありません。

また「これが絶対的に正しいとするならば、事故で毎年数千人の死者を出す自動車さえ運転禁止にしなくてはならなくなる」という発言は全く意味不明であり、詭弁でしょう。交通事故に殺人の意図性・故意性はありません。しかし、ダッカ日航機ハイジャック事件時の福田首相の場合には自身の判断で人命が失われていた可能性があり、交通事故のような場合とは全く状況が異なります。

このような百田氏の無理な解釈から、氏の本音が窺えます。つまり、このような「内憂外患」に対して、交渉を用いた文治的・人命尊重的・平和主義的・日和見的言動を厳しく非難し、武断的な態度を重んじる点です。

終章の構成

このような「内憂外患」に対して武断的態度を重んじる百田氏にとって、国の交戦権を奪っている憲法九条は目の上のたん瘤です。

この第十二章「平和ボケ」の次には終章がはじまり、そこでの構成は「内憂外患」を説き、これを乗り越えるために改憲が必要であることを極めて強く主張します。終章の構成を上げれば次の通り。

  1. 平成
  2. バブル崩壊
  3. 膨張する中華人民共和国
  4. 狂気の北朝鮮
  5. 内憂外患
  6. 憲法改正の動き
  7. 未来へ

つまり③で中国の脅威を、④で北朝鮮の脅威を、⑤において日本国内の不安な情勢を説き不安を煽ります。そしてこの解決方法が、⑥憲法改正であると力強く説き、それを⑦未来に託すという構成です。

現在の日本は国内的にも様々な問題を抱えているが、緊急の課題と言えばやはり安全保障である。我が国を取り巻く国際情勢は平成に入った頃から、急速に悪化してきた。しかし残念なことに、日本政府はこの状況に対し適切な対応を取れていないというのが現状である。……

こうしたことの根源は七十年前、GHQが、日本を完全武装解除するために押し付けた憲法に起因する。……憲法九条と誤った憲法解釈があるばかりに、日本は国土も国民も守れない国になってしまったのだ。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 499(第5刷)

しかし日本にとって憲法改正と防衛力の増強は急務である。これは机上の空論ではない。

百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018, p. 504(第5刷)

まとめ

以上を要約すれば、百田尚樹『日本国紀』のなかで訴えたかった最大のテーマは「憲法九条改正」で疑いないでしょう。

百田氏は「刀伊の入寇」「文永の役・弘安の役」「ダッカ日航機ハイジャック事件」などといった歴史事件を通して、外患に対する文治的・人命尊重的・日和見的態度を「平和ボケ」と表現して厳しく非難し、逆に断固とした武断的態度を高く評価します。これらの箇所には百田氏自身の思想性が現れたと評価できる、非論理的な言説が確認されます。

また、これらの歴史事件に対する評価は、憲法九条改正が必要であることを訴えるための伏線と考えられます。当然現代にあっては憲法九条がある以上、外患にして日本は武断的態度を取ることは不可能だからです。

そして、この憲法改正を阻止する敵勢力(WGIP洗脳者、朝日新聞社など)を勝手に構想し、改憲論争を右と左の戦いに還元してしまうことが本書の短絡的な特徴であると評価できるでしょう。

なお私は健全な議論の上に九条が改正されることは重要であると考えており、その点では改憲派です。しかし改憲の是非を左右の立場に結び付けて議論することには反対です。

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