安倍首相は「憲法改正」を本気でやり遂げる気が無いと思う根拠

憲法改正という目標

「押し付け憲法」「戦後レジーム」「自主憲法」などと様々な言葉をもって表現されますが、1946年に発布された日本国憲法を改正することは、保守界の悲願とされています

たとえば日本会議のHPには「憲法改正」のタイルが一番目立つ箇所に置かれていますし、そこで紹介されている美しい日本の憲法をつくる国民の会は、それを実現させるための下部組織です。櫻井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所も、憲法改正を求める意見広告を出しています。

このように憲法改正を強く訴える保守界の期待を一身に受けているのが、安倍晋三首相です。もちろん当の安倍首相も、ことあるごとに憲法改正の重要性を口に出します。

しかし、安倍首相(そして保守界)は、本当に憲法改正を目指しているのでしょうか? むしろ、単なるスタンスだけで、本気で改憲などする気はないように私は感じられます。

より後退した憲法改正案

安倍首相が憲法改正を本気でする気が無いと思う根拠は、憲法審査会で取り上げられている「改憲4項目」(九条改正・緊急事態条項・参院選「合区」解消、教育充実)の改正指針が、平成24年に策定された「日本国憲法改正草案」よりも具体性のないものだからです。

つまり平成24年度にたたき台をつくっておきながら、それを用いず、また新たにゼロからた改正案を作ろうとしているわけです。この点で、憲法改正の現実味はより後退してしまっています。

菅野完氏はウェブサイト「幻冬舎Plus」で発表した記事「イヤガラセの道具と化した「憲法改正」」のなかで、「官邸側は今の臨時国会で「改憲案」を提示することを諦めてはいません」「官邸サイドが諦めていない」と評価していますが、私にはどうもこれが信じられない。単なる「やるぞ」というスタンスでしかないように思えます。

憲法改正以上の目標がない現状

安倍首相の「憲法改正」がスタンスでしかないと思う理由は、保守界にとって「憲法改正」は最大の悲願であり、現状、それ以上の目標が見つけられていないからです。

つまり、改憲の望みを一身に受けている安倍首相が、仮に憲法を改正してしまえば、もはや安倍首相は不要になってしまう訳です。憲法改正できていないからこそ安倍首相が必要なのです。

この微妙な構造を安倍首相は正しく理解しているように思えます。保守界に対してリップサービスは怠りませんが、実際の政策については移民受け入れを推進するなどむしろリベラル的であることはこれを象徴しています。よって私は、「安倍首相は真剣に改憲に取り組む気はない」と結論づけたいと思います。

保守界も改憲が実現できるとは考えていないであろう根拠

これとよく似た構造は、保守論壇にも確認されます。

これまで保守界隈は「憲法改正できるのは安倍晋三しかいない!」と訴えて安倍首相を推してきました。しかし、その実際の安倍首相が力強く改憲を推し進めていないにもかかわらず、その批判の矛先は「安倍首相」ではなく、なぜか改憲に反対する「野党」勢力になります。

つまり改憲について野党を非難するのに、改憲できる立場にある官邸(安倍首相)や与党を非難しないというというのは、実行性という点で全く意味がないのです。ここから、保守界隈にとって「改憲」とは、本質的には野党批判のネタであって、現実味のある話ではないことが推測されます。

まとめ

もちろん慎重な議論を重ねた上での「改憲」は有意義なものであり、国民の総意に基づいた「改憲」は素晴らしいものでしょう。しかし同時に、憲法の条文を書き換えれば即座に日本が美しくなるわけでないことも自明でしょう。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」という日本会議系の団体がありますが、珍妙な名称であると言わざるを得ません。

こういった珍妙な団体の活動からも明らかですが、昨今の改憲運動には、目的と手段の混同があるように思えます。必要に応じて改憲されるわけで、改憲という政治イデオロギーのために改憲するわけではありません。しかもその政治イデオロギーですら蔑ろにされ、もはや改憲は単なる煽情のネタに成り下がっているきらいがあります。

戦後70年以上に渡って日本が「日本国憲法」の下、大きな戦争に巻き込まれることもなく、平和の中で繁栄を享受してきたという事実は揺らぎようがありません。「憲法改正が必要だ」という目的を手段化した政治イデオロギー以外のところにも、「改憲」の必要性が認められるまで、やはり現実的な課題として改憲が論じられることはないように思えます。そのことに安倍首相(および保守界)は気が付いていて、実は確信的に行動しているのではないかと推察します。安倍首相は非常にクレバーなのです。

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