【トンデモ】犠牲バントの精神は特攻に通ず(野々村直通・勝谷誠彦『にっぽん玉砕道』産経新聞出版, 2012)

体罰も含めた「力」は正義

これまで様々な保守系先生を紹介してきましたが、今回は、一風変わった熱血的保守系先生を紹介していきたいと思います。

そういえば、小学校や中学校の時、厳しい先生の授業では静かにするのに、甘い先生の授業では私語雑談してしまうという経験は皆様もあるのではないでしょうか。

甘いと優しいは紙一重で、優しい先生に人望と尊敬は集まったも、ただ甘い先生は舐められるだけです。逆に、厳しい先生でも、ちゃんとメリハリをつけていれば十分生徒たちから好かれると思います。

厳しさの度が過ぎると、もちろん教育委員会に訴えられてお灸を据えられたり、まして体罰など振えば懲戒処分は免れないご時世です。しかし、厳しさの度が余りに過ぎ過ぎてしまうと、逆に尊崇の念を抱かれてしまうこともあります。とくに二回りくらい昔のスポコンドラマ(スクールウォーズなど)とかにこの典型例を見出せるのではないでしょうか。つまり教師による鉄拳制裁の体罰が、愛の鞭であり、教育の一環であるという構造です。

流石にこのような事例は今はないかと思いきや、ありましたありました。高校野球の監督を務めていた野々村直通先生です。この先生は、センバツ甲子園で21位世紀枠校に負けると「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」「腹を切りたい」と言って処分を受けてしまったり、抽選会に着物で行ったり、スーツの趣味がアレで「やくざ監督」の異名を得てしまったりとお茶の間を騒がせました。

またこの先生は熱烈な愛国者で、なんと監督室には神棚旭日旗昭和天皇の御真影が所狭しと置かれています。もうこれでは置かれている野球バット海軍精神注入棒にしか見えません…。本記事ではこの先生の愛国野球育論を紹介したいと思います。

旧日本軍さながらの強育論

そんな愛国で戦前回帰志向の強い先生は、もちろん体罰肯定論者です。ただし体罰とは呼ばずに「肉体接触による愛の励まし」と呼んでいるそうです。

私は「体罰」と呼ばずに「肉体接触による愛の励まし」と呼んでいる(笑)。

 野々村直通夫『強育論』講談社, 2013, p. 20

「愛」は両想いでなければ悲劇になります。せめて先生の愛が、一方通行でないことだけを願ってやみません。

また当然、先生の愛は一目惚れの場合もあります。なんと、部活初日の生徒に凄んでビビらせたことを得意げに語り出します。

数年前、松江市内のある中学校にМ君という生徒がいた。野球はしていたものの、彼は地元では名の知れた不良だった。…。心機一転頑張ろうと頭は丸めていたのだが、前年の秋のあの生意気な態度が私の頭をよぎった。新入部員の練習初日、私は彼を呼びつけ最上級の脅しを見舞った。殴りはしなかったが、決定的な存在感を見せつけてやった。彼は初日から青ざめていた。

 野々村直通夫『強育論』講談社, 2013, pp. 20-21

年齢が倍以上離れているでしょう教師と生徒(教官と新兵)という格の差を見せつけて誇らしげになるところはまさに旧日本軍のシゴキそのもので驚かされます。なお、「その彼が更生して警官になった」という美談まで続くのですが、ここまでスゴいとそれまでなんだか戦前回帰の教育論のように思えてしまいます。

叩かれて喜ぶ「ビンタ記念日」

普通ならトンデモない先生です通報ものですが、スポーツ(それも甲子園)という環境下のおかげでしょうか、逆に神格化してしまっているようです。なんとビンタされると喜ぶ生徒がいるそうです。

私は彼を強く責め、
「貴様! 何様のつもりだ!!」
と怒鳴りながら初めて彼を叩いた。彼は根性者らしく、歯を食いしばって耐えていたが、なぜか顔は満足感で満たされていた。

 野々村直通『強育論』講談社, 2013, p. 56

驚くべきことに、その生徒の両親は、息子がビンタされたと聞くや学校や教育委員会、高野連に相談or報告するのではなく、なんと「おめでとう!!」と言って祝宴を開いたそうです。

後日談によると、彼はその夜、自宅に戻って両親に「やっと監督に叩かれた」と報告した。すると「おめでとう!!」と言われ祝宴になったという。入学以来、親子で”監督に叩かれたら一人前”と語り合っていたという。

 野々村直通『強育論』講談社, 2013, p. 56

……。

スポーツではこれが常識なのでしょうか!? 体操の宮川選手のパワハラ騒ぎの時に、本人が了承していた場合、受けた暴力はパワハラになるか否かが議論されました。なお宮川選手はコーチからパワハラを受けたことは無いと言っていましたが、その後、コーチがビンタしている動画がニュースで流れ、お茶の間を凍りつかせました。なにせ一般庶民には、コーチが選手を殴っているようにしか見えませんでしたから。

たしかに本人とコーチという狭い関係の上では、こういった体罰が許容される余地は皆無ではないのかもしれません。しかし協会とか団体からしてみれば、イメージダウン甚だしいもので、とても許容できるものではないと思います。よって、甲子園出場校で、日常的に鉄拳制裁が行われていることは、その高校や部員、監督だけの問題ではなく、野球界全体の評判・行く末に関わる重大問題であることを認識してほしいです。

もちろんこの監督は鉄拳制裁が常識になる社会を望んでいるのであり、そんな外野の声に振り回されることは無いでしょう。なにせ暴力問題などを高野連への報告することは、「タレコミ」であるとされています💦

「報告」という名の「タレコミ」ですね。

野々村直通・勝谷誠彦 『にっぽん玉砕道』産経新聞出版, 2012, p. 101

教育勅語と記紀神話を学ばせれば日本は再生する

また当然、愛国者である野々村氏の教育理念の根底には「教育勅語」があります。

この教育勅語の中身ほど素晴らしいものは、他に存在を知らない。

 野々村富貴夫『強育論』講談社, 2013, p. 240

この素晴らしい教えの「教育勅語」を幼少より暗誦させ、その意味を理解させ行動させる。そうすれば必ずや理想的な美しい日本が再生されると確信している。

 野々村直通『強育論』講談社, 2013, p. 240

しかし教育勅語を暗誦して実践した結果が「肉体接触による愛の励まし=体罰」なのですから、戦前・戦中の日本を思うとやりきれないものがあります。

もちろん記紀神話を学ぶことも大切と主張。愛国者にとって教育勅語と記紀神話はセットです。

日本国民として、日本国の神話を語れるということは、神話をもつ他国との友好、交流にも役立つはずである。

 野々村直通『強育論』講談社, 2013, pp. 245-246

江田島で死を学ばせるべきである

そんな愛国者である野々村氏は、部員を連れて靖国神社を参拝したり、江田島で特攻隊員の遺書を読ませたりするだけでなく、なんと感想文まで書かせ「死」を学ばせるそうです。

特攻隊員の「死」が野球とどういう関係があるのか一般人には理解不能であると思います。しかしこれには野々村氏独自の野球観がその背後あります。これを説明するとやや長くなりますが次のようなものです。まず、野々村氏によれば日本の野球は「野球道」であり、ホームランを尊重するアメリカの「ベースボール」とは違うものと定義されるます。

野球とベースボールの違いもあると思うのです。やっぱり野球は「野球道」なのですね。ベースボールとは全然違います。

 野々村直通・勝谷誠彦『にっぽん玉砕道』産経新聞出版, 2012, p. 62

それでは日本の野球道の特徴は何かといえば、それは犠牲バントであると強弁されます。

野球という名前がついて、そこで新しく生まれたのが、犠打の精神なのですよ。送りバントが重宝されるのが日本野球なのです。……これは、民族性なのですね。
ベースボールと野球の違いは、犠打の精神です。身を挺して、自分は死んでもランナー一人を送る。俺は死んでも味方が得点してくれる。これは特攻の精神です。

 野々村直通・勝谷誠彦『にっぽん玉砕道』産経新聞出版, 2012, p. 63

超絶理論でついていけないかもしれませんが、犠牲バントは「自分は死んでもランナーを送る」という点で、特攻と同じだというのです。

まぁ確かにそういわれて見ればそんな気も……するわけないか。

……。

なお、犠牲バントは実際には得点効率が悪いことが明らかになっている点も、特攻の現実と併せて考えるとき感慨深いものがあります。これからは甲子園で犠牲バントするたびに特攻だと思わなければいけないようです。犠牲バントを命じる先生はまさに「鬼教官」の鑑ですね。

2 件のコメント

  • はじめまして

    引用として『送りバンドが重宝されるのが日本野球なのです』とありますが、本当に「バンド」となっているのでしょうか?
    と申しますのは、野球用語は、元は英語でしょうから、それなら“bunt”ですので、「バント」が、一般的だと思うのですが。

  • コメントを残す