【トンデモ】坊主「特攻で死ぬことが仏道修行!」(浄土宗宗報1945.1-2)

大政に翼賛する宗教

アジア太平洋戦争(大東亜戦争)が起こると、日本の諸宗教が戦争継続に積極的に加担したことはよく知られます。

特に本土爆撃が始まると、この積極性は激情と悲壮感に変貌を遂げます。念仏すればこの国は救われるとか、神風が吹いて最後は勝てるとか等々。

本記事では、その様な狂気に満ちた言説のなかで、1945年に浄土宗が特別特攻隊を仏道修行だと言って推奨してしまった例を紹介したいと思います。

浄土宗宗報における特攻賛美

浄土宗は今でこそ「共生」などという標語を用いて、平和とか非戦とか訴えていますが、この「共生」という言葉は戦前・戦中ではもちろん「大東亜共栄圏」と同義で用いられ、浄土宗は積極的に戦争継続に加担していました。

また椎尾辨匡という浄土宗の中心人物は、戦前・戦中は天皇を阿弥陀仏と同一視して、仏壇で仏像と御真影のどちらを奉るべききか等、今にすれば馬鹿々々しい議論を真面目にしていました。(リンク:仏壇には仏像と御真影の何れを奉るべきか?

そんな浄土宗ですから、戦況が悪化して特攻隊が出撃し始めても、それに反対することは勿論なく、特攻こそが仏道修行であるというトンデモ論を展開することになります。

1945年1月15日発刊の『浄土宗宗報』では、一死報国(死んで国に報いること)を、僧侶はもちろん、老若男女問わず実践すべきであると説かれています。

戦局危急、皇国の荒廃、繋るて今日に在る重大時局下に於て全僧侶は勿論蹶然として起つて一死報国の丹誠を抽んで、皇恩に奉対すべきである。老若男女、能不能は問ふべきでない。然しながら之を組織し、之を指導し、之を実践して、戦時下教化に遺憾無きを期することも亦必要でつて、これこそ教区布教団の持つ大きな役割ではなからうか。

 『浄土宗宗報』1945.1.15, p. 1

また、特攻隊を「崇高さながら神そのままの姿」と激賞し、これに続く必要性を説きます。

それにしても皇国防護の大義に振ひ起つ皇軍将兵は、特攻隊を先頭として全員特攻精神を発揮し、崇高さながら神そのままの姿で、明朗敢闘を続けている、銃後一億亦宜しく特攻精神を振起して技術生産の両陣営部面に明朗敢闘を遂げ、勇奮以て戦線の特攻に続かねばならぬ

 『浄土宗宗報』1945.1.15, p. 2

鬼気迫る文章から、置かれている精神状態を察することができます。次のような一文もあります。

一方比島の決戦場は戦況日は激烈を加へてをり、第一戦においては勿論、内地においても陸続として出撃を待つ特攻隊勇士は、我々の手に成る航空機の到着を待ち望んでいる、敵機を邀へ撃ちな(ママ)敵の戦線は、見る見る崩壊して了ふのである。

 『浄土宗宗報』1945.1.15, p. 2

まるで特攻隊全員が死にたがっているような文面であり、情報統制された下にあったとはいえ、これは余りに酷い。

特攻は仏道修行

そして『浄土宗宗報』1945年2月1日号では、とうとう一億国民が皆特攻精神を抱くべきであり、体当たり敢行こそが「大菩薩道」であると賞揚されています。

日々ラヂオや新聞が伝ふる前線の特別攻撃隊の活躍をなんと見るか、特攻精神は今や一億国民に要求せられ、体当たり敢行こそは我等教化に任する者が、常時体得実行すべき大菩薩道として示唆されている。

 『浄土宗宗報』1945.2.1, p. 1

このように、とうとう特攻は仏道修行にまで祭り上げられてしまいました。戦争という極限の状況下においては、正常な判断ができなくなり、無批判に大政に翼賛してしまう格好の例でしょう。

なお、戦前・戦中に散々戦争を煽っていた椎尾辨匡は、戦後になると突然「私は戦争を止めようと活動していた」と主張し、そのお弟子さんに至っては「椎尾先生は戦争を回避するために活動された平和主義者であった」というな評価を下すという、なかなか理解し難い現象が起きてきます。これについてはまた別の記事で紹介したいと思います。

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