ローマ法王が認めた日中戦争

聖と俗

宗教は国家権力とうまく付き合っていく必要があり、これを怠ると時として激しい弾圧に遭う可能性があります。聖(宗教)と俗(国家権力)との間には常に緊張関係があると言えるでしょう。

戦時下にあっては、宗教は体制に随従し、戦争を肯定しなければなりませんでした。近代日本は神道に基づく全体主義国家でしたので、仏教やキリスト教は、神道や国家体制に対立が起きぬように最大の配慮をしました。たとえば上智大学は当初靖国参拝を禁止していましたが、陸軍の圧力を受けてこれを撤回しています(リンク:靖国参拝を可能にするカトリックの理論)。

現代でこそカトリック教会は政治家の靖国参拝を非難していますが、それは国家権力に刃向かっても弾圧されなくなった現代だからこそです。

宗教と戦争

これと同じ現象は宗教と戦争をめぐっても確認されます。今でこそ「戦争を容認する宗教」などと聞くと「過激派か何かか?」と思うかもしれません。しかし戦争を積極的に否定する宗教というものは、長い歴史の上からすれば非常に稀な現象で、十字軍や一向一揆、大東亜戦争を振り返れば、むしろ宗教は積極的に戦争に加担してきました。

その様な中で、今回紹介したいのは、日中戦争(1937-1939)が勃発すると、ローマ法王が日本の行動に理解を示す発言をした事件です。この言説は、ネットなどで、日中戦争が侵略戦争ではなかった根拠として用いられる場合があります。

対共産主義とカトリック

この言説の根拠となる記事を調べると、確かにカトリック教会は日本に協力すべきと言っています。しかしそれはあくまで「共産運動の危険が事実存在すぐ限りにおいては」という条件付きで、手放しに日本に賛同している文脈ではないことには注意が必要です。次のようにあります。

ここで引用さている引用文を書き起こすと、

共産運動の危険が事実存在すぐ限りにおいては日本の行動に協力すべき」

「今回の日支間の紛争に対するカソリック教の立場はこれに介入せざることと、負傷者に対しては公平、均等に努むべきも、同時に日本の迅速な行動これを妨げることなきを期すること。蓋し今回の日本の直接の関心は共産勢力のアジア浸潤駆逐に他ならないからである

とあり、いずれも「共産主義に対する行動である限り」という限定があります。さらに「今回の日支間の紛争に対するカソリツク教の立場はこれに介入せざること」とも明言されています。したがって、「日中戦争については不介入中立、ただし共産主義妥当という点については協力してもかまわない」ということなのでしょう。

このような重大な声明が、「公式見解」としてでなく非公式の「談話」として発表された理由は、①そもそも共産主義とカトリック教会は相容れない関係に有ること、②ファシズム下のイタリアにローマ法王庁があったこと、③しかしアメリカでは日本製品不買運動など反日運動が起こっていたことなど、複雑な国際情勢の中でカトリック教会が存続してくために八方美人になる必要があったのでしょう。

なお、ファシズム下での靖国参拝をめぐる日本カトリック教会の動向については下記のリンクをご参照ください。

靖国参拝を可能にするカトリックの理論(田口芳五郎『カトリック的国家観:神社参拝問題を繞りて』改訂増補第3版, カトリック中央出版部, 1933)

2018.10.17

上智大生靖国神社参拝拒否事件

2018.10.17

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