【トンデモ】小さな真実を重ねて大きな空想を信じさせる(櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002)

はじめに

終戦後、GHQによって「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と巷で言われるところの、アメリカ主導のプロパガンダ活動があったことはよく知られています。多くの保守の方々は、このWGIPを、戦後日本諸悪の根源であるかのように攻撃します。

たとえば江藤淳氏は、このWGIPを「戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖した」(『閉ざされた言語空間』文芸春秋, p. 228)と評価したり、高橋史朗氏は「日本人の美しい心が破壊され、内的自己崩壊が謀られた」(『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在』宝島社, p. 13)と評価しています。もしこれが本当ならば、とてつもない陰謀がGHQによって実行されたことになります。

もちろんこれとは逆の見解もあり、数少ない信頼できる保守論客として高名な秦郁彦氏は、上記の陰謀論に対して「果してそんな大それたものだったのか」と述べています。また、近年刊行されました研究書、賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版, 2018)も、GHQの対日情報教育は、江藤淳氏らが主張するような陰謀論の類ではない点を指摘しています。

ところで本記事で検討していく、保守界の女王である櫻井よしこ氏は、前者の立場に立ち、このWGIPが日本人を洗脳する謀略(!)であると理解しています。しかし、不思議な現象がここで起こります。アメリカがこのような洗脳謀略によって日本を自虐史観に陥れたのであれば、当然アメリカに対して謝罪と補償を求めるべきところです。しかし、櫻井氏は慰安婦問題についてアメリカの新聞に広告記事を載せてしまうほど精力的にもかかわらず、なぜかこのWGIPについてはアメリカ側に苦情を言ったという話は聞きません。

此れと同じ矛盾は他の保守論客にも確認されます。たとえば、WGIPの第一人者(?)である高橋史朗氏も、その著書の中で散々WGIPによる洗脳を糾弾しておきながら、非難の矛先はアメリカではなく、なぜか朝日新聞・南京事件・慰安婦問題に向かいます。

このように保守本で取り上げられるWGIPには奇妙な論理構造が確認されます。そこで本記事では、WGIPの一貫として実施されたラジオ放送をまとめた書籍版『真相箱』に対する保守論客の理解を検討したと思います。具体的に取り上げるのは、櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002)です。

『真相箱』の何を批判するのか

1945(昭和20)年12月9日から、GHQ主導の下、ラジオ番組「真相はかうだ」が放送され、その後も「質問箱」「真相箱」と名前を変えながら1948年まで再放送され続けました。これらの放送をまとめて刊行されたものが、『真相箱 : 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戦の真相』(コズモ出版社, 1946)です。この放送を通じてGHQが力を入れて訴えたかったことは次の六点であると指摘されます。

・戦時中の日本軍大本営発表は嘘ばかりだった。
・捕虜になった日本兵は連合軍の待遇がよいことに驚き、自由のみに感謝の日々を送った。
・ポツダム宣言はこの上なく人道的で寛大かつ非懲罰的な幸福条件である。
・原子爆弾の投下は、膨大な破壊を被るという連合軍側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったために実行されたのだ。
・戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然である。
・日本国民はこれまでの過ちを反省して、青年たちは世界に他れる新日本の建設に立ち上がるべきだ。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 17

すなわち、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)での大本営発表の嘘を暴きつつ、連合国側が把握している真実を伝えるというストーリーです。これに対して櫻井氏は次のように指摘します。

確かに、当時の日本軍の大本営発表が虚偽に満ちていたことは疑うべくもない。ただ、GHQの放送が巧みなのは、…中略…連合軍側は正直で日本軍の大本営発表はまったく嘘八百だったと繰り返すことだ。大本営発表の嘘について実感がある分、日本国民は米国側の「正直」を信じ込まされていくのだ。


 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 21

歴史の真実に巧妙に虚偽を散りばめながら日本の”犯罪”を日本のお茶の間に告発し続け、”帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した”という観念を植え付けた。


 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, 書籍紹介

つまり、「大本営発表の嘘を暴くことでアメリカ側の信頼度を高めさせ、歴史の真実を忠実に教えているふりをしながら、その中に巧妙な虚偽を散りばめて、GHQの都合のいいように思想誘導を図った」というようにまとめられるでしょうか。「虚偽」という言葉が相応しいかは解りませんが、GHQ謹製のラジオ番組ですから、アメリカ側の思惑に都合のいいように編集されている事実は否定できません。この点について櫻井氏の批判は正しいと言えます。

「真相箱」の持つ役割への過剰な評価

しかし、この「真相箱」によって、「日本人が洗脳された」という言説は余りにも大げさです。話を面白おかしく針小棒大にするのは保守の悪い癖です。櫻井氏は、洗脳された日本人の影響が現代まで続いていると主張します。

この種のラジオ放送を三年余も継続して聞かされれば、ある時点から嘘や歪曲やすり替えを正していくのに疲れて、ふと根気を失うのではないかという気がした。
欺瞞の洪水に逆らうのを諦めてしまうのだ。諦めれば流れの中に身を沈めるか、一緒に流されていく。説明するのに疲れた大人たちが沈黙を守る間に、新しい世代がその欺瞞に染まっていく。その先に出現したのが、現在の日本の姿である。米国の対日再教育、洗脳というべき検閲と情報操作によって、私たちの考え方や価値観は無意識のうちに日本断罪の影を引いているはずだ。


 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, pp. 440-441

この様な言説は、あまりにも「真相箱」やWGIPの効力を過激に評価しています。

というのも終戦直後、GHQ統治が始まる前の世論調査の段階で、人々の間に、軍部に対する責任追及の言説が起こったことや、戦争の重圧から解放されて民主主義的色彩が徐々に強くなってきていることが日本側資料に残っています(萩野富士夫『「戦意」の推移』校倉書房, 2014, pp. 145-157)。

このように「真相箱」やWGIPが始まる以前から、日本人の間で、軍国体制に対する断罪意識が自発的に芽生え、民主主義の新たな未来を主体的に択ぶ動きがあったのです。したがって今現在の日本はこうある責任は、紛れもなく日本人にこそ責任があるのであり、「真相箱」やWGIPに責任転嫁するのは無責任と言うものでしょう。

「真相箱」やWGIPを糾弾して何を訴えたいのか

確かに櫻井氏が指摘するように「真相箱」はWGIPの一環として行われた対日プロパガンダです。櫻井氏の持つ価値観ならば、WGIPが洗脳工作の一環であり、「真相箱」は真実の中に虚実を混ぜてアメリカの望む方向に思想誘導する欺瞞だと思えてしまうことも理解できます。

しかしながら櫻井氏と必ずしも見解の一致しない私にとって、この『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』こそ思想誘導の欺瞞を感じてしまいます。つまり、小さな真実を重ねて、櫻井氏の抱く大きな「空想」を読者に信じさせようとしているということです。例えば次のような一文に、櫻井氏が信じ込まさせたい「空想」の一端を感じずにはいられません。

第二次世界大戦での日本の戦いは、一面でアジアでの植民地主義の一掃に力を貸したとか、アジアの幾つかの国々の独立を促したなどとの考えは、軍国主義として排斥された。


 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 44

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