【トンデモ】保守による愛国心・公共精神の授業(長野藤夫『「愛国心・公共の精神」を教える』明治図書, 2010)

はじめに

TOSS教育の重鎮・長野藤夫先生は、その情緒的に訴えかける巧みな文章で多くの教育論文を書いています。長野氏自身の著書のあとがきで「読者から時折「雑誌で長野さんの論文を読むと元気が出ます」「長野さんの雑誌論文最高!」というお便りをいただく」と紹介しているほどです。

本記事ではそんな長野氏が道徳教育について著した『「愛国心・公共の精神」を教える』(明治図書, 2010)の内容を紹介したいと思います。

教育勅語と道徳理念

愛国心・公共の精神を教えるには、理念(拠り所)が明確になっていてこそ初めて道徳教育に一本の太い筋が通ると述べています。そして何を「理念」とするべきか、長野氏は次の十二項目をあげて、いずれも首肯すべき内容であると述べます。

ならば、何をもって理念とすべきかである。

①親孝行せよ。

これに反対する人はいるか。
これはどうか。

②兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合え。

果たして反対する人がいるのかである。
次はどうか。

③夫婦は仲睦まじくせよ。

まとめて問う。

④友達同士信じ合え。
⑤言動は慎み深くせよ。
⑥全ての人々に愛の手を差し伸べよ。
⑦学問を怠ることなく、職業に専念せよ。
⑧知識を養え。
⑨人格を磨け。
➉進んで社会公共に貢献せよ。
⑪法律や秩序を守れ、
⑫非常事態が起きた場合は、真心をもって助け合い、国と平和と安全に奉仕せよ。

反対だという人は一人もいないはずだ。反対どころか、すべてが首肯することばかりである。

何故にこの十二項目だけ列挙する必要があるのか、説明はまったくありません。しかして保守ウォッチャーならば、なぜこの十二項目なのかすぐに察しが付く筈。そう、つまり「教育勅語」がこの十二項目に適合して道徳教育の理念に相応しいと言い出すのです。

このような人でありたいと思うと同時に、教師であればこのような生徒を育てたいと願うはずだ。

教育勅語

これらの「理念」に裏打ちされこそ、道徳の授業は効果的に生きてくるのである。

そして長野氏は、この教育勅語に拒絶反応を示すことは、「色眼鏡」で物事を見ていて言葉の意味を理解できなくなってしまっているからだと批判しています。ですが、そう言ってる長野氏当人こそが、強力な「色眼鏡」で教育勅語しか見えない状態なのではないでしょうか。長野氏の言説が、最初から「教育勅語」ありきの誘導尋問であることは明白です。長野氏の文章は、このような情緒的かつ非論理的なもの極めて多く、読み手を苦しませます。

現代の政治家のなかにも教育勅語を復活させるために、長野氏と同様に、その言葉の内容については普遍的な価値があると主張される方もいます。しかし教育勅語が道徳規範として拒絶反応が示されるのは、「言葉の内容」ではなく、その背後にある歴史であることは明白でしょう。

ネットで話題になっていましたが、「言葉の内容」だけならば、指定暴力団・山口組の綱領も立派なものです。wikipediaよりその内容を転載します。

一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。
一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。
一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。
一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。

しかし山口組の綱領を道徳理念にすべきと主張する人は殆どいないでしょう。なぜなら、山口組の綱領の評価は、その「言葉の内容」ではなく、その背後にある山口組の反社会性によって下されるからです。

よって教育勅語が道徳理念として採用されるためには、その「言葉の内容」が吟味されるのではなく、天皇中心の軍国主義、その軍国主義によって多くの命が失われた歴史的経緯が国民の間で肯定されることが先決ではないでしょうか。

もし仮に国民全体が、戦前・戦中の日本を肯定的に評価しているのであれば、教育勅語が道徳理念として採用されても今日のような摩擦は起きないでしょう。もちろん、戦前・戦中の日本が肯定的に評価できるように意識改革するのが、保守の目標なわけですが、その目標はいまだ達成されていないと言わざるを得ません。

個と公

このように長野氏は、教育勅語に基づく道徳教育の重要性を主張し次のようにも述べています。

教育勅語

学習指導要領で示されている二十四項目に限らず、すべての価値は、この伝統的理念に支えられていなければならないのである。

すべての価値が教育勅語に支えられられているか否かで決定されるという恐るべき爆弾発言です。裏を返せば教育勅語に沿わないものは価値が無いと判断されるわけです。端的に言って価値観の押しつけ以外の何ものでもないでしょう。

この様な価値観を押し付けるという手法は、戦前・戦中の日本における思想統制とそっくりです。当時は個人主義・自由主義は徹底的に非難され、全体主義の一員として体制に翼賛することが求められました。

長野氏もこれと同じ姿勢を取ります。すなわち、個と公のうち、公の重要性を極めて強く主張し、個について否定的な見解を示します。

「愛国心」を否定する教師は、「公共の精神」をも否定する。彼らの発する言葉は、不気味なくらいよく似ている。
これである。

個の尊重

彼の人々にとっては、「全体」につながる「公共の精神」などとんでもない代物なのだ。大切なのは、「公」ではなく「私」であり、「全体」ではなく「個」なのである。

相変わらず長野氏一流の論理体系が目につきます。個と公という緊張関係は、バランスをもって調和している必要があり、どちらか一方に振れすぎることは個人主義や全体主義に繋がりかねないことは、歴史が教えてくれた教訓の一つだと思います。長野氏からすれば現代日本は、個の方向に振れ過ぎているように見えるのでしょう。もちろん常識的範囲であれば、公の重要性を主張する立場は重要であると思います(同時にバランスをとるために個の重要性を主張する立場も必要であることは言を俟たないでしょう)。

戦争に進んでいかない奴は日本人としての自覚が無い!

しかし長野氏の公への傾注ぶりは尋常ではなく、やや振れすぎてしまっていると思います。たとえば長野氏は、次のように述べています。

問 もし戦争が起こったら、進んで国のために戦うか。

●日本の調査結果
はい……………15.1%
わからない……38.5%
いいえ…………46.4%

調査した五十九か国の中で、「はい」が「15.1%」というのは最も低い数字である。何をどう考えるかである。

これらの調査結果を一言でいうとこうなる。

「日本人」としての「自覚」がない。

戦争に進んで行かなければ非国民扱いされるという点で、戦前・戦中と全く同じ精神構造が確認されます。また長野氏は、別の論文において、特攻隊の命は輝いており「美」そのものであると称賛しています(紹介記事リンク)。このような記事を総合するならば、長野氏の目指す道徳教育とは、国のために進んで特攻してくれるような人材の育成なのかもしれません。

まとめ

ここまで紹介してきた長野氏著書の内容をまとめたいと思います。

  • 道徳教育の理念として「教育勅語」を導入しなければならない。すべての価値は、この伝統的理念に支えられていなければならない。
  • もし戦争が起きたならば進んでお国のために戦うことは、「愛国心」「公共の精神」であり、道徳教育を通じてそれらを育む必要がある。

また長野氏は、この他にも、自身の価値観と相違する教員の徹底批判なども繰り広げていますが、内容は読む前からお察しの通りです。近頃は、保守運動が盛んですので、長野氏のような考えが、日本の標準になる日も近いかもしれません。

長野氏の特攻隊やBC級戦犯を用いた「命」の授業については以下の記事をご参照ください。長野氏やTOSSが目指す教育の在り方が御理解いただけると思います。

【トンデモ】保守による「命」の授業(長野藤夫「命は他人事ではない:自尊心が当事者性を生み出す」『中学生に「命」の輝きを教える』明治図書, 2004)

2018.10.19

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