日本会議史観

“美しい日本の再建と誇りある国づくり”を掲げる、日本最大の保守団体「日本会議」が、どのような近現代史観を抱いているのでしょうか?

これを考察するのにうってつけなのが日本会議事業センター企画『これだけは知っておきたい大東亜戦争:20の最新基礎知識』(明成社, 2006)です。 本書は日本会議のいわば標準見解を示したものと評価し得ます。 さらに本書は、時系列に明治維新から終戦までの歴史的重要問題についてQ&A式に答えたもので、全体像をつかむのに最適です。

さて、陰謀論渦巻く日本会議はどのような歴史観を抱いているのでしょうか。本記事では先述書の記述を年代順に再編集してその概要を示したいと思います。「」に挟まれている文章は、直接の引用です。

年代 内容
1868 【明治維新】幕末期には「欧米列強による植民地化の嵐がアジアを襲っていた」。「その流れに抗して独立を保つために」日本は、「「文明開化」、「富国強兵」が急速に進められた」。
1882-84 【朝鮮半島情勢】「日本は、自らの独立を保持するため、近隣のアジア諸国との連携を望んで」いた。
1894 【東学党の乱】「清は大軍を派遣し朝鮮の支配権を一気に固めようとし」、「このため日本も軍隊を派遣、対に武力衝突」となった。
1894 【日清戦争】日本の勝利の末「清は朝鮮が「完全無欠の独立自主の国」であることを認め」た。「日清戦争は、朝鮮独立を決定づけた戦争」であり、「日本の「大陸侵略」の足がかりとして起こされたという主張」は「誤まり」である。
1895 三国干渉】「ロシアは朝鮮と隣接する満州に大軍を駐留させ、日本が独立をもたらした朝鮮に様々な介入を行って」きた。
1904 【日露戦争】ロシアは大国であったため「日本は戦争よりも交渉で危機を打開したかった」のだが「ロシアは聞き耳を持たず、日本はやむを得ず開戦に踏み切った」。「満州を戦場とされた清を戦争の被害者とする見方も」あるが、「清はロシアと秘密協定を結んでいて、日露戦争ではロシアを支援する、つまり日本と敵対する立場」であり「単純な被害者ではない」。また「日露戦争を評価する識者たちの声」が数多く紹介されている。
1919 【人種差別撤廃提案】日本が人種差別撤廃を国際連盟に提案すると「感謝と激励の手紙が殺到した」。「植民地を支配する欧米諸国にとっては甚だ都合の悪い提案」だったので、多数決で可決しても「議長を務めるウィルソンは、「全会一致」の原則を盾に、これを否決する」。「人種の平等が国際社会の原則となるのは、日本がアジアの植民地主義を武力で打ち破った後の一九四八年(昭和二十三年)の世界人権宣言を待たねば」ならなかった。
1928 【張作霖爆殺】張作霖の爆殺事件は、ソ連共産党による陰謀の可能性がある。(註:既に否定されている陰謀説。さすがにこの本でも断言していない)
1931 【満州事変】間島事件など「国際条約を無視した暴挙」とも言える拝日事件が「一四三六件にも及び」、「激化する排日運動に何年も隠忍自重を続けていた関東軍が、遂にやむにやまれぬ思いで決起したのが満州事変」であり、「侮日事件に対し関東軍が反撃した」のである。満州事変を主導した石原莞爾は「新たに建設さる満州は、支那のために失地にあらず、日本のために領土にあらず、日支両国共同の独立国家であると共に理想郷である」と述べている。
1937 【支那事変】中国との衝突は「共産主義勢力の策に嵌っ」て起きた。「日本は中国との紛争(支那事変)を収拾しようと大小十数回に及ぶ和平工作を試み」たが「アメリカが後ろで和平を妨げていた」。
1937 【南京攻略作戦】「証拠の殆どが伝聞に過ぎず、当時国際問題とした外国もない」。「一般市民を大量に虐殺したという意味での「南京大虐殺」は、もはや事実ではないことは明らか」だが、「便衣兵や投稿兵を承継した点については、研究者の間で論争が続いてい」る。南京大虐殺などにおける「残虐な日本人のイメージ」は「中国の反日ネットワークによる国際宣伝と日本の無為無策」による。
1941 【大東亜戦争に至る日米交渉】アメリカは「中国進出の障壁=日本を敵視し、日本人移民を排斥」したり「日英同盟の廃棄を強要」するなど「日本の力を抑える立場を鮮明に」した。「日本はアメリカとの協調を第一として、これらの要求を受け入れ」たが「アメリカの日本敵視は止むことなく」「対立が激化して」いった。
日米交渉が始まっても「既に戦争を決意していたアメリカは、日本に厳しい条件を提示する一方で、中国には」「どんどん肩入れし」た。「日本が石油の確保を目指してフランス領インドシナ南部にフランスの同意を得て軍隊を進駐させると、今度それを理由に日本への石油の全面禁輸を決定した」。日本はこの石油禁輸を受けて「南部仏印から撤兵する、つまり今後アメリカとは対決しないから、石油禁輸を解いてほしいと懇願」した。「しかし、それに対してアメリカは、満州を含む中国全土からの即時全面撤退を要求」するハル・ノートを提示。「日本は全面屈伏を意味するこの要求をのむことは出来」ず「ここで遂に対米戦争を決意」した。(註:「フランスの同意」といってもナチス支配下のヴィシー政権である点は留意されるべき)
また近衛文麿は「和平を求めたにもかかわらず戦争への道を進んでしまった」のは「見えない力にあやつられていた」気がすると述べているが、この「見えない力」とは「国際共産勢力」である。またハル・ノートの原案をつくったホワイトは「ソ連のスパイ」である。(註:コミンテルン陰謀)
  【大東亜戦争】「自存自衛のためにやむなく米英との戦争に突入」したが、それだけにとどまらず大東亜戦争の目的は「欧米の人種差別・民族差別意識に基づくアジア被植民地体制を打破し、宿願である人種平等・民族平等による新たなアジアの国際秩序」の構築である。「幾百万の日本の青年、そして植民地解放を目指したアジアの青年たちが立ち上がって戦ったことは、厳然とした事実」である。マッカーサーも大東亜戦争は「自衛戦争」であったと証言している。
また戦後GHQによる「太平洋戦争」という呼称の徹底は、「日本人全体に贖罪意識を植え付けるため」の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の一環である。
1944
【特攻】「民間人を巻き込む自爆テロとは全く異なる特攻隊員の崇高な精神」を鑑み、「尊い命を捧げられた特攻隊の方々の思いに、静かに思いを馳せるべき」。
1944 【無差別爆撃・原爆投下】アメリカ軍が行った無差別爆撃・原爆投下は「明らかに国際法に違反する」が、「戦勝国であるが故に、何ら罪に問われず、現在まで免責されたまま」である。
1945 【終戦】本当の終戦は8月15日ではなく、「サンフランシスコ講和条約(昭和27年)まで戦争は続いていた」。
1945~ 【GHQ占領政策とWGIP】GHQは「二度と米国に刃向かわないよう日本人の精神的無力化を狙っ」て「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と呼ばれれる計画を実施し、東京裁判などを通して「日本人に戦争への強烈な贖罪意識を植え付け」、「日本と連合国の間の戦いであった戦争を、現実には存在しなかった「軍国主義」と「国民」との間の戦いにすり替え」た。また検閲が実行され「日本古来の伝統的な価値体系までも」「否定されることにな」った。やがて「日本人は日本人自身による自己検閲をはじめ、それは占領が終了した後も続けられて」いった。(註:武装解除については言及なし)
このWGIPが「日本人の贖罪意識の形成に大きな役割を果たし」た。「日本人の苦難と窮乏をすべて戦争指導者(軍国主義者)の責任と」し、「日本人から自国の歴史に対する自信と誇りを奪い去り、強烈な贖罪意識を植え付けることに成功した」。(註:終戦直後の世論調査で、多くの国民が軍部に重大な責任があったと認識していたことが明らかになっているため、WGIPに一律的に責任を着せるのは非論理的)
1945~ 【戦後アジアの独立】「日本が戦時中に占領した地域は、戦後、次々と独立を獲得し」た。それは「単に日本が敗れたために実現した」のではなく、戦時下日本は「人材育成と占領意地域の独立を着実に実現させていった」。「もし日本が戦争に勝っていたら、アジアに日本の植民地帝国が築かれるのではなく、独立や自治の達成された自由なアジアが生み出されていたと思われ」る。

編集方針が原因かもしれませんが、靖国史観と比べ、より先鋭的な歴史観が提示されています。特にウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を諸悪の根源とする言説がより目につきます。似て非なる靖国史観については次の記事をご参照下さい。

靖国史観:遊就館に説かれる近現代史

2018.10.21

大枠は一致しながらも、より先鋭的に強調されていることに気が付かれると思います。

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