【トンデモ】保守による「東京裁判」の授業(河田孝文「“東京裁判”と戦後復興」『社会科教育』53(9), 2003)

保守と東京裁判

保守が「東京裁判史観」という造語をつくり、ひたすらその克服を目指していることはよく知られます。「自虐史観」という表現も見られますが、意味はほぼ同じだと思います。つまり、敗戦後、東京裁判(極東軍事裁判)によってA級戦犯が裁かれたことによって、日本は「侵略者」や「悪」というイメージがついて、日本人は自身に誇りを持てなくなり、「私たちは間違っていた」と必要以上に自虐するようになった、ということでしょう。

保守の理論に従えば、大東亜戦争は自衛戦争であり、東京裁判は勝者が腹いせに敗者を一方的にさばいた不当裁判です。よって、この東京裁判を無効にして、再び日本人としての正しい歴史(パル史観とか靖国史観とか呼ばれる場合もあります)を取り戻す必要があることになります。

この様に考える保守にとって、現在の小中学校の歴史教育は面白くありません。一部の例外的教科書を除けば、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)の記述は淡々としていて民族の誇りを呼び覚ますような要素はありません。保守陣営が自らの思いのままに歴史教科書をつくって、それを全国全ての学校で用いることができれば彼らにとってベストなのでしょうが、必ずしも思惑どおりにはいっていないようです。

そこで興味深いのは、学校の授業の中で東京裁判の不当を訴えるという手法にチャレンジしている教員の方が少なからずいるということです。本記事では河田孝文「“東京裁判”と戦後復興」という論文にある小学校授業のサンプルを提示したいと思います。

東京裁判で教えなければならいないこと

河田氏はまず論文の冒頭で、現在の教科書は「日本は戦争をした悪い国」というテーマで組まれており、その原因が東京裁判の判決に起因すると断言しています。このような歴史観は、まさに保守のそれと全く同一です。

このように河田氏は、日本と連合国との戦争をより広いから考えれるようにさせるために、東京裁判について次の二点を教えなければならないと主張します。

東京裁判で教えなければならないことは、二つある。
1 東京裁判の不合理性
2 日本は自衛のために戦争をしたという事実
本稿では、「1東京裁判の不合理性」を訴える授業について紹介していく。

このうち、「1東京裁判の不合理性」については、確かに裁判当時から現代に至るまで度々議論されるものです。ただし、「2日本の自衛のために戦争をした」という点については、「当時の大日本帝国の公式見解に基づけば」という限定が必要であり、当時の軍部議事録などを読めば本音としては侵略意識・拡大意識もあったことは否定できないと思います。

このような「大本営発表」だけを鵜呑みして、その他の資料をすべて無視するという考え方は、まさに視野を狭くするものでしょう。

東京裁判の不合理性

河田氏による「東京裁判の不合理性」を訴える授業の要点は、非常にシンプルで説得的なものです。

つまり、「裁判」でありながら、①裁判官と検察官が全て戦勝国であり公平では有り得ない点、②さらに不公平さが裁判が開かれている間にも議論されたにもかかわらず、これについて説得的な説明がなされなかった点、との二つです。

さらにこの不公平さを裏付けるために、十一人の判事の中でただ一人だけ国際法の専門家であったパル判事が、「そもそもこの裁判は成立すべきでない」と述べてA級戦犯全員に無罪の判決を下したことを紹介します。

授業の中で先生自身が自分の意見で「A級戦犯全員無罪!」「東京裁判無効!」とは言わないようですが、どの様な方向に授業を誘導しているのかは火を見るよりも明らかでしょう。

最後に

たしかに東京裁判の正当性については、論壇界のみならず、司法専門家達のあいだでも今でも議論があります。ですから、このようなイデオロギー色の強い論争的な話題について、先生自身が自らの信条に沿うような方向に生徒たちを誘導することは如何なものかと思います。

また保守論客はパル判事が「十一人の判事の中でただ一人だけ国際法の専門家」であったというお墨付きを与えて、東京裁判無効論を展開していますが、これは正しくない。パル判事は東京裁判当時、国際法の専門家ではありません(中里成章『パル判事:インド・ナショナリズムと東京裁判』岩波書店, 2011)。たしかにパル判決書は、言霊の宿った資料としてとても魅力的です。その魅力故に様々な神話がつくられてしまい、非常に取り扱いが難しい資料なのではないかと思います。

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