天皇陛下、「平成」という時代を振り返る—―新天皇論

天皇陛下在位30年記念式典

御代替わりが近づくにつれて、小室圭さん問題だけでなく、今上陛下がどの様に平成という時代を振り返った来たのかもまた注目を浴びています。今回取り上げるのは、去る2月24日に開かれた「天皇陛下在位30年記念式典」で陛下が仰った1500字ほどの“お言葉”を読み解くという試みです。

この試みは『サンデー毎日』(2019.3.17号)の記事、保坂正康「新天皇論②――声震わせた「おことば」を読み解く」です。肝心の陛下の“お言葉”全文は本記事末尾にあげてありますが、保坂氏はこれを次の四要素に集約させます。

  1. 平成は「戦争を経験せぬ時代」であった
  2. 象徴天皇像は私一代ではできない
  3. 国民にこの像は理解していただいている
  4. 皇后の和歌と国民の声との歩み

この四要素をそれぞれ見ていきたいと思います。

↓新天皇論①については下を参照。

保坂正康氏「象徴天皇を支える皇后」を語る——新天皇論

2019年3月4日

❶平成は「戦争を経験せぬ時代」であった

先ず陛下は、会見などことあるごとに平成が「戦争を経験せぬ時代」であったことを何度も振り返ります。

平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平たんな時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました」との一節がさりげなく盛り込まれている。このことは、お誕生日の時の会見でも話されていた。

一つは、自らの世に戦争がなく、国民を不幸な環境に置くことはなかったという実感である。……平成の天皇のみずがらの時代にそのようなことはなかったとの意味は、「天皇のために」といって戦死した者が皆無という喜びに通じている。

もう一つは、先帝をはじめ明治、大正の各天皇への労りである。この点は少し説明を必要とするが、先帝を含めて近代日本の天皇が戦争を欲していなかったにもかかわらず、結局は戦争を選択じたのはそれぞれの時代の法的、政治的枠内での意思なき存在に追い込まれた形になっていたからだ。平成の天皇はそういう先帝への思いやりを言外に示したということができる。

保坂正康「声震わせた「おことば」を読み解く」『サンデー毎日』(2019.3.17号)

確かに歴史を振り返ると、「戦争で天皇のために死んでいった人」が少なからずいました。

この様な犠牲者が一人もいない「平成」という時代は、確かに稀有な時代であることを再確認させる一言です。

❷象徴天皇像は私一代ではできない

また陛下は“象徴”としての在り方を常に模索してきたことを吐露されています。昨年末に行われた誕生日会見でも「私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」とその所感を述べていました。

今回の“お言葉”では、さらにそれが一歩進められ、その様な模索の道は次の時代にも引き継がれると述べられています。

憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。

この言葉はまさに、皇太子殿下に向けられたものでしょう。この言葉を保坂氏は次のように解釈します。

私は私の思う形で、象徴像をつくってきた、しかしそれとて完全とはいえない。いや、むしろ象徴天皇像を求める道筋はあまりにも長い。
私に続く天皇はぜひ私のつくった像の不足部分を補ってほしいと、継承を訴えている。

そしてこの象徴天皇像は、国民に信頼されていることが天皇の実感となっていることであった。それはこのおことばの中でさりげなく明言されている。「私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在」という一文は、「この国の人々の存在」にかかる形容句に注目すると、国民のイメージが明確になる。天皇は象徴天皇像をつくろうとし、実際につくったその像に国民が理解を示しているとの実感を持っていることがわかる。

保坂正康「声震わせた「おことば」を読み解く」『サンデー毎日』(2019.3.17号)

第一条の精神に則り、象徴天皇像は、国民から信頼されていることが重要であると説いています。各種マスコミによるアンケートにより、日本国民の天皇制への支持率は9割を超えていることが明らかになっています。このような高い支持は、まさに天皇陛下がたゆまぬ努力で歩まれて来た“象徴”としての度の帰結でしょう。

❸国民にこの像は理解していただいている

また陛下の“お言葉”で興味深い点は、象徴としての天皇像を模索する道は、天皇側から国民に与える一方通行なのではなく、国民から天皇への相互性があるということです。

陛下は国民の声を大変尊重しています。これについては次のように解釈されています。

前述の4条件の中の(3)は、国民に支持されているとの充足感を改めて披歴したとの意昧になるのだが、前述のように「この国の人々の存在」という部分と、最終節で語っている次の表現とも重なり合う。

(平成の初めに)全国各地より寄せられた『私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく』という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています

保坂正康「声震わせた「おことば」を読み解く」『サンデー毎日』(2019.3.17号)

保坂氏は、天皇と国民を繋ぐ回路を作る必要性を主張しますが、このような陛下を“お言葉”を踏まえ既にその回路はでき当たっていると評価しします。

ここでは即位以来、国民から寄せられた決意の言葉を今も大切にしていると明かしている。国民の共感、共鳴を心にとどめてきたとの言説はこれまであまり語られてこなかっただけに、その意味するところは大きい。
私は、天皇を論じる稿では天皇と国民は回路をつくるべきだと主張していたが、それはすでに出来上がっているのかもしれない。

保坂正康「声震わせた「おことば」を読み解く」『サンデー毎日』(2019.3.17号)

❹皇后の和歌と国民の声との歩み

最後に、陛下が言及された皇后の和歌「ともどもに平らけき代を築かむと諸人のことば国うちに充つ」についても、国民との結びつく回路を語っていると評価します。

平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした

皇后の歌の中にある「諸人のことば」とは、まさに前述の、私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていくといった言葉だというのである。ここで天皇は、皇后の歌と唱和する国民との回路を語っていることになる。きわめて意義のある構図ではないか。

以上のように在位初年の儀式では、天皇の姿勢が前面に出て、その歴史的充足感が明らかになった。平成という時代の全体図がこのようなおことばによって、時代の様相そのものとして浮かび上がってきたといえる。

保坂正康「声震わせた「おことば」を読み解く」『サンデー毎日』(2019.3.17号)

保坂氏は、「天皇と国民との相互信頼の回路」を陛下が重要視してきたという重要な一視点を投げかけています。もちろん天皇の象徴としての務めが国民によって支えられていることを陛下自身が述べていますから、これは正しい理解でしょう。

(私がこれまで務めを果たしてこられたのは)過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のおかげでした

また、「天皇と国民の相互信頼の回路」という視点から今回の“お言葉”を振り返り、かつ支持率が9割を超えている現状を踏まえると、陛下は充足感を持って平成の時代を終えられるのではないか、と保坂氏は述べています。

私たちの目の前に積まれている、天皇と国民による答案用紙、昭和10年代は合格点に達しなかったことを思えば、今回の天皇のおことばは国民との聞に回路を持ち得ているとの充足感が窺える。

保坂正康「声震わせた「おことば」を読み解く」『サンデー毎日』(2019.3.17号)

たしかに声を震わせた陛下の“お言葉”を聞くとき、十分な満足感を持って譲位される決意の固さを窺い知ることができます。

保坂正康氏「象徴天皇を支える皇后」を語る——新天皇論

2019年3月4日

お言葉全文(太字は保坂正康氏の引用箇所)

在位30年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。

即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。

平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。

天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。

天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の一つです。

今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います。数知れぬ多くの国や国際機関、また地域が、心のこもった援助を与えてくださいました。心より深く感謝いたします。

平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。

ともどもに平らけき代を築かむと諸人のことば国うちに充つ

平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。

しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。

在位30年に当たり、今日このような式典を催してくださった皆様に厚く感謝の意を表し、ここに改めて、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

保坂正康氏「象徴天皇を支える皇后」を語る——新天皇論

2019年3月4日


3 件のコメント

  • >1平成は「戦争を経験せぬ時代」であった

    日本の米軍基地は中東戦争の為の中継基地だった
    つまり、今上天皇がアメリカ軍の虐殺を援助していたんだ

    >2象徴天皇像は私一代ではできない

    象徴天皇というのはアメリカがでっち上げた憲法に書いてあるだけで、日本が守る必要はない
    天皇はアマテラスの直系の子孫で、神の意思を預言するのが天皇の仕事だ
    象徴なんかでは有り得ない

    本当は 1-4は日本人にとってはどうでもいい小さな問題だ

    平成で一番大きな問題は

    1.GDPが全く増えなかった、従って国民の賃金も全く上がらなかった
    2.日本企業の株の3割を外資に乗っ取られた
    3.一億総中流社会が階級社会に変わった

    要するに、日本は完全にアメリカの植民地にされて、日本人がいくら頑張って稼いでも、その金はすべて外資に持って行かれる様になった

    つまり、今上天皇はアメリカのエージェントで日本人の敵だったんだ

  • 因みに、皇后が本来やるべき仕事は

    トランス状態に入って、神憑りして、神意を語る事

    国難に当たって、どの道を進んだらよいかを神に伺うのが天皇家の一番重要な仕事だ

    トランス状態に入る技術すら持たない、讃美歌ばかり歌っているアホ女に皇后は務まらない

  • 「山田君(山田康彦東宮侍従長)が来て東宮さま(今上陛下)にいろいろ申し上げたことについての話、
    人づかひが荒いこと、つまらない臣下のあらをとりあげないこと、
    孝養をおはげみになるべきこと、常陸宮様と御仲よく遊ばすべきこと。」
    (入江相政日記 昭和40年3月24日)

    今上陛下って皇太子時代はこういう問題の多い人間性だったのに、いつのまにか神格化されましたね。
    その過程が気になります。

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