スーパーフリー「和田サン」懺悔禄を発表

スーパーフリーの衝撃

2003年に「スーパーフリー」(通称:スーフリ)という早稲田大学のサークルが、常習的に女性を酔わせて集団強姦していたことが発覚しました。悪質さもさることながら、主犯の通称「和田サン」のキャラの濃さもあいまって、いろいろな意味で伝説的な事件になりました。

当時、私は、その事件を知って大学生ってヤバいな…と思ったものです。

その後、「和田サン」(本名:和田真一郎)は、懲役14年の判決を受け、昨年6月29日に出所。現在は「就労支援」制度の御縁を頂いて、ほそぼそと偽名で仕事をしているそうです。

そんな「和田サン」の独占手記が『週刊新潮』(2019.2.21号)に掲載されています。非常に長い手記であり、とても読み応えのあるものです。ぜひお求めになってお手元にアーカイブいただければと思います。

今回は、その中で特に私が気になった、和田サン逮捕までの回顧録を紹介と思います。

中央大経済学部から早稲田大学政経へ

自営業の父親を持つ和田サンは、大学入学までは普通の大人しい人生を送られていたようです。人生の歯車が狂いだしたのは、派手な「キャンパスライフ」を夢想して、中央大学から早稲田大学に入り直した時です。

現役でまず中央大の経済学部を受け、入学しました。高校までは地味な暮らしだったので、大学で遊びたいという願望がずっとあったのですが、大学はイノシシが出没するような八王子の山の中。思い描いていたような「キャンパスライフ」とは程遠く、夏休み前から再受験を考えるようになりました。……慶應と上智は落ちたけれど早稲田の政経には合格。受験の際に両親に打ち明けたら、呆れていました。早稲田に通い始めると、やっぱり活気が全然違いました。

『週刊新潮』(2019.2.21号)「独占手記「和田サン」懺悔禄」

たしかに中央大学はちょっと場所が外れていますからね…。

しかし中央大学で「仮面浪人」をしていた時にはあまり勉強をしていなかったそうですが、それでも合格できたといのは、もともと「要領のよい」方なのでしょう。

スーパーフリー入会からヴァルファーレでのバイトまで

そんな派手な「キャンパスライフ」を夢見て早稲田大学に入り直した「和田サン」。

理想の「キャンパスライフ」を実現させるべく、テニスサークルの新歓コンパなど参加しまくっていたそうです。そんな折にスーパーフリーと出会った模様。

そんな時、たまたま高田馬場の駅前を一人で歩いていて、スーパーフリーの先輩に声をかけられたのです。そのまま飲み会に行ってみたら、テニスサークルよりもっと遊び慣れた感じの人が多かった。私は別にテニスをする気もなかったので、こっちの方がいいなと思い、そのまま居ついてしまったのです。

『週刊新潮』(2019.2.21号)「独占手記「和田サン」懺悔禄」

ただしこの段階ではスーパーフリーの活動は単なる飲み会系のサークルでしかなかったようで、和田サンもサークル活動に熱心ではなかったようです。

むしろ和田サンを変えたのは、スーパーフリーではなく、ヴェルファーレ(六本木のディスコクラブ)でのバイトだったようです。

ところが、その年の9月から私は六本木のヴェルファーレでバイトを始め、夜の世界に浸かって学校にほとんど行かなくなってしまいました。きらびやかな世界で大好きな洋楽が流れていて、客の女の子と喋るのも楽しく、完全にハマって昼夜逆転していったのです。

『週刊新潮』(2019.2.21号)「独占手記「和田サン」懺悔禄」

このヴェルファーレで夜遊びを覚え、次々と女性と関係を持ってすぐに飽きて連絡を絶ってしまうという生活を続けた模様。なお、和田サンの初体験は、中大時代に付き合った女の子とのこと(誰得情報)。

バイトを辞めた後にスーフリのイベントで大成功

このヴェルファーレでバイトしていた間は、スーフリはメンバーも数えるばかりで、春の新歓コンパ以外の活動はしないという半ば休眠状態だったそうです。

我々がよく知るスーフリの誕生は、和田サンが大学5年生になり、ヴェルファーレのバイトを辞め、自身が六本木のクラブでイベントを主宰して大成功した時からのようです。

98年の4月に六本木のクラブでイベントを開いたら、500人以上が集まって「大成功」してしまった。それで味をしめ、以降はイベントが生活の中心になっていったのです。実入りはさほどありませんでしたが、大勢集まるイベントの主催者として、すっかり悦に入ってしまった。

『週刊新潮』(2019.2.21号)「独占手記「和田サン」懺悔禄」

その後、和田サンはイベント主宰者としての才覚を発揮し、スーフリを巨大サークルに成長させ、やがて歯止めの効かない“まわし”を始めることになります。

虚実綯交ぜの世界で歯止めが効かなくなる

最初の“まわし”について次のように告白。

スーフリが変貌した98年4月とは、バイトを辞めて暇になった私が仲間を集め、毎日のように高田馬場駅前でサークルの勧誘を装って即席の飲み会を開いていた時期でした。その席にたまたま“まわし”の経験がある男がいて、さらにこれもたまたま、勧められるままお酒を飲んでしまう女の子が二人いた。で、私の後輩がどんどん飲ませ、泥酔し たその二人を近くの自宅に連れ込みました。店に残った私も後輩から呼び出され、その日初めて“まわし”に加わったのです。ちょっと尻込みした反面、その頃は感覚も麻痩していて“目の前にいるなら撃って(注・性交の隠語)おかないと”と思ったのは事実です。

『週刊新潮』(2019.2.21号)「独占手記「和田サン」懺悔禄」

後輩に呼ばれたら先輩としてのメンツが立たないという奴でしょうか…。和田サンの自己申告によれば、被害女性は200人~300人(!)とのこと。俄かには信じがたい数字ですが…。

こういう俄かは任じ難いコトを仕出かしてしまった背景には、虚実綯交ぜの世界の中で、自分でも本心と演技の境界線が解らなくなっていたことがあるようです。当時の状況を次のように振り返ります。

“まわし”を始めて数年後、01年頃からサークルは軌道に乗り出しました。当時、私は大学の7年生で、後輩たちはみんな卒業していく。で、年長者になって周りから「和田サン」と持ち上げられるようになった。これでいいのか、それともダラダラ遊び続けるのかと考えましたが、結局は楽な方に流されてしまった。その01年には授業料未払いで退学処分になるのですが(注・02年に第二文学部に再入学)、すでに“30歳まではやろう”と開き直っていました。とにかく後輩の前ではしきりに「女は撃つための公共物だ」「俺が大学にいるのは4月のため」なんて口から出まかせを吐いて“和田サンキャラ”を演じていました。もう、どこまでが地でどこからが演技か、自分でも分からなくなっていたのです。

『週刊新潮』(2019.2.21号)「独占手記「和田サン」懺悔禄」

「強気で法螺吹いて演技していたら、それを実際に実行する“自分”になってしまった」ということでしょうか。

さらに和田サンは当時の自分を振り返って、❶「今さえよければ」という認知の歪み、❷気が付けば「モラルの低い仲間」しかいなくなったという対人関係、❸自分は凄いんだから「女の子の一人や二人は許される」という優越感という三つが、自身を犯行に導いた主原因であると分析しています。

この手記だけを読むのなら、自身を冷静に振り返っている知的な和田サンを垣間見ることができるかもしれません。しかしそのような人間が、一生償っても償いきれない愚劣な凶悪犯であることを忘れてはならないでしょう。

まだまだこの手記には興味深い記述が多くあるので、後で別の記事を書きたいと思います。



3 件のコメント

  • 流石は、「ガンダムの登録商標出願名を替えさせた男」と目されるだけの事はありますね…
    「貴公はあの、新自由主義主義者の尻尾だな」と評すべきかはさて置き。

  • 元主犯格本人の手記の是非については脇に置いて意見させていただきます。

    個人的にはこうした元主犯格本人による冷静な自己分析は、類似の組織犯罪が発生するメカニズムの解明やその予防にとても役に立つのではないかと思っています。単純に、これと似たような経過を辿っているイベントや主催者などが見受けられたら、まず周りは注意を払った方が良いという客観的な指標になりえますし、自分自身も何か大きな集団を率いる際に似たような状態になっていないかを常に自省するための主観的な判断材料の一つにできると思うからです。

    こうした考えは、元主犯格が必ずしも特別に悪い人格をもった人物であるとか、出自や身分に何か特別な要素が含まれているから発生した、という事ではなくて、時と状況と運次第では誰でも彼のような犯罪(必ずしも集団暴行だけではないですが)を引き起こしてしまう可能性が有り得る、という考えに基づいているため、しばしば主犯や従犯の出自や身分で犯罪類型を決めつけたり、逆にこの出自や身分であればこのような犯罪は決して起こらないはずだという根拠の無い思い込みを起こす保守界隈の人間には受け入れられにくいものかとは思っています。

    逆に、「時と状況と運次第で誰でも起こしうる」という説を変に曲解して、「犯罪を起こしうる”時と状況”そのものを社会から排除・抹殺すれば良い」という、予防の概念を否定しがちな左派界隈にも、私は常に強い不信感を抱いています。

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