【トンデモ】『日本国紀』、日本が「友好国」に戦争を仕掛けてしまう。

ツッコミの宝庫

ともかくいろいろツッコミどころが満載の『日本国紀』、実は読者にツッコませて、保守からリベラルに転向を狙っている啓蒙書ではないかと疑いを強めるほどです。

今回は、百田氏が大東亜戦争の構造を全く理解していないことを示す記述を紹介したいと思います。それは次の記述です。

コラム「大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争だった」と言う人がいるが、これは誤りである。
日本はアジアの人々と戦争はしていない。日本が戦った相手は、フィリピンを植民地としていたアメリカであり、ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランスであり、インドネシアを植民地としていたオランダであり、マレーシアとシンガポールとビルマを植民地としていたイギリスである。日本はこれらの植民地を支配していた四ヵ国と戦いって、彼らを駆逐したのである。

 百田尚樹『日本国紀』幻冬舎, 2018 , pp. 391-392

第二次世界大戦の構造を理解していない!?

太字の箇所が滅茶苦茶おかしいです。というのも、1941年12月大東亜戦争が始まる前に「フランス」はドイツに敗れ、当時は親独傀儡のヴィシー政権であり、日本はフランスに対して開戦していません。つまり大東亜戦争下においてヴィシー政権フランスは、日本の「友好国」であり協力関係を結んでいました。

またベトナムとラオスへの進駐(1940年の北部仏印進駐と、1941年の南部仏印進駐)は、ヴィシー政権との協定によるもので、しかも仏印に進駐した後も、ヴィシー政権による植民地統治をそのまま容認していました。よって決して日本軍は植民地解放などしていません。極めて初歩的な問題です。

また1945年3月の欧州情勢変化(ドゴールのパリ入城とヴィシー政権崩壊)にともないフランス植民地にも政情の変化が生じ、日本軍がこれに対応する形で明号作戦を実行しました。しかし、これはフランスに対して「戦争」を仕掛けたわけではありません。当時の日本側文章にも、戦後の研究書にも、この衝突は「武力処理」と表現されています(『戦史叢書』32, pp. 577-706)。

一体、百田先生は、ベトナムとラオスでどの様にフランスと戦争状態になり、植民地を解放したと考えなのでしょうか? 考えれば考えるほど百田氏の歴史観の浅さが解る一文です。

呉座勇一VS久野潤

【追記】本記事が呉座勇一氏の『日本国紀』批判記事に引用されました。この呉座氏の記事に対する当ブログの所感については「【日本国紀】呉座勇一「批判者に対して匿名だの罵詈雑言だのと難癖をつけるのは筋違い」【当ブログが引用される快挙】」を参照ください。

【追記2】『日本国紀』の監修者・久野潤氏は、『日本国紀』のこの記述が間違いないと言っています。

周知の通り、昭和26(1951)年に締結された連合国と日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)にはフランスも調印しており、「日本はフランスとは戦っていない」などという弁は通用しない…

百田氏は「(フランスの植民地であった)ベトナムとカンボジアとラオスを相手に戦争をしていたわけではない」という文脈で述べているのであるから、それを勝手に「南部仏印進駐」や「大戦末期」の軍事行動に論点を狭めて批判するのは牽強付会(けんきょうふかい)であろう。

久野潤「『日本国紀』論争、久野潤「呉座氏は私の問いに真摯に答えよ」(iRonna)

そういう文脈で百田氏は述べていません。先ほど言及したように「ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランス(と戦った)」という一文です。このベトナムとラオスを植民地にしていたフランスを、サンフランシスコ平和条約でのフランス(ドゴール政権)と見るのは無理があります。

大人しく間違いを認めるべきでしょう。

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19 件のコメント

  • トンデモですし、あの戦争の構造をまったく理解していませんね。日中戦争がなかったことになっているみたいですし。

  • >進駐するにあたり衝突(明号作戦)は生じました
    進駐するにあたって衝突したのではなくて、欧州情勢の変化(ドゴールのパリ入城とヴィシー政権崩壊)で、
    必然としてフランス植民地にも政情の変化が生じたので、日本軍がこれに対応する形で作戦を生じた、と表記すべきです
    そもそも、明号作戦が行われたのは、大戦末期の1945年、仏印進駐は日米開戦前の出来事なのですから、「進駐するにあたり衝突」という表記は、解釈の幅の余地なく誤りとなります

    • ありがとうございます。寝ぼけていたのか錯誤がありました。深くお詫び申し上げます。また、私は実は昭和史はド素人ですので、間違いが多くあると思います。今後ともご指摘いただけると有難いです。

  • 名号作戦で日本軍がベトナムを解放したのは事実。名号作戦を戦争と認識しないロダンのほうがオカシイ。

  • 名号作戦で成立したベトナム、ラオス、カンボジアの3王国は全部日本の傀儡政権だったじゃん。傀儡政権の樹立は真の解放ではなく、インドシナの支配者が仏から日に入れ替わっただけにすぎん。

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