アゴラ社長・池田信夫氏、『日本国紀』を痛烈に面罵。「かなりお粗末」「おもしろくなかった」

続々と出てくる書評

百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎, 2018)の賛否両面からの書評が発表されています。本書をどの様に評価すべきか論点が整いつつあり、この流れは今後加速するでしょう。

今回書評を発表したのは、オピニオンサイト「アゴラ」の創設者である池田信夫氏によるものです。

書評:池田信夫「『日本国紀』の示した「日本人の物語」の不在」

これまで発表された書評の中では、適菜収氏による書評に比する強さで『日本国紀』を面罵しています。

歴史書としては「かなりお粗末」、歴史小説としては「つまらなかった」

この池田氏の書評において、『日本国紀』がプラスに評価されている箇所は一つもありません。まず歴史書としては次のように評価。

多くの人が指摘するように、本書は歴史書としてはかなりお粗末である。事実誤認が多く、他人の本の孫引きが目立つ

この後、歴史家として百田氏はアマチュアだからと弁護が入りますが、極めてストレートな表現。また、「コピペ」とは表現していませんが、第三者の著作物からの孫引きが多いことを指摘していることも見逃せません。

続いて、百田氏を「プロの作家」として見た場合の評価は次のように。

それより彼は作家としてはプロなのだから、歴史小説としておもしろいかどうかが問題だ。司馬遼太郎の小説が事実に反していると批判する人はいないだろう。

だが結論からいうと、おもしろくなかった。小説としては無味乾燥で、オリジナリティがない

ここまで端的に言うとは驚きですね。『日本国紀』は通史の体裁であり、なにしろ「誰書いても一緒の話や」と言ってしまうような内容なので、無味乾燥としてオリジナリティが無いというのは当然の評価でしょう。

近代史の部分は「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の劣化版

また著者の百田尚樹氏は、『日本国紀』の中核は近現代史部分であると豪語しています。しかし、その箇所についても酷評。

本書の力点は明らかに近代史にあり、そのねらいは「自虐史観」を否定しようという「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書と同じだが、その劣化版である

「劣化版」とは、これまた意味の強い言葉をどんどん使いますね…。

このように池田氏の評に基づけば、『日本国紀』は殆ど価値のない本ということになります。

WGIPを陰謀論と一蹴

『日本国紀』の戦後史を紐解くうえで重要となるWGIP洗脳説については、陰謀論と一蹴。

戦後の政治をWGIP (War Guilt Information Program)で説明する陰謀論は、江藤淳が1980年代に主張したものだが、歴史的な証拠がない(本書も根拠を示していない)。

この様な立場は秦郁彦氏と同じですし(関連記事)、私も同じ感想を持ちます(関連記事)。

『日本国紀』においてこのWGIP洗脳説は、「南京大虐殺の嘘」「朝鮮人従軍慰安婦の嘘」「首相の靖国参拝への非難」という三つの保守歴史戦の論点が結び付けられ、さらにその根源を朝日新聞に帰していることに特徴があります。

よってこのWGIP洗脳説を一蹴しているということは、『日本国紀』の戦後史が微塵も正しくないと主張している事と同義です。

改憲について

憲法改正はまさに『日本国紀』のメインテーマなのですが、その陰謀論的内容を極めて冷淡に評価します。

天皇が現人神だなどという神話は誰も信じていなかったので、戦争が終わった途端に人々は皇国史観を否定したが、占領統治が終わっても憲法は改正できなかった。本書は日教組やマスコミが悪いと書いているが、自民党も改正をいわなくなった。

この複雑な問題に単純な答は出せないが、結果的には日本人は平和憲法を受け入れたのだ。それは主権者としての主体的な選択ではなかったが、平和の長かった日本人にはなじみやすかった。

このような理解も秦郁彦氏のそれとほぼ同一です。

つまり、確かに日本国憲法はGHQによる押しつけであるが、それを70年間受け入れてきたのは日本国民の総意であり、当の自民党も改正をとやかく言わなかったというのです。当たり前と言えば当たり前でしょう。

独立して主権を勝ち得た後も、70年間にわたりGHQ政策に洗脳され続けたという解釈の方が説得力がないというものです。

まとめ

以上、池田信夫氏による書評をまとめれば次のようになるでしょう。

  • 『日本国紀』は、歴史書としては「かなりお粗末」であり、歴史小説としては「つまらなかった」。
  • 近現代史の部分は「つくる会」の教科書の「劣化版」。 
  • WGIP洗脳説は「歴史的な証拠がない」陰謀論。
  • 戦後日本が改憲しなかった理由は、GHQ政策の影響ではなく、日本国民自身がそれを受け入れたからである。

また、戦後史の部分については秦郁彦氏の書評と同一基軸であることも付言しておきます。極めて常識的な理解であると私は考えています。最後に池田氏の締めの言葉をここで。

日本が政治的に成熟するためには歴史観をめぐる対話が必要だが、本書をバッシングする左派と盲目的に支持する右派の対立をみると、対話の道は遠いようだ。

たしかに遠そうです。

書評:池田信夫「『日本国紀』の示した「日本人の物語」の不在」

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12 件のコメント

  • 池田氏としては、『日帝36年(批判)』を物語扱いして引き合いに出すより『NHK現体制69年(批判)』をそうした方がオリジナリティを出せる筈です。
    「左派及びリベラル系偏向報道認定」という物語より、「強制力を伴う巨大利権」という事実認定に主軸を置いたそれは、国民の実利にも適う物です。
    しかし、百田氏がコピペ的に流布を図る「反韓物語」に便乗する辺りは、アベ友論客としての限界を感じました。
    ウィキペディアンにも拘わらず、そこからのコピペを他人事扱いする辺りも、「NHKに放送電波を寡占されて受信料も強制徴収されているけれど、一人辺りに換算すると対した額じゃないから」的な投げ遣りさに通じる物があります。
    その様な妥協が、「NHKへの支持という物語」を国民が受容している一例かはさて置き。
    最後は、「左派VS右派の議論的断絶」で纏めており、ろだんさんの「事実に対する解釈は、最終的に各々の主義主張により平行線に至る」旨のいうご主張にもそぐう物です。
    しかし、「左派を含む常識派」が各媒体からのコピペという事実を認定しかつ批判し、「右派を含む非常識派」がそれを否定しあるいは擁護するという、基本的な事実に向き合わないのは問題です。
    引いては、左派を含む常識派が「コピペに代表される継ぎ接ぎによる、史観的な統一性の不在」をも批判しているにも拘わらず、それも蔑ろにしている様に思います。
    政府及び政権支持を前提とする、「どっちもどっち認定及び冷笑論」の思想的コピペに過ぎないでしょう。

    • 『「ろだんさんの(中略)旨の[いう(ママ)]ご主張にもそぐう物です」』という箇所は、「旨のご主張の通りに至る道は遠い、とお考えの様です。」と改めます。
      ろだんさんの主義主張を正確に理解していないかも知れませんが、重大な誤認でない限りご容赦頂ければ何よりです。

  • 「日本人は世界最高の民族。日本最高!」という自称保守派が他方で「日本人はGHQに洗脳された」なんて主張をすると、「アメリカ人の陳腐な洗脳にひっかかった日本人のどこが凄いんだよw」で終わってしまう。

  • う~ん。池田信夫 アゴラ社長殿
    貴兄の原発に関する認識及び数々の事実歪曲発言・コメントと、
    それらに対する指摘への開き直りを多く目にしている私としては

    『日本国紀』評論のように的を得た指摘を、早野龍五・東京大学名誉教授の捏造論文に対しても
    ぜひ行ってもらいたい。そもそも、アゴラ自体がどう読んでも『日本国紀』と同じ穴のムジナレベルの
    サイトなのだが。

    • 国粋論壇のおともだち方を弄る事で、呉座勇氏から一本取ろうとしたのは八幡和郎氏ですが、「おともだちを弄りつつ、左派及びリベラル認定した対象への面当てを目論む」池田氏の流儀に対する思想的パクりでしょうか…

  • GHQを非難したり、自虐史観を否定するといった消極的な主張からは、左右の対話を可能にする「我々は何者なのか」という積極的な日本人像は出てこないのでは。でも今時歴史小説なんて流行らないだろうし、これが限界なんでしょうね。

  • 池田信夫氏といえば『戦後リベラルの終焉―なぜ左翼は社会を変えられなかったのか』(PHP新書、2015年)で、自民党を以下のように評しています。
    >自民党は「保守主義」の党だといわれるが、彼らが体系的な保守主義の教典を持っているわけではない。右派の論壇誌を読んでも、慰安婦問題と南京事件と靖国神社の話が繰り返されているだけで、憲法改正以外に積極的な政策はほとんど書かれていない。自民党の保守とは英米的なconservativeではなく、単なる現状維持なのだ。(同書、P.68)

    確かに、自民党こと自由民主党(Liberal Democratic Party of Japan)は、その党名からしても「保守」を名乗っておらず、むしろ「リベラル」を公称しています。
    きっとこのねじれもGHQとサヨクの陰謀なんでしょう(笑)

  • >以上、池田信夫による書評をまとめれば次のようになるでしょう。
    敬称略になっています。

    >確かに日本国憲法はGHQによる押しつけであるが、
    管賀江留郎『道徳感情ななぜ人誤らせるのか―冤罪、虐殺、正しい心』(洋泉社、2016年)によると、「押しつけ憲法論」の元祖は清瀬一郎らしいです。

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