保守論客・八幡和郎氏、『日本国紀』を「論理破綻」「トンデモ」「滅茶苦茶な反日史観」と酷評【保守なら当たり前】

『日本国紀』を批判する保守論客という構図

「万世一系は捏造だった」「記紀は信用できない」などと、これまでの保守の歴史戦を何も理解していなかった『日本国紀』。

平泉澄などから連なる正統的な保守ならば、『日本国紀』は受け入れられない筈です。これはあたりまえ。実は『日本国紀』には戦後GHQによる自虐史観が溢れています。ゆえに『日本国紀』に批判的なのは、左派・リベラル側だけではなく、右派・保守側にも多く見られます。

むしろ『日本国紀』を手放しで絶賛するような輩は、保守の歴史戦を何も理解していない「ネトウヨ」「信者」「氏子」と呼ばれる層でしょう。

『日本国紀』を批判的に紹介していた八幡和郎氏

そんな中、保守論客の一人として知られる八幡和郎氏は、オピニオンサイト「アゴラ」で、いち早く『日本国紀』を批判的に紹介していました(関連記事)。

曰く「戦後史観の左派そのものの御主張」「現代韓国人の常識に引きずられている」などと、『日本国紀』があまり保守的でない点を明らかにしています。

しかしこのアゴラに発表された書評内での批判は非常に温和なもので語彙は強くありません。書評らしく良いところもあげています。「文章が読みやすいとか、面白いのはたしかだから、あまり歴史に興味がなかった人が、いちど日本通史を読みたいというなら、歴史教科書を読むのよりは気が利いている」云々と。

【朗報】保守論客・八幡和郎氏、『日本国紀』を「戦後史観的」と評価、保守分断化か

2018年11月19日

Facebook上ではかなり批判的

しかしFacebook上ではかなり批判的。『日本国紀』を絶賛の書評を書いた宇山卓栄氏に次のように噛みつきます。

トンデモ説」「論理破綻」という凄まじい表現。

ただ八幡先生の仰りたいことはよく解ります。

太平洋戦争のしくじりについて

ここで突然、この議論に坂本さんと言う方が参戦。

第一印象。句読点が無いのですごく読みにくい…。

批判するなら自分で本を出したら良い」という日本国紀信者の常套句が香ばしく登場。って八幡氏は大量に歴史物の本を出しているんですけどね(笑)まさかそれすら知らないのか!?

ここから解るように、八幡氏は『日本書紀』を大変重んじ、それを重んじない『日本国紀』に批判的な態度を取ります。

こういう論調はいかにも保守論壇らしいですね。古くからある歴史観を信じることが重要ということでしょうか。

『日本国紀』は「滅茶苦茶な反日史観」

宇山氏への応答が続きます。

確かに『日本国紀』には、「保守」が書いた歴史書にしては、そこまで尖がっていないというイメージがありますね。

この八幡氏の見解もよく解ります。『日本国紀』の戦中日本の描かれ方は、ともかく能動性がなくて受動的で、西欧諸国の思惑に翻弄されまくっているというイメージがあります。

歴史に何を感じ、求めるかは人によって違うでしょう。

私は不可知論に近い歴史観を持っていますので、一部の極端な例を除けば、歴史は解釈次第だと思っています。ですから、歴史的現象に白黒明確につけたがる論調にはあまり賛同できないことが多いです。とりわけ極端に「ロマン」だとか「見栄」だとか「イデオロギー」だとかに拘り出すとややこしいことになります。

この点、八幡氏は戦前的な歴史の見方を大変重視します。

滅茶苦茶な反日史観」という極めて強いお言葉。

確かに普通の保守からしてみたらそうでしょうね。

万世一系について

また八幡氏は、保守の歴史観にセオリ―に乗っ取り、万世一系を否定してしまった『日本国紀』に非常に批判的です。

過日、竹田恒泰氏も同様の苦言を呈しましたが、それが嬉しかったのか、当ブログまで引用して『日本国紀』批判を開始。

八幡氏は、パヨクの巣窟と噂される「論壇net」を引用したとあって、コメント欄では拒絶反応もちらほら。

明治天皇の玄孫であることが売りの竹田氏が、万世一系を受け入れるはずがありません。むしろ竹田氏は、内心では『日本国紀』を「クソが!」と思っているでしょう(笑)

八幡氏は保守論客として当然ことを主張し始めます。

その通り。万世一系を信じないとか『日本国紀』の古代史部分は、先ほど八幡氏が言ったように「滅茶苦茶な反日史観」でしかありません。

『日本国紀』を擁護するということは、いわば似非保守であることを自白していうようなものです。

八幡氏はそれでも『日本国紀』を信じ続ける自称保守たちに問いかけます。

いえいえ(笑)『日本書紀』の記述をそのまま信じてしまうのは保守だけです!

御説ごもっとも。

私も、まさに同じ理由で、『日本国紀』というのが保守だとか愛国だとかいうのはピンと来ません。

まとめ

このように八幡氏は、『日本国紀』を「論理破綻」「トンデモ」「滅茶苦茶な反日史観」と酷評することは、保守であれば当然のことです。

中世史家の呉座勇一氏に対して盗作嫌疑を一方的にかけた時は(関連記事)、八幡氏のぶっ飛んだ妄想に驚いたのですが、保守論客としては至極真っ当な主張をされています。ぶっ飛んでいなければ保守は務まらないということでしょうか。

大変見直しました。

ただし次のようなことは絶対にあり得ません!

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5 件のコメント

  • 日本神話の主旨は元より、記紀が示す史観は「神国日本は異民族の支配等受けない。戦いで負ける事はあっても最終的かつ道義的な敗北には繋がらない」筈です。
    しかし、比較的短期間に留まる中華王朝への朝貢や外圧がもたらした明治維新なら未だしも、「ヤルタ会談を継承するポツダム宣言を無条件降伏という形で受諾した」という事実が、今日まで保守論壇に救いがたい捻じれをもたらしています。
    戦後政治に限定した史観なら、「親米保守VS反米保守」という構図ですっきりするかも知れないにせよ。

  • そもそもコピペ本に思想を求めるのってどうなの?と思います。

    自分の頭で考えずに他人の意見をつぎはぎした本なんて、一貫性がなくて論理破たんするのは当たり前じゃないですか?

    大学生のレポートですらコピペしたらアウトなのに、わざわざ内容を検証する意味がよくわかりません。

  • >2019年1月17日 6:02 PM
    それを云っちゃいけませんよw
    私も『日本国紀』から事実誤認とコピペの部分を除いたら、芯だけのリンゴみたいになると思っていますが。
    そんな本書を最後まで通読できたのは、偏にろだんさんの検証のお陰です。

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