【トンデモ】女から箒(ほうき)、男から褌(ふんどし)が失われて日本はダメになった説(マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016)

外国人発掘のプロ

加瀬英明氏は、外国人保守タレントを発掘する天才。ケント・ギルバート氏やヘンリー・ストークス氏などをプロデュースしたのはまさにこの加瀬氏です。今回取り上げるのはそんな加瀬氏と、マンリオ・カデロ氏との共著『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』です。

本書を一読して驚かされることは、加瀬氏よりカデロ氏のほうが遥にマトモな感覚を持っているということです。もちろんカデロ氏は、イタリアに神社を建てちゃったり、日本の風土や文化を褒めちぎってヨイショしてくれたりして少々痛い奴なのですが、ヘイト要素は少なく、さらに日本製品に外国語表記が少ないだの日本をより良くする常識的なアドバイスもしてくれています。

一方の日本人の加瀬秀明氏は、恐るべきコテコテの保守ぶりを本書でも発揮し、戦前回帰の極みのような発言を繰り返すその姿は、もはや老害といえるレベルです。

昔はよかった…

このような加瀬氏の戦前回帰的妄言を拾い出せばきりがないのですが、その極みともいえるもののひとつを紹介したいと思います。加瀬氏は、老害オヤジのテンプレである「昔はよかった。人と人との温かい結びつきがあった」論を次のよう煽情的に語り出します。

日本は世界で一番、やさしい文化である。……
褌を締めて、暑さを凌ぐために、浴衣の前を大きく広げていた。ときどき、手にした団扇で褌の奥をあおいでいた。
男たちは、ステテコのまま、近所に出かけた。
近所の大人の男女が、片手にセルロイドの石鹸箱と手拭いを持って、銭湯から戻ってくるのに、よくであった。
家の縁側にも、人が集まった。縁側も、社交場だった。
蝉の声のなかで、団扇を使った。子どもたちが、庭先で線香花火を楽しんだ。
人々はいつも気を遣い合った。みんな、顔見知りだった。行き会うと、立ち止まって、ちょっとのあいだ、おしゃべりをした。
今日の日本では、どのような重要な用があるのか、よく分からないが、全員がいつも急いでいる。隣人の顔も知らないし、思い遣る余裕がない。
家族の温もりも、大切にしなくなったから、隣人と親しくしようとしない。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, pp. 174-175

ホントこういう老人のお言葉には耳にタコができますね…。「人々はいつも気を遣い合った。みんな、顔見知りだった」などという社会はもはや恐怖のディストピアでしかありません。そんな社会に真剣に戻りたいと思っているのは、こういう保守老害だけではないでしょうか。

「女らしさ」は箒

まだまだ老害は続きます。それどころか「女らしさ」「男らしさ」というジェンダー論まで入ってきます。

マンションは「機能的」なことを売り物としているが、周りから謝絶された牢屋のようだ。
私は母が箒で夏座敷を掃いたのを、思い出す。箒は女の心の延長だった。……主婦が、早朝に家の前の路地を掃いて、箒目をつけたから、朝を感じることができた。
醜いアスファルトによって、覆われてからは、箒目をつけようがない。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, pp. 175-176

箒(ほうき)が「女の心の延長」って一体…。きっと掃除機とかブロワーじゃダメなんでしょうね。ともかく加瀬氏は現代テクノロジーを否定したがります。テクノロジーの進歩で、時間的束縛から解放されてより創造性のある活動に長時間従事できるようになったという発想は全くないようです。

そして別の箇所では、なんと「紫式部がパソコンを使って、『源氏物語』を書くことが、できたものだろうか?」「和泉式部が、あの胸に迫る恋歌をワープロによって、詠むことができただろうか」とか言っています。どんな状況を想定しているのか解りませんが、もちろん「できた」に決まってるでしょ! もしパソコンがあったら何度も著者校正ができますから紫式部の『源氏物語』はもっと読みやすくなっていたでしょう。それにそもそもワープロは恋歌を「打ち込む」ものであって、「詠む」ものではありません…。

「男らしさ」は褌

そして女の象徴が箒ならば、男の象徴は褌(ふんどし)です…。

褌がなくなってから、日本の男性から男らしさが、失われてしまった
私は英語遣いを生業としているが、「褌を締めてかかる」を英語で言おうとすると、”Roll up his sleeves.”(袖をまくりあげる)とか、”Pull up his sockes.”(靴下を引き上げる)というから、すっかり間が抜けてしまう。
凛としたところが、ない。やはり手の先や足先では、男の大切なものから遠いからなのだろう

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 176

褌が無くなったから男らしさが失われたって、「褌を締めさえすれば男らしくなるのかい!」と、突っ込まずにはいられません。

このように加瀬氏は、「日本らしさ」と言うものを定義するにあたって、様式から、形式から、外面から整えようとします。ひとまず外面さえとりあえずソレらしければ、内面は二の次なのかもしれません。ともかく「昔の日本は良かった」系の典型的老害と、その老害の目指すウザ過ぎるコミュニケーション社会の姿が、この加瀬氏の発言から確認できるのではないでしょうか。

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